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これまでと、これから。

Twitterの方で私をフォローしてくださる方などに向けて、自己紹介になればいいなあという意味で一本書きたいと思います。想定よりも長くなってしまい恐縮ですがよろしければお付き合いください。

1.何者か

改めまして。某国立大学3年生のバッタと申します。国際社会学というものを専攻しております。

所属団体は、一応今はほぼ無所属です。というのも、今月から日本の移民問題に取り組む団体にゆるっと参加させていただいているのですが、コロナのこともありそこまでコミットできてないので、、。

以前の所属先としては、大学1年生の秋から大学3年生の春まで約1年半、フィリピン・セブ島でボランティアを行う学生団体に参加し、そこそこコミットしてきました。そのため、Twitterの方ご覧いただくと旧所属先の投稿のRTで溢れております、、申し訳ないです、、(汗

2.核廃絶

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社会課題に関心をもったきっかけは、10年以上前の小学2年生にさかのぼります。

転校した学校でいまいちクラスに馴染めない(?)なか、教室の向かいにあった図書室で何気なく手に取った「はだしのゲン」。これが私のその後の人生の方向性を決定づけました。

全10巻中なぜか第2巻以降しかなく、ほぼ一枚目からキノコ雲の描写という、なかなか衝撃度の高い体験でした。日本にこんな過去があったこと、広島の人々が苦しみながら亡くなっていったこと、その上に築かれた今の「平和」。当時9歳の自分が何を感じたのか、明確には最早覚えていませんが、とにかく強いインパクトを受けました。

そして小学3年生で中沢啓治さんのその他の著作も読むようになり、その中の一冊に「広島カープ誕生物語」がありました。原爆から立ち上がる市民の復興の象徴として生まれた市民球団広島カープに、当時の私は心を持っていかれました。一応父親が高校球児だったこともあり、小1の頃からたまにプロ野球を観に行ったりしていましたが、これといったファン球団はなかったのです。ここからカープファンとしての人生が始まります。

小5で初めて広島の地を踏み、中2まで4年連続通い、高1からは一人で年一回マツダスタジアム観戦がてら広島を訪れるようになりました。「戦争はダメ」「原爆はダメ」そういったマインドがこの10年間弱私を貫いていました。将来の秘めた夢は「核廃絶」でした。小学校の時の自己紹介カードでは毎年「ノーモアヒロシマ」などと書いて他の児童を困惑させていました笑

残念ながら情報収集力の不足で、高校生平和大使などの存在も毎回募集終了後に知ったりする有様で、計8回広島を訪れ慰霊碑に黙祷を捧げ毎回資料館を他の客の10倍かけて回ったほかは、具体的な活動には踏み出せないままでした。この間、高校の修学旅行で長崎も訪れる機会を得ました。


3.国際協力

2019年夏 ヴィラ班_191019_0215

高校3年生の進路相談で、大学の先の進路を聞かれたときに、「何かしらの社会貢献」という答え方をした気がします。要は、「核廃絶」の非現実性というか、にうすうす気づいていて、でもそれを口には出したくない状態。世界の不条理を何か変えたいけれど、特に定まっているわけではない。そんな状態に自分がいることに初めて向き合いました。

第一志望としたのは社会学部。政治から開発から文学、スポーツまで、幅広い分野を学べることを売りにしています。一方、国際安全保障であるとか、そのような分野が属するのは志望大学の場合、法学部でした。この時すでに、10年持ってきた想いを諦める覚悟はしていたのだと思います。

大学に入り、次に自分が向かったのは「国際協力」でした。なぜ国際協力か。端的に言うと、「とりあえずどの分野の社会貢献が自分に向いているのか、試してみないと始まらないから」「トランプやら習近平やらプーチンやらに圧力をかけて動かさないと実現できない核廃絶よりも、草の根の国際協力の方が結果が出やすそうだから」この2点かなと思います。関係者からお叱りを受けそうです。

そして、前述の通り約1年半、国際協力の現場に触れていました、皆さまが「学生団体」にどのようなイメージをお持ちかわかりませんが、私の所属先はなかなかのガチな団体でした。普段RTしている投稿のアカウントをご覧いただければと思います。

しかし結果的に、国際協力というか途上国支援からはいったん離れることにしました。

4.国際社会学

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国際社会学との出会いは本当にたまたまで、2年生の春学期に社会学部で開講されていた唯一の「国際」と名の付く科目を取ってみたら、案外面白いじゃないかっていって、のめりこんで今があります。ついでにいうと、本学が日本で国際社会学のメッカ的存在らしく、愛校心の強い私としては、「この出会いは運命なんじゃないか」と思い込んだ節もあります。さらに、一応「社会学」を標榜しつつ実質「社会科学部」的なテイストが強い中で、少しくらい社会学っぽいこともしたいな、、というのもありました。

ところで、「国際社会学」という分野の知名度が絶望的に低くて、、、なのですが、一応申しますと「国際社会・学(International Studies)」ではなく「国際・社会学(Transnational Sociology)」です。これで雰囲気伝わるでしょうか。

この分野のどこに自分が惹かれたのか。端的に言うと、「日本の中にある国際問題」の存在に衝撃を受けた、ということがあります。

具体的に言うと、途上国との経済格差のために日本に止む無くデカセギに来ている人たちを日本政府や社会が冷遇しているということに憤りを感じたり、日本の難民認定率が0.2%というあり得ない低さであるということに衝撃を受けたり、といったことがあります。

同様のことが欧米など世界のいたるところで起きていて、日本も場合によっては他国と同様の過ちを起こす方向に向かっている、ということも衝撃的で、何とかしなければ、という思いを強くしました。

1年半学生団体で活動する中で感じたのは、「国際協力」などと偉そうに言うけれど、どうせ自分は日本語しか満足に使えないし途上国の実情も全然わかっていない。そんな中で活動して果たして意味があるのか、場合によっては害にさえなりはしないか。

「むしろ、日本国内で例えば途上国の人が、経済格差を埋めるべく働きに来ているのに、その人たちを抑圧したり無視したりしている、これを放っておいていいのか?ともすれば、国際送金こそ最大の貧富格差縮小策なのではないか?」

「日本社会に貢献してくれている海外の人々を無下に扱う、こんなことを日本人として許していいのか?日本社会の一員としてこの現状には責任を持つべきではないか?」

このように考えて、去年の夏ごろから自学をはじめ、4月から本格的にゼミに入れていただき、さらに学びを深めているところです。

一方で、学生団体の活動を通して、自分が本当に社会貢献を軸に据えてやっていくのが性に合っているんだな、というのを確認することもできたので、意味のある1年半だったなとも思っています。

5.将来

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このnoteの他の投稿を見てもらえればお分かりになるかと思いますが、現在私は就活するのかどうかの狭間で四苦八苦しております。もともと今夏よりイギリスに交換留学予定だったのが、コロナの影響で当面延期になった、というのもあります。

ただ、自分としては、この「日本の中の国際問題」を放置したまま一流企業で年収一千万超えて喜んでいる、幸せになれる自分が到底想像できないので笑、当面は勉強と、あと実際に行動に移すということも、コロナの下ではありますが進めていきたいと考えています。

今現在自分はこの移民現象が世界中に様々なレベルでもたらす多くの影響に、圧倒というか魅了というか、されているところであり、これ以上絞ることはできていません。

実際には、ここからも無数の選択肢があります。例えば、より移民を受け入れるような法改正を目指すのか、自治体レベルの多文化共生の実務に関わるのか、などなど。これに関しては、今後学びを進めていく中でゆっくり考えていければと考えております。

ただ、「日本にこんな過去があった」という点での核問題、「日本にこんな現実がある」という意味での移民問題、いずれを見ても、日本人であるというアイデンティティ的なものは自分の中でかなり大きな意味を持っているのかな、と感じています。

6.最後に

さて、長くなりましたがこれで自己紹介とさせていただきます。もし最後までお読みくださった方がいらしたら、ありがとうございます。今後Twitter等も含め、ご縁がありましたら幸いです。日本の移民問題に新卒で関われる事業に取り組まれている企業様いらっしゃればぜひオファーください笑


p.s. 最近はガールズバンドにお熱です。

https://www.youtube.com/watch?v=DEgTUrLUbe8&t=48s


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