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エッセイ 児童文学によせて

1 児童文学という沼そして世界三大ファンタジー

三十年以上も前のことです。
娘が幼稚園の年長に上がった頃、若い母親たちの読書会に参加しました。
「子どもたちになるべく良書を」また「その良書とはどういうものか」を学びあう会でした。
主催者は、独身の頃関西のラジオ局でアナウンサー経験のある女性でした。
「絵本の読み聞かせ」ボランティアが盛んな時代です。
彼女の読む絵本はそれはそれは心地よく、子どもたちのみならず、大人もつい聞き入ってしまうほどの優しい声でした。
この読書会「T市子どもの本の会」で私は「児童文学」なるものを知ったのです。「児童文学」とよばれる子どもから大人まで楽しめる文学作品というものを。

昭和の時代に放映されたテレビや映画の名作アニメ『赤毛のアン』『若草物語』『不思議の国のアリス』等々。
あの頃の多くの方が小中学校で触れてきたであろうこれらの作品に、私はアニメ以外で触れたことがありませんでした。
同級生の手にしている岩波文庫を見た記憶はありますが、それまで原作をまったく読んだことがなかったのです。
なんとなれば、私の興味は、小学校で乱歩、中学では横溝正史、それからは、アガサクリスティだの、エラリークイーンだの、高校も授業中、先生の目を盗んで読みふけるほど偏っていたのです。
当然「児童文学」ってなに?でした。
ところがところが、はまってしまいました。娘そっちのけで。
海外作品では、『ナルニア国物語』『指輪物語』『ゲド戦記』(後にこれらが「世界三大ファンタジー」と呼ばれることも知りました。)他にも『モモ』や『クローディアの秘密』『トムは真夜中の庭で』などなど・・・。
日本作品では、『銀河鉄道の夜』『冒険者たち』『兎の目』『優しさごっこ』。詩集『のはらうた』『生きる』・・・。

娘の一番のお気に入りは『エルマーのぼうけん』でした。全五巻を毎夜繰り返し読まされたのは今でも楽しい思い出です。
「こどもの友社」「福音館」などから出版された絵本などにも多数ふれてきました。絵本『ぐりぐら』シリーズはやはり最強で『はらぺこあおむし』なんかも親子でよく読んでいました。
私が絵本で特に好きだったのは、林明子さんの作品『おふろだいすき』や『こんとあき』などです。作品中のちいさな子どもたちの笑顔が光っていました。林さんの作品はかの宮崎駿氏が「トトロ」を制作するにあたり、参考にしたとかなんとか。
そこから娘そっちのけで「児童文学」なるものにはまっていきました。

娘が成長するにつけ様々なことがあり、(嫁姑問題、離婚や再婚。住まいもあちこち移り、仕事も、福祉関係から、金融関係、製造業など経て)、ふと「書いてみたい」と思い始めたのは八年前。それもやはり「児童文学」をでした。
ところがいざ書こうとすると、「で私は、児童文学の何を知ってるんだろう。読むことは読んできたけれどその本質は?」にとらわれてしまい、今に至るというわけです。
ここら辺で今一度原点に戻り志を新たに、その世界三大ファンタジーを紐解いてみようと思いました。

2 『ナルニア国物語』全七巻 C.S.ルイス作/瀬田貞二訳 岩波書店

C・S・ルイス(クライブ・ステープルス・ルイス)作の『ナルニア国物語』は映画化もされ目にした方も多いと思います。
英のケンブリッジ大学の教授であり、『指輪物語』のトールキンとも交流がありました。(文学研究会で共に活動)
『ナルニア・・・』は好き嫌いが分かれる作品といわれています。
そこにはルイスのはっきりしたキリスト教的ヒューマニズムが描かれているからでしょう。
第一次大戦時、田舎へ疎開中の汽車で、甥姪が爆撃を受け亡くなったことが影響しているためそれも仕方のないことです。
どうもキリスト教圏の国々には「不条理」をテーマにしたものが、アジア圏に比べて多いですね。それは、不条理に対する信仰心が強く求められていたからかもしれません。

「善と悪」の二項対立を鮮明に出し、戦う意義を問うとともに、神のもとへ召された甥や姪の活躍する場面を描き追悼ととしたのでしょう。
「ファンタジー」は児童文学にはかかせません。
「世界三大ファンタジー」といわれる作品は、それぞれの世界観の構築も素晴らしく、「ナルニア」でも子どもたちの成長の模様と共に生き生きと描かれています。
雪の森、草原、大海原、砂漠や迷宮などの舞台での子どもたちがたまらなく愛おしく、読み手もまた一緒に旅をしている気分になります。

現在も様々な「ファンタジー」世界が展開されていますが、
「ファンタジーとは、生きていく指針を内に作るもの。自分の内面を支えるものである」(絵本・児童文学研究センター理事長 工藤左千夫)
「仮想世界であっても現実世界と密接につながっている」(翻訳家 脇 明子)
「見えないファンタジーの世界は、われわれの日常の世界と共存するものであり、この世界こそがわれわれの本当の世界だと言い切っていいのではないか。」(『ファンタジーの発想』小原 信著 新潮社より)
こういった児童文学に関わりのある方たちの言葉に本質があるのでは。

ルイスは、亡くなった子どもたちのため、そして、今の世に生きて闘っている子どもたちのために、厳しくも温かいいまなざしで作品を残しました。
「ナルニア」への扉はいつだってすぐ近くに開かれています。そこに今を生きるヒントも隠されているのです。


3 『指輪物語』全三巻 J・R・R・トールキン作/瀬田貞二・田中明子訳 評論社

『指輪物語』は指輪を捨てに行く物語です。
”ちいさい人”といわれた「ホビット」が悪の巣窟にある火山へ、艱難辛苦を乗り越えて指輪を捨てに行くのです。
これが児童文学なの?と思いましたが、この”ちいさい人”がキーワードで児童文学の範疇だということです。
かつて大手の出版社で、少年少女向けの海外作品を多数扱ってきた瀬田貞二氏の翻訳です。優しさの中にも格調高い語り口です。
映画『ロードオブザリング』も大ヒットでした。『指輪物語』の前段『ホビットの冒険』も大成功でしたね。
(主人公のフロドは頑張りましたが、それ以上に従者サムが健気でした。)トールキンはこれらの物語を自分の子どもたちの寝物語として作り始めたといいます。壮大すぎてかえって眠れなくなってしまったのではないかしらん。
王道の「ファンタジー」世界を作り出したその原動力は、子どもたちのためにという思いからでした。
それにしても、世界観がまた途轍もなく壮大すぎますね。登場する種族の言葉から作り上げたといいます。言語学の教授ですから言葉に関しては専門だったようです。
出版されベストセラーとなり、米国では「ガンダルフを大統領に!」などという多くの声が読者から上がったそうな。指導者、統率者としての描写に強く憧れた人が多かったということでしょうか。

余談ですが、二度の結婚経験者のわたし。最初の指輪を捨て第二の人生を始めたわけですが、捨てるまでにはやはり山あり谷あり。火山めいたものも目の当たりにしました。
二度目の指輪はパートナーの亡き両親のものをリメイクしましたが、特に希望したわけでもないのに、製作者の好みで「指輪物語」仕様でした。
「どうですかこれ、あの映画に出てきた指輪と同じデザインですよ」
ドヤ顔、得意満面の製作者でした。
(また捨てることにならなきゃいいけどね。ちらりと脳裏をかすめましたが)
こちらは「すべてを統べる」永遠の指輪にしますけど。

ちょっと気になっていたことは、フロドが運んでいた指輪、初めの所有者とは体格的に大きく違うのに、嵌めたとき、よくすっぽ抜けなかったなということ。
数えるくらいしか指にしなかったけれど、最後は取り合って指まで噛みちぎられることになったのに、しっかり指にくっついていたのはやはり魔力のせいなのね。
とはいえ、指輪は権威の象徴だったり、愛の証だったり、幸運を運んでくるものだったりします。捨てることなく、奪い合うことなく、大事にしたいものです。

4 『ゲド戦記』三巻 ル・グウィン作/清水真砂子訳 岩波書店

『ゲド戦記』はⅠ『影との戦い』、Ⅱ『こわれた腕輪』、Ⅲ『さいはての島へ』が児童文学の範疇とされ、その後の『帰還』『アースシーの風』『ゲド戦記外伝』三巻は主人公ゲドの晩年や、それ以前の世界を描いた作品です。ⅠからⅢは、少年ゲドの成長、他国の巫女として神殿に仕えていた少女の解放、壮年期の賢者となったゲドとの関わりで成長していく若き王子を、それぞれ描いたものです。

この三巻は登場人物の内面の成長の物語ですが、学ぶことの難しさ、女性の解放、老いること、年長者と若者の関係性など、男女それぞれの、またあらゆる年代を通しての問題が丁寧に表現されています。
後の三巻では、死闘の末、魔力を失いただの人となったゲドの生活が描かれています。
賢者として世間に知られていたため、ただの人となっても好奇の目に晒されるゲド。故郷の山で畑仕事やヤギの飼育をしながらの生活を選びますが。
のんびり暮らすつもりが、よからぬ輩の登場でピンチに遭遇です。
静かな生活を望んでもそうそう、平穏無事にはいかないのが常です。
何をされても、何を言われても、慌てず騒がず抗わず、淡々としているゲドです。
そんなゲドを支えているのは、かつてゲドによって助けられた女性でした。
人生の締めくくりは、やはり一番信頼できる人たちと共に、というのが幸福なのです。夫や妻に限らず、友人隣人、仲間。お気に入りの書籍なども。

またまた余談ですが、『ひとりで生きられないのも芸のうち』内田樹・著
ずい分前に読んだこの本も確か、そんなことを書いてあったような気がします。
「ひとりで生きていくんだ」と覚悟を決めるのは大事です。同時に肩の力を抜くのもまた大事。
そういえば、昔、ずい分と年若い方に「人生で何が一番大事だと思いますか」と聞かれたことがあります。話の前後はもう忘れましたが。
そのとき私は、「覚悟をきめることだよ」と偉そうにいったのを覚えています。
覚悟は大事です。愛だの恋だの、経済的なことなんかの前段階に、とにかく「腹をくくる」って大事だと、そのときの私は切実に思ったのです。
それはちょうど離婚した直後のことでした。

ともあれ、『ゲド戦記』は、ジブリでアニメ化されましたが、原作者の意図とは大きく食い違っており、作者が激怒したという逸話もあります。『はてしない物語』のエンデも出来上がった映像を前に、差し止めの訴訟を起こしました。(敗訴でしたが)
作者の意図を汲めない者が、安易に手を加えるのはいけません。

ということで私の原点回帰の三作品を紹介しました。お粗末さまでした。
ご高覧たまわりありがとうございました。

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