『鬼の夜ばなし2 鬼の獄卒 神さまのお供えに手を出す。』
ひとりの獄卒鬼が地上へ向かうべく、地獄の門を潜り抜けようとしていた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」
あちらにけつまずき、こちらにぶつかり、あたふたあたふた。
ザンバラ髪振り乱し、赤いはずの顔は青ざめている。
「おい、またあいつだぜ」ふたりの門番は横目で顎をしゃくるだけ。声もかけなかった。
鬼は焦っていた。
実はこの鬼、たびたびやらかす奴で、閻魔|さまの雷も一度や二度ではなく、その度に周りに及ぼすとばっちりは災害級だった。
「やれやれ」門番ふたり嵐の予感に頭を振った。
なぜ焦っているのかというと、
針山へ送るはずだったのに血の池へ落としてしまった亡者に、「池に浸かってるほうが楽じゃん。ここでいい」とごねられ、(この鬼は元々少々気が弱く、そこを見透かされてのこと)ひと悶着あったのだが、ようやくそれを片付け、ホッとして気が抜けたのだろう、次の仕事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
それでもこの頃ようやく成長のあとがみられるようになった。
「なんかわすれてないか・・あっ!」自力で思い出していた。
「大変じゃ、急がねば、急がねば」
地獄の門から雲を操り大急ぎで飛び立ったが、焦れば焦るほどやらかすのは世の常。ましてやこの鬼のこと、向かう先が逆なのに気付いていなかった。それでも、
「あれれっなんかへんじゃが、まあいいこっちじゃろう。うん?こっち、か?」
もう一度懐の書付を見直しようやく気が付いた。
「しまった。これはいけない。まてまて、あせるでないあせるでない
おちつけワシ、おちつけワシ」
慌てて引き返す。あまりの慌てっぷりに雲から落ちかけたが何とか持ち直した。
「ふっーあぶないところじゃった」
ようやく目当ての場所に辿り着くと、今しもそこではひとりの娘が息を引き取るところだった。
「ああここじゃここ。確かに名前もあっておるしどうやら間に合ったわい」
書付の大滝村 小堀小夜子十七歳はここの娘だった。
次の仕事は今日ここで亡くなる娘を迎えにいくこと。躰を離れた魂が迷ってしまわないうちに速やかに連れて行くことだったのだ。
「お小夜、お小夜、可哀そうな私の娘。まだこれからだというのに」
父と母はさめざめと泣き濡れていた。
本来ならば死者の枕元にひかえ、抜け出てくる魂を直ち《ただ》に連れ出すところなのだが、鬼は今日食事をする間もなく一日中走りまわっていたのだ。思い切り腹をすかせていた。さっきからもう目が回りそうだった。
娘の寝ている隣の部屋には、神棚の前に豪華な食事が据えてあった。
父親は村一番の占い師に
「娘の病を治すには神さまにご馳走をお供えするがよかろう」と言われ調えていたのだ。
おいしそうな匂いに誘われふらふら隣へ入ってしまった。いくつも膳が並んでいる。たまらず手が出ていた。
両親は亡くなった娘の枕元から離れられず、ほかの者はみな葬式の支度に立っていくから隣の様子を気にする者はなかった。
あれよあれよという間にご馳走が平らげられていく。空になった皿や茶わんが積み上がっていく。たとえ覗いてみたとしても、この鬼の姿が見えるのは死者のみだ。不思議に思っても誰も注意を向けなかっただろう。
「ふっー喰った喰った。もうこれ以上は喰えん。それじゃ、」
腹を満たした鬼はようやく立ち上がった。ところが、「うわっ」
娘が鬼の前に立ちはだかった。「な、なんじゃ、おどかすでない」
亡くなった娘には、さっきからずっと鬼の様子が見えていた。
「ちょっとちょっと、お前さまは、わたしの家の神さまのお供えを勝手に食べてしまいましたね。仮にも神さまにささげたものですよ。
それは、まずいんじゃあないんです?閻魔さまに言いつけますよ」
鬼を相手に強気の娘。
「閻魔さまに、」と言われて寒気が走った。
「そ、それはかんべんしておくんなさい。また雷落とされる。
ワシの命だって、あやういがな」
「ふん、そんならわたしのいう事を聞くのよ」
娘は庄屋の一人娘。ずっと自由気ままわがまま放題に育てられていた。 「わたしはまだ十八よ、死ぬには若すぎるじゃない。まだ、ぜんっぜん遊び足りない。ねえ、隣の村に同じ名前のばあさまがいるから、わたしの代わりにそのばあさまを連れて行きなさい」
「なんと・・・」驚愕する鬼だったが仕方ない。鬼は隣村へ向かい、娘のいう通り同じ名前のばあさまを連れて行くことにした。
隣村では、ばあさまはもう百歳だ、年も年だしと、突然亡くなったことを誰も疑わなかった。
ところが、閻魔さまはお見通しだった。
ばあさまを連れた鬼に一喝、
「なんたることじゃ。そんなことがまかり通ると思っておるのかー!」
「へへへーっ 申し訳ございませんー」
とって返したが、ばあさまの体はもう荼毘に付されてしまっていた。
「あたしは嫌よ~、まだこんなに若くて綺麗なのに死んでしまうなんて~
お願い見逃して~」
体に戻ろとしていた娘は捕らえられ、代わりにばあさまの魂を娘の体へ戻すことになった。
鬼には一段と大きな雷が落とされたのは言うまでもない。その後、鬼がどうなったのかは誰も知らない。
一方娘の家では、亡くなったはずの娘が息を吹き返したから、父も母も嬉し涙に泣き濡れた。
おまけにご馳走がすっかり平らげられていたから、これは神さまのご利益、あの占い師のおかげだと、沢山のお供物をささげ、占い師には報酬もはずんでやった。
そして、元気になった娘は、人が変わったように穏やかなよく働く娘になり、父も母もまた大いに喜ぶこととなった。
めでたしめでたしこれにて一件落着。
参考『今昔物語』、馬場あき子著『鬼の研究』
・ご高覧たまわりありがとうございます。
『今昔物語』の一説に登場するこんな鬼。憎めない奴ですが、職場の同僚となるとちょっとどうなのと思ってしまいますね。いやいや余裕のなくなってるギスギスした現代、おおらかな気持ちで見てあげましょう。
アニメ「鬼灯の冷徹」の世界のようですね。(小野篁の伝説も面白いですが、それはまた別のお話し)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?