街にうごめく影 2
つきまとうもの
四限目が終わるあたりから、俊介は、足元に何かの気配を感じていた。
一旦はそ知らぬふりをしたのだが、その気配はなかなか消えることはなくむしろだんだん強くなっていった。
俊介はこれまで妙なモノに度々遭遇していた。
それは、事故で負った怪我が回復してきた頃に始まった。
俊介も小学校へ通う前大きな事故に遭っていた。
入学式の夜だ。
両親と双子の弟の家族4人で出掛けたその夜、父の運転する車が事故に遭った。息子たちの入学祝いに出かけた帰りだった。
俊介はその時、両親と弟を一度に亡くしたのだ。
そして事故で負った怪我のため入院していた病院でのこと。
夜中にトイレに立ったとき、廊下の灯りの届かない暗がりに何かがいた。
すぐに気配は消えたからその時は気のせいだと思っていた。
退院し学校へ通えるようになると、今度は人が行き交う外でも。
電信柱の下にうずくまるお爺さんや橋の手前で泣いている少女など、背後が透けて見える人々を、昼間だろうが夜だろうが目にした。
度々目にしたそれを俊介は怖いとは思わなかった。
そんなある日、家に帰る途中信号待ちをしていると、向こうの信号機の下にいる女性が目についた。
俯いたまま身動きひとつせず青になっても渡ろうとしない女性だった。
立ち尽くしているその人の背後が透けて見えていた。
二度三度見かけたある日、思わず声をかけていた。
「ねえ、おねえさん。おねえさんは、もう死んでるんだよ。
こんなとこでなにをしてるの。
おねえさんの行かなきゃいけないとこって、あそこじゃないの?」
沈んでいこうとしている夕日を俊介は指さした。
今でも時々あの女性を思い出すことがある。
消え去る前に聞いた彼女の言葉が今でも耳に残っている。
「ぼうや、あんたのなかにも、おおきな闇がぽっかりあいてる。
だから、あたしのことが分かったんだね。
あんただけが、あたしのこと、みつけてくれたんだ」
「それって、どういうこと?」
「もう行くわ。ありがとね」
俊介の問いかけには答えてくれなかった。
夕日を見上げた彼女の横顔は美しかった。
長い黒髪が風もないのに揺れていた。
そうして、オレンジ色の夕日の中へ、ゆっくり一歩また一歩と踏み出し、光指す方へ消えていったのだ。
何があの場所に彼女を縛り付けていたのかわからない。
なぜあの時声をかけたのかもよく分からない。
ただ、困っているような気がしてつい声をかけてしまったのだ。
彼女が自分の言葉に素直に従ってくれてよかったと今では思う。
考えてみれば幸運だっただけだろう。
彼女のような人ばかりではないだろうとも思う。
おまけにその日からしばらく体の不調に悩まされた。
めまいがする吐き気がする高熱が出る。さんざんだった。
だからもうああいう人たちには声をかけないでおこうと決めたのだ。
そ知らぬふりをしていると大抵、その場の空気の揺らぎとしてしか感じなくなり、気配だけになって消えていく。
そもそもなぜこんな妙なモノを目にするようになったのか。
やっぱり事故のせいなんだろう。それ以外考えられなかった。
俊介もあの時何があったのか全く覚えていなかった。
だが今日のこの足元の気配はこれまでとはまるで違う。
はるかに強いものを感じる。
何より不思議なのは俊介にまとわりついているかのように見えること。
その気配だけだったものが徐々に黒い靄《もや》のようになっていた。
サッカーボールくらいになり、ふわふわ宙に浮き、教室を漂い始めた。
誰も気付いていない。
俊介だけにしかその様子は見えていなかった。
黒い靄は、給食前のざわつく中を縫うようにして廊下へ出ていった。
俊介はそれを目で追っていた。
―――どこへ行くんだ。
トイレに行くふりをして後を追う。
俊介が立ち上がるまでその場に浮いていたのだ。
付いて来るのを待っているとしか思えない動きだった。
長い廊下を進んで突き当りの角を曲がった。
その先は北の棟へつながる渡り廊下だ。
北の棟には理科室と準備室、家庭科室、一番奥に図書室がある。
給食前の今は人の行き来はないはずだ。
見逃さないよう素早く曲がったら、
「うわっ、」
待ち伏せしていたようにそこにいた。
黒い靄《もや》がくっきり人型になっていた。
俊介の腰くらいの背丈の子どものような姿に。
そして俊介を見上げて笑った。ような気がした。
顔かたちすべてが黒い塊であるにも関わらずなぜか笑ったように見えた。
途端に背中を悪寒が走って気分が悪くなってきた。
壁に背中をもたせかけて後ずさりし、そのまま元の廊下に戻った。
そうして膝をつき手をつき顔面蒼白になりうずくまっているところを、通りがかった教頭に保健室に連れていかれ早退することになったのだ。
すぐに叔母の恵子が迎えに来た。
「俊ちゃん、大丈夫?顔色悪いわ。熱は?」
「う、うん。ちょっと気分が悪いだけ、」
「このまま病院、行こう」
「いや、いいよ。もう病院なんか行きたくない。寝てれば、よくなるよ」
心配そうにのぞき込む恵子にそれだけいうと、俊介は車のシートに身を沈めた。
顔はさらに色が抜けて死人のようだ。
躰の傷はもうすっかり癒えたはずなのに。
「心的な傷は癒えたと思っても何かのきっかけで甦ってくることがあります」
恵子は運転しながら医者の言葉を思い出していた。
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」というらしい。
俊介の不調は事故のせいだと恵子は思っていた。
事故のことは何も覚えていないらしいが、それでも時どき浮かんでくるものがあるのだろう。
カウンセリングに連れて行くべきなのかもしれないと考えていた。
俊介は事故後、街はずれの小さなカフェを営む叔母夫婦に引き取られた。
しばらくベッドに横になっていたが、昼に目にしたものが頭から離れず、なかなか体を休ませることが出来なかった。
―――あれは、いつもの気配じゃなかった。ここには付いて来てないみたいだからまだ学校にいるんだろう。
気分の悪さが治まってくると好奇心が湧いてきた。
―――あれは、いったいなんだったんだ?
確かめたくなってきた。
―――正面から出くわさないように気を付ければ、きっと大丈夫だ。
時計は五時前、まだ外は明るい。
今ならもうそんなに生徒も残っていないだろう。
人目につかずみつけられるかもしれない。
忘れ物を取りに来たと言えば不審に思われないはず。
「ちょっと友だちの家へ行ってくる。
借りっぱなしで、今日返す約束だったものがあるんだ」
「大丈夫なの?明日じゃだめなの?私、車で送ってくよ」という恵子に
「大丈夫だよ。すぐそこだから」
するすると出てくる嘘を悟られないよう俊介は素早く外へ出た。
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