スチャダラパー / ヒマの過ごし方 (1993)
ヒマはダメか?悪いのか?
この疑問に対して皆様はどの様に答えるだろうか。
「暇つぶし」「暇人」「暇を持て余す」
まず良い様には捉えられない。
この疑問に対して明確な答えを出してくれた3人組がいる。そう。『スチャダラパー』だ。
・スチャダラパーとは
スチャダラパーは1998年に結成され、高木完プロデュースでデビュー。MCのANI、BoseとDJのSINCOからなる3人組のヒップホップグループ。
いとうせいこうやシティボーイズ、竹中直人などが在籍していた演劇ユニット『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の公演名「スチャダラ」と「ラッパー」を足して"スチャラカでスーダラなラッパー"から。植木等からの影響もかなりあってスーダラ節からの由来でもある。
「ひらけ!ポンキッキ」から「ポンキッキーズ」に変わった94年頃にBoseが出演して知ってる方も多いと思う。この頃はピエール瀧や安室奈美恵も出ていて、今考えると凄いキャスティング。オープングの曲もスチャダラパーの「GET UP AND DANCE」の替え歌ですしね。
このイメージやバカ売れした小沢健二との「今夜はブギーバッグ」のイメージから「ヒップホップじゃ無い」とか「セルアウトだ」「軟弱だ」等のイメージを持たれる事が多い。かく言う自分も昔はこのイメージだった。
・90年代、日本のヒップホップ黎明期
この80年代後半から90年代、特に海外ではハードコアでマッチョなやつがメイクマネーする音楽と言うのが主流だった。
N.W.A.の1988年のデビューアルバム『Straight Outta Compton』はストリートのヴァイオレンスをハードかつリアルなスタイルで表現していたが、彼らをはじめとするギャングスタラップグループが成功を収めたり、セカンドアルバム『Efil4zaggin』が全米アルバムチャート1位を獲得していた。
メンバーだったIce Cubeのソロアルバムも商業的に成功したり、Dr.Dreも脱退後にSnoop Dogを見い出しプロデュースをして、その後大成功を収めていたりアンダーグラウンドだった文化をメインストリームに押し上げた偉人。
また2pacとThe Notorious B.I.G.の東西の抗争があって(諸説ある)死人が出たり。そう言うかなりハードコアな人達がメインストリームな時代だった。
日本でもここまでは無いにしてもハードコアなスタイルが多かった。
・スチャダラパーと言う異質な存在
"ヒップホップは硬派であるべき"みたいな考えが当時あった様に思う。それ以外の者は前述した様に「セルアウト」「ヒップホップじゃ無い」「偽物だ」みたいに言われていた。
自分も同じ様に思っていたと書いたが本当にそう思っていた。これはJ-POPだと。こんなポップな曲は聴いていられないと思った。
そんな事には耳も貸さずに我が道を行っていたのが『スチャダラパー』
あから様に異質な存在だった。対照的だった。
後から知った事なのだが、それもそのはず。前述した様に、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」などの演劇シーンや、インディーズレーベル「ナゴムレコード」やお笑い、ゲームからかなり影響を受けており、日本のサブカルチャーの文脈が結合した「オモロ・ラップ」を提唱しシーンに登場していたからだ。
そこに、「A Tribe Called Quest」や「De La Soul」と言う"ネイティブタン"と言われるヒップホップグループの影響が加わっている。後に「De La Soul」のアルバムに参加する事になるのが凄い。
そんな異質な存在を毛嫌いし、ヒップホップじゃ無え!と何も知らずにイキがっていた自分が今回の「ヒマの過ごし方」と言う曲に出会って衝撃を受けた。いやいや!この人達天才やん!!と今までの印象とは真逆になったのだ。
・ヒマの過ごし方の妙
20代前半に「キングギドラ」や「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」等を聴いていた自分がスチャダラパーの事をヒップホップじゃ無いとイキがっていた時、とは言え一度は聴いた事がある名前だし聴いてみようと思ってあれこれ聴いていた。
そんな時に出会ったアルバム「WILD FANCY ALLIANCE」(1993)の「ヒマの過ごし方」を聴いてカルチャーショックと言うか鳥肌が立った。自分のヒップホップの概念を覆された。衝撃的だった。
冒頭にも書いた「ヒマはダメか?悪いのか?」と言う疑問に対してBoseなりの回答をしている。これを聴いてクスッともしたし、確かに!とも思った。それをラップにすると言うのも秀逸過ぎるし、これこそが本来のヒップホップだと思った。以下、一部歌詞を引用して自分なりの解釈を書き記したいと思う。
"辞書でヒマってひいてみた
これもまあ ヒマのなせる業"
もうのっけからやられた。確かにそうだ。ヒマだからこそ出来る事だ。
"ヒマ=自由な時間 仕事や
義務に拘束されない時間
確かに その人にしてみれば
ぼくはヒマに違いなかったが
その間ぼくはテレビを見たり
ファミコンしたり本を読んだり
時間について考えたりしながら
ぼくはぼくのヒマを過ごしていた"
いやもう屁理屈の域だ。良い様に書いているがただダラダラしているだけだ。でもそれが良い。それで良い。それこそが「ヒマの過ごし方」なのだから。
"何もしないでいられないのだろう
何もしない不安それは何だ
恐いのはただただある時間
縮める事も のばす事も
ましてや 消すことも不可能
すべてのものに同じだけの
時間が与えられてるとしよう
そうなってくると 恋愛 ファミコン
仕事 その他諸々
かなり思いがけない事だが 人は
必死で ヒマをつぶしてるだけだ"
これこそが真理。皆必死でヒマを潰しているだけだ。もっと言ってしまえば人生その物が「暇つぶし」なのだ。それは仕事も遊びも変わらない。哲学的で文学的。Boseさん、、、シビレルぜ。。。
"んーっじゃあ ぼくらみたいな
ヒマに見られがちな人達が
見下されてる気がするのは
どういう事だ?
パッと見 生産的なもの以外は
無用だとでも言うのか
あんまりだ そりゃちと強引だ"
そう。仕事も遊びも恋愛も何もかもが「暇つぶし」なのにヒマそうな人は悪だみたいな風潮がある。この暇人が!くらいの勢いで蔑んで見られる。生産的な事も非生産的な事も「暇つぶし」なんですよ。
"本来 ヒトはヒマだった
そして それを受け入れる事が出来た
世界中のいたるところ その足あとを
見つける事が出来るだろう
大仏 ピラミッド
巨乳 万里の長城
この世の多くデカいものの
発想自体 ヒマのたまもの
地図を作ったやつのゆとり
なみたいていのものではあるまい
うるう年に気づいたやつの
ヒマさかげんを想像してみろ
また かつて海の塩分を
1パーセント上げようと
何千トンもの塩をあつめた
男がいたとかいないとか
ほかにも奇行愚行の結果
最終的には何も残さなかった
多くの愛すべきヒマ人たちが
いた だろう たぶん な!!"
うわぁぁぁぁー!!!!目の付け所!!!そして韻も踏みつつなのが妙。本当にその通りで、大仏やピラミッド、巨乳、万里の長城。どれもヒマの潰し方の最上級みたいな物だ。これらを見つけたのも作ったのも他にやる事が無くてヒマ潰しの為にやった事に違いない。(偏見)
正直、無くても困らない物だらけだ。閏年に気付いたやつなんて全くその通りでどうでも良い事だ。一日多い日があったからと言ってどうと言うのだ。正にヒマの賜物である。
"これらの事からもハッキリ言える
今の人がヒマを受け入れる事が
出来なくなりつつあるなら
それは能力の減退だ
減退はいかん くいとめるのだ
ヒマ人どもよ立ちあがる時だ
ヒマを見つけて ヒマを知れ
ヒマを生きぬく強さを持て
一生 棒にふるぐらいの
ヒマと ゆとりを持って進もう
人の数だけヒマはあるのだ
それこそあたりまえの事なのだ
Easy"
そして、ラストにこんな植木等ばりの無責任な事を言うのだ。でも「一生を棒に振るくらいのヒマとゆとりを持って進もう」と言うのも広い目で見るとそうかもしれない。意味があろうが無かろうが、それくらいに好きな事に熱中しろ。と言うBose氏からの応援なのでは無いだろうか。そして、最後にヒマを持て余したANI氏が「Easy〜」とだけ歌う。
カッコ良い。カッコ良過ぎる。シビれ上がった。普通の人はこんな簡単には考えられない。どうしても小難しく考えてしまう。小難しく考えて悩み苦しむ。でもスチャダラパーの3人は飄々としていて終いにはEasy〜と歌う。簡単な事だと。もはや達観していて神の域なのかと思ってしまうほどだ。
ヒマは良い。ヒマは悪く無いのだ。
・スチャダラパーから学ぶ人生
このアルバムは特に人生観を学べるアルバムだ。
M4「Protect Him」は物欲が止まらないやつの話。「持ってても買う人のまで買う」とか「あいつでもこの前募金してたよ」とかいちいち面白い。「欲求のはずが義務に変わり」は物質主義への警告。本当に欲しいものなのか?考えて買わなければならない。
M7「後者 -THE LATTER-」も天才の発想。
ちょっと言葉が違っただけで全く意味が違うって話。
「竹を割ったような性格 竹を割るような生活」
「活字中毒 ただの中毒」
「月収100万 年収100万」
「今を生きる人 ヒマを生きる人」
とかちょっと言葉が違っただけで意味が真逆になる。犬が好きだワン、猫が好きだニャンとかふざけたりしてニヤリとしつつも言葉の使い方とか言い回しには気をつけようと考えさせられる。
M8「ついてる男」もめちゃくちゃ秀逸。
1番と2番のストーリーの展開は全く同じなのだが、その人の捉え方によって全く見え方が違うという物。何事もプラスに前向きに考えようと思わせてくれる。更に言うと、トラックもそれぞれ変えていると言う拘りよう。
こう言う事されるとそりゃあ好きになっちゃいますよね〜
そしてラストの「彼方からの手紙」も哲学的で文学的で映画の様で聴いていて心地良い。
直接的には描いていないが生や死がテーマなのかなと思う。川と海が繋がっているのか確認しに行こうと見に行って、川の始まりが気になりまたぐるりと戻る。最終的には川の事なんかは忘れて、お腹が空いてご飯を食べに行く。
白昼夢の様な、この世とあの世の境の様な。Boseが亡くなった設定なのか、あいつがもう居ないのか。どちらか分からなくなる。人生とは?そんな壮大な事まで考えさせられる。今まで散々ふざけていたのに急にラストで真面目な事を言う。これこそがスチャダラパーの醍醐味。これこそがヒップホップ。そんな魅力が沢山詰まった1枚である。
・スチャダラパーの魅力
何故ここまでスチャダラパーにハマるのか?何故スチャダラパーがこんなにも魅力的なのか?それは音楽からだけでは無く、演劇とかからも影響を受けているからに違いない。
だからこう言う面白い発想、当時誰もしてない様な発想やセンスになるのだろう。それこそがオリジナルになる。
「音楽をやるから音楽だけを聴く」とか、「演劇をやるなら演劇だけをみる」とかそう言う一つだけに捉われてはいけないと思わされた。
そして、見た目のカッコ良さやインパクト等の表面的な所で勝負するのでは無く、面白い事をやって中身がカッコ良いのが本当にカッコ良いんだとスチャダラパーは教えてくれました。
スチャダラパーのこの思想はかなり今の自分を構成する上で重要な要素になっていると、これを書きながら改めて思った。古着、洋服に置き換えると正にスチャダラパーと同じ考えだ。
見た目のカッコ良さやインパクトじゃ無いし、古着屋だから古着だけ見たり買った着たりすれば良い訳ではない。それではオリジナルにならない。音楽や映画、演劇、お笑い、ゲーム等を観てやってそれを古着と組み合わせてオリジナルにしていきたいと強く誓った。
そんな大好きなアルバムの大好きな曲からこのnoteのタイトル【lodgeのヒマの過ごし方】も拝借した。これらのスチャダラパーの思想をこれから勝手に継承していくだろう たぶん な!!
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