0.5秒のドラマ…
リモート朝会での1コマ。
朝、わずか10分間で行われる朝会。この10分間を成立させるために、どれほどの準備、努力が存在するのだろうか。
この日は「図書委員会」「体育委員会」「児童会」から3つの発表があった。
図書委員会は、図書室の使い方を説明するのだが、プレゼン形式で行われた。美しくまとまったスライドを作成し、それに合わせてセリフを重ねていく。実際に体験したことがなければ、その大変さが伝わらないだろう。
体育委員会は次の月に実施される「大縄大会」の予告と注意点の紹介。こちらは3分間程度の動画にまとめられていたが、撮影に費やした時間はいかほどか。動画の編集も思っているほど簡単ではない。
児童会は、前の月に取り組んだ「思いやり」についての取り組みをさらに広げていこうという提案。朝会で話す内容を決めるのに1単位時間を費やした内容である。
練習は2日間連続で行われた。昼休憩に集まって当日と同じようにリハーサルを重ねる。都度、話し合ってブラッシュアップさせていく。
そして当日。
体育委員会の発表の時点でトラブルが発生した。体育委員会のスライドは2枚。1枚目「体育委員会」と表示されている間に、子どものセリフが入る。スライドを切り替えると動画が再生されるという流れだった。
トラブルはスライドチェンジの際に起こった。図書委員会が終わり体育委員会に移行した際に、誤って動画再生の画面まで進んでしまった。そして、動画の再生が始まった。
この間わずか0.5秒の出来事である。
担当の子は、このわずかな時間の間で「セリフをカットする」ことを選択、決定した。これは大正解で、その後何の違和感もなく、朝会が進んでいく。大英断である。
しかし、何度も練習したセリフが飛んでしまった事実は消えない。ショックだったろう。担当の子の目は潤んでいた…
朝会が終わり、私は彼女に声をかけた。
「ごめんね」
もちろんミスをしたのは私ではない。そんなことは分かっている。もっと言えば誰も悪くないのである。
朝会が終わった瞬間。わずか0.5秒。私も選択を迫られたのである。色々な選択肢はあったはずである。
思わず出てきた言葉が「ごめんね」だったこと。この意味は一体何か。今も考え続けている。