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「もう、やめんか」の父とスコアブックのぼく。

昨年の奮闘及ばず、今年はJ2で戦うことになった徳島ヴォルティス。1年でのJ1復帰を目標として掲げるチームは主力の大量流出にも関わらず、開幕で思いのほか完成度の高いパフォーマンスを披露した。

それでもそんなに甘くはない。ここまで勝ちはわずか一つ。前節まで無敗であったといえば聞こえはいいが、引き分け続きで勝ち点は積みあがらず。今節敗れたことでSNSを流れていくサポーターの声もフラストレーションに満ちたものが増えてくる。

別に珍しいことではない。毎年、誰がひいきにするどのチームにもいい時もあれば悪い時もある。そう、昔からずっと。

ぼくが小学生だった頃、Jリーグはまだなかった。当時のぼくが接する唯一のプロスポーツ、かつ数少ない娯楽の一つがプロ野球だった。おそらく父が観ていたのを横で観るようになったのが始まりだと思う。ほどなくして父と同じジャイアンツを応援するようになった。

1980年後半から1990年前半のジャイアンツはまさに「よかったり悪かったり」だった。2連覇した年もあったけど、10年以上ぶりくらいにBクラスに沈んだ年もあった。父もぼくもジャイアンツの勝敗や順位に一喜一憂する日々を過ごした。

父はジャイアンツの勝ち負けによって極端に不機嫌になるような、感情をコントロールできない人では全くなかった。そうはいっても、負け試合の後には「今年はあかんな」「〇〇や、使うけんじゃ」と悪態をつき、しまいには「巨人ファンや、もうやめんか」(阿波弁で”巨人ファンなんか、もうやめようぜ”の意)などとぼくに言うのだった。もちろん、父はそう言いながらでも明日の晩にはTVにかじりついて巨人戦を観ているだろうことは小学生のぼくにもわかった。それでも、自分が好きなチームを否定したり、見捨てるような言葉を聞くとかなしい気持ちになった。

ある時からぼくはTVで野球を観ながらスコアブックをつけるようになった。どんくさいし少年野球のコーチがメチャ怖いらしいから、絶対に自分でプレーはしないけれど、野球が好きで関連書籍を読み漁るというヘンな子供だったぼくは独力でスコアのつけ方を身につけた。スコアブックそのものも簡単には手に入らなかったので大学ノートに1ページずつ、自分で枠線を引いた。一度、大きな街のスポーツ用品店に連れて行ってもらった時に見つけたそれは豪華な革張りの装丁で4000円近くしたように思う。

毎晩TVの前で試合を観ながらスコアをつける。ピッチャーが投じたボールがストライクなのかボールなのか、打者の打席の結果はどうだったかなど、ひとつひとつ。いつまで続けていたのかは覚えていないけれど、ノートは何冊かになったように思うからひょっとしたら1シーズンを超えてやっていたのかもしれない。自分ながらなんでこんなことを続けたのか、よくわからなった。けれども、最近になってなんとなくその意味が分かるような気がしてきた。

おそらくぼくも自分の中のモヤモヤした気持ちを処理したかったのだ。父と同じように、だけれど父とは違う方法で。

ぼくだってジャイアンツが負けると悔しかったし、不甲斐なくみえた選手や監督にがっかりすることもあった。そういうモヤモヤしたネガティブな気持ちをなんとか処理したいとも思っていた。それでも、大好きなチームや選手や監督を否定したり、見捨てるようなことを口に出したくはなかった。代わりにぼくがしたのはスコアブックをつけることだった。なぜそれが気持ちを処理することになるのかについては、まだわからない部分はある。「データをとってそれを分析すれば、勝てない理由がわかるかもしれない!」といった問題解決型の前向きな考えだったのかもしれない。けれども、どちらかというと、事実をありのまま記録することで感情の動きそのものをコントロールしようとしていた、という方がぼくっぽい気がしないでもない。


ヴォルティスの試合について、いい時も悪い時も細かく分析をして、その内容をSNSやブログで公開してくれる人がたくさんいる。ひょっとしたらこの人たちと小学生のぼくも同じ気持ちだったのかなぁなどと考えたりもする。父のような反応をする人もいるだろうし、それは人それぞれでどちらがいいとか悪いとかはないんだろう。SNSを通じてぼくたちの声が直接選手や監督やチームの関係者に届きやすくなっているから、そのあたりは考える必要があるだろうけど。


父にスコアブックの代行をお願いしたことがある。試合が21時過ぎまでもつれこみ、今すぐにでも風呂に入らないと母親の雷が落ちそうになったのだ。簡単につけ方をレクチャーし、大急ぎで入浴を済まして出てくる。こんな短時間の間にどうやら選手交代があったらしい。スコアブックは・・と見てみると大丈夫、ちゃんとつけてくれている。ぼくが枠線を引いた大学ノートにはきちんと交代選手の名前が書かれていた。ぼくの子供っぽくて汚い字が並ぶそのページに、あまりに異質な達筆で書かれた「角」の文字は今でも頭に焼き付いている。

もっとも、父が名前を書いた対戦相手ヤクルトスワローズの交代投手、元ジャイアンツ稀代のリリーフエースを、その晩わが軍が打ち崩せたかどうかは忘れてしまったのだけれど。



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