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終わる世界の終わりなき日常――#3 死と境界 灰ミちゃん


静まりかえった新宿で何人かの男の人と寝た。身体を売った。 


新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中を襲ってからもうどれくらい経っただろうか。日本においても4月7日より緊急事態宣言が発令され、人同士の接触を控えるため外出の自粛が要請されている。
いつもは賑わっているこの街が静まりかえっていることが可笑しくて、すこしだけ美しいと感じた。
飲食店や百貨店は全てシャッターを下ろし、ショーウィンドウ越しにファストファッションを身に纏ったマネキンが静かにポーズを取っていた。
都知事の姿が街頭ビジョンに映し出されて外出の自粛を要請していた。
人通りは疎らだ。同業者らしき女の子が歳の離れた男の腕に抱きついているのが視界に入った。
「あなたが外出しないことが大切な人を守る一歩となります」
感染を拡大させないための倫理的で合理的な要請だった。
けれど、誰もが簡単に休めるわけじゃない。わたしはただの学生のバイトだから、本当の意味での緊迫感はないかもしれない。では、例えばあの同業者はどうだろうか。そんなことを思っていると二人はもう何処かへ行ってしまっていた。
みんなが感染を恐れていた。
公と芸能人による外出自粛のプロモーション。インターネットでの相互監視的状態。
「密閉、密集、密接の三密を避けましょう」
わたしはその全てを満たしていた。みんなにバイキンみたいに扱われるのかな、と思った。いっそのことそれでいいのかもしれない。

思えばわたしは常に性感染症という病の可能性とともにあった。100パーセント安全なんてないということはないとわかりながらも粘膜の接触には常にある程度の注意を払っていた。定期的に検査を受けていた。
今回の自粛要請は全くもって正当なものだろう。けれど、一方で、人と人が触れ合うということに完全な安心というものはそもそもない。
わたしはそのことをどこかで知っていた。
毒毒しい照明のホテルでマスクを取り、手を洗いながら、この人が感染していたらわたしも患者だな、と思った。

終わる世界の終わりなき日常。
世界が大きく変わるかもしれない状況が到来している。
ポストコロナの世界。世界は終わるし、もしかしたら日常も終わるかもしれない。その世界でわたしはこの生活を続けられるだろうか。その世界でわたしは感染することなく、感染させることなく、生きているだろうか。
思えば「終わりなき日常」という言葉と共に援交少女を論じ有名となったある社会学者は、性感染症についてはほとんど語っていなかった。あの時代から、はじめから、そしていつでも、終わりなき日常は不意に終わる可能性があったのだ。
そしてあらゆるコミュニケーションや活動とは常にあらゆる意味で感染と死の可能性に晒されている。それはウイルスや細菌だったり、あるいは言葉によるものだったりする。完璧な安全の保証などどこにもなく、だからこそ、逆説的に、完璧な安全の保証とは死に他ならない。
生は常にある程度の死に晒されることと共にある。



最近は家のピアノで作曲をしたり、料理を作ったり案外悠々自適に生活している。あくまでわたしは音大の大学院生で、夜の世界で生きているのは休日だけで、だから、本当にその世界だけで生きている人たちの今の苦しみはわからない。

大好きだった男の子から電話が来たけれど出なかった。
人と会えないのは寂しくなかったけれど、会えなくて寂しいと思える人がいないことは寂しかった。

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