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徒然なるままに:日本文明

自然農の小川誠さんの記事から・・・

見えてきた日本文明、危機の本質
正月なので、明治維新以降の日本文明を論じてみたいと思います。
富山和子著『水と緑と土』は現在政府が行っている治山治水事業は根本的に日本の風土の特徴を無視しただけでなく、ヨーロッパの学問の上っ面だけを学んで実施したものだと厳しく指摘しています。
明治政府はご存じの通り、欧米から様々な分野の専門家を招いて、西欧の制度や資本主義に基づく国作りを進めました。そのやり方は「和魂洋才」と呼ばれました。私も学校で学んだときは素晴らしいなあと感動したのを覚えています。
日本人が縄文時代の昔から営々として築き上げた文化は、世界中のどこの文明とも違う、独自の文化で、それを「日本文明」と呼ぶ歴史学者もいます。日本文明は日本の風土と表裏一体となって発展した文明で、極めてエコロジカルな循環文明でした。それは日本の外部から何も輸入しなくても成りたっていた完璧な自給自足社会で、江戸時代には安定して3000万人を養い、世界的に見ても高度で豊かな日本民族の文化の花を咲かせたのでした。 西洋から見れは、それは洗練された精神文明でもありました。
明治政府は、欧米に追いつくために「和魂洋才」でがむしゃらに日本の西欧化を推し進めたわけですが、150年経った今、振り返ってみると、「和魂」は切り捨てられて、さりとて、西欧魂を養ったわけでもなく、第2次世界大戦以降は、アメリカに恋い焦がれて、アメリカ流の物質文明をがむしゃらに取り入れてしてきましたが、そこでも「アメリカ魂」を吸収たわけでもありませんした。仮に、もし、日本人が西洋魂やアメリカ魂を養ってきたなら、個の確立や個人の自由、そして基本的人権をもっともっと尊重する社会を作っていたことでしょう。
そのような態度が明治以降の治山治水事業にも顕著に現れました。その上っ面の技術だけを真似をするという愚を演じてきたのです。
そうして、結果的には、自身の魂を感じることのできない「接ぎ木民族」となってしまったのです。
どういうことでしょうか。
たとえば、みなさんが今食しているみかんは全身がミカンではありません。そのほとんどは苗木がカラタチです。その茎にミカンを接ぎ木してミカンとして育てているのです。 ミカンは自身のルーツ(根っこ)がカラタチであるこ知っているのでしょうか?現代日本人もこのミカンと同じような状況にあります。
明治維新以降、日本人は「和魂」という苗木にまずは西欧文明を接ぎ木し、戦後は、その上にさらに「アメリカ物質文明」を接ぎ木して、それを育ててきたのです。そして、物質的には見事に大木に仕上げて、豪華絢爛な花を咲かせることにも成功しました。しかし、その過程で、自己のルーツ(根っこ)である「魂」がなんであったか、どこにあるのか、すっかり感じられなくなってしまっているのです。それが「接ぎ木民族」となった現代日本人です。「接ぎ木民族」は魂の抜けた民族です。
民族の魂はその文化伝統、そしてとりわけその風土から無尽蔵のエネルギーを吸収して、それを生きる原動力とするのですが、「接ぎ木民族」はそれができません。だから、自分の国を愛することができません。自国の文化や伝統を誇りに思うことができません。命賭けで自分の国を守る気概がありません。
一体どうしたらいいのでしょうか?

日本を護る  日本を愛する ・・・

それは決して武力では叶わないことは、この2000年間で何度も何度も証明されてきたことです。

縄文時代は1万年以上続きました。その間、戦いも貧富の格差もありませんでした。
一万年の間、大陸からも、海からも、渡ってくる人たちが絶えずいましたが、みんなを無条件に受け入れ、先住民も新参者もすぐに同じ村人になっていました。
お釈迦様やイエス様が説かれるずっと前から、慈愛と慈悲と森羅万象への感謝に満ちあふれていたのです。

戦いに明け暮れ疑心暗鬼のまま日本にたどりついた人たちもいたことでしょう。
でも、人間同士です。
疑心暗鬼は慈愛と慈悲と感謝に包み込まれて、やがて消えてしまいました。
気がつけば、ちょっと毛色が違うだけの同じ村人となっていました。

戦はないけれど、天地が動乱する天災はありました。時には村が全滅することもありました。
でも、それを含めて 平和 でした。
すべてが天地自然の理のままだったから。
生老病死も天地自然の理の一コマに過ぎなかったから。

だから、そんな縄文時代には宗教はありませんでした。
天地自然に感謝すること、森羅万象を慈しみ愛することは、今日、自分が生きていること、大切な人も生きていることと同じくらい当たり前なことだったからです。

誰もが天地自然と戯れ、森羅万象の声を聞くことができたので、グルもヒーラーもいませんでした。

これが「日本文明」です。

何度も過去生や神々との対話を通じて、そんな縄文時代を見てきました。

そんな「日本文明」のDNAは、かろうじて今の日本人の血の中に残っていることも知っています。

今年の元旦三が日が明けた頃から、日本中の神々が動き始めました。
常世の神々も黄泉の神々も一斉に・・・

もし「接ぎ木民族」がなぎ倒されたり焼き払われたりしても、「日本文明」の種はきっと新たな大地に芽生え、美しく花咲くことを神々はよくご存じです。

そんな近未来のビジョンもチラッと夢ヨーガの中で見せていただきました。

一体どうしたらいいのでしょうか?

私からのお答えは・・・
まず「日本文明」の原点 縄文時代を自分の目で見てみましょう。

見ているうちに、自分の血の中に受け継がれてきた縄文のDNAが蘇ってきます。
やがて「日本文明」の花が自分の頭上に咲くでしょう。

https://note.com/locates/n/n44e1a39545a9


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