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枕元にパッションフルーツ

私のアルバイト先はケーキ屋である。稀に試作品や期限の近いケーキを貰って帰ることがあり、そういうときは大抵誰かにお裾分けをする。

先日ケーキを渡した相手は『申し訳ないから』と言って事あるごとに何か返してくれようとする人だった。
ある日、お昼ご飯を食べていると彼が突然『お腹空いてる?』と声をかけてきた。
私は『今飯食ってんだから当たり前だろ』と考えうる限りで最も心象の悪い返答をした。好きな子には不器用になってしまう中学男子のアレである。ただ今回の場合そういうわけでもないので実際のところ私はただのコミュ障なのであった。

すると彼はおもむろにリュックの外ポケットからサーターアンダギーを取り出し、『要る?』と訊いてきた。なんでそんなとこからサーターアンダギー出てくんだよ。なんのために入れてたんだよ。そういえばこの前沖縄行ったとは言ってたけど。じゃあいつから入れてたんだよそれ?

悔しいけれど『ほしいです』と答えた。


借りを返したい欲はそれでも収まらなかったようで、彼は更に『パッションフルーツは?要る?』と訊いてきた。さっきから南国臭が凄いなと思ったがその点については黙っておき、私は首を横に振った。

『そんなそんな、申し訳ないよ』
『だってサーターアンダギーなんて100円とかだよ、全然返せてないよ』
『物の価値をお金でしか測れない人は二流ですよ』

彼はムッとした顔で少し黙ってから、『でも、ラズベリー好きの僕にラズベリーのケーキをくれたという点でまだ価値が釣り合っていない』と言った。
私は『あのケーキ貰い物だから無料だし、本当に気を遣わなくていいのに』と言った。

『あなたさっき自分で言ったこと忘れたの』と言って彼は勝ち誇った顔をした。『きみこそ二流だね』

結局根負けして、私はパッションフルーツを受け取ることにした。『酸っぱい物苦手って言ってたよね、だから多分パッションフルーツも嫌いだと思うけど…』と言いながら渡してきたので、この人は本当に何がしたいんだろうと思った。
『酸味が苦手な人は少し常温で保管してから食べたほうがマシ』との忠告を律儀に守り、私は帰宅するとすぐ枕元にパッションフルーツを静置した。

それから数日が経ち、私はそれを食べるタイミングを完全に失っていた。


ある日の夜のことである。私は落ち込んでいた。ひとと喧嘩をしたのだった。その日の私はとても凹んでいた。それはもう赤血球くらい凹んでいた。卓球台のそばに落ちてるきたねえピンポン球くらい凹んでいた。帰宅して、ベッドに倒れこんで、さめざめと泣いた。

枕元の果実に目をやった。

楕円形。片手におさまるくらいのサイズ感。手に持ってみると思っていたよりは軽い。掌に伝わるひんやりざらざらとした感触が心地良かった。
包丁を入れるとなかなかグロテスクな断面が現れた。
中にはツブツブかつプルンプルンの謎物質が入っていた。げ、と思いながら恐る恐るスプーンで中身を掬う。意を決して口に運ぶ。あれ、意外といける、し、そこまで酸っぱくない。私は拍子抜けした。
ちゃんと、美味しかった。そのひとさじで救われた気がした。

それからパッションフルーツは私にとって少しだけ特別なものになった。

彼にはまたラズベリーが沢山入ったケーキをあげようと思う。


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