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東洋医学の溜息

7年前の記事から・・・

おはようさん 2013.6.14.
東洋医学と触れあって、もう25年経ちます。
きっかけは、入局した関西医大脳外科の教授 松村浩先生が外来で漢方を使っていたことでした。
もちろん、その時は なんでやねん??? でした。
診察の記録係に付いた時も、さっぱり意味不明なまま処方される漢方を書き留めてました。
教授が言うことは絶対・・・ですからね。
思えば、ほとんどのドクターにある漢方アレルギーは、あの頃に慣らされてしまったのです。
脳外科専門医となって、香川の民間病院へ出向した時、ちょうど東洋医学会の専門医制度が始まって、内科系の先生たちが漢方の知識なしにわーっと専門医登録してました。
ツムラのMRさんに「先生もどうですか?」と誘われて、嫌いじゃなかったので駆け込み登録しちゃいました。これが25年前の漢方医の第一歩でした。
専門医になると当然、東洋医学会に参加しなくてはいけません。
脳外科学会は最先端な研究や手術方法のオンパレードで息をつく余裕もない感じでしたが、あの頃の東洋医学会は「こんなんで効きました」な一例報告が多くて、そのギャップがやけに楽しくて、ワクワクしながら聞いていた覚えがあります。
何年か毎にやってくる専門医の更新で、わーと駆け込み専門医になった先生たちは、どんどん脱落されていきました。
10数年前からは、専門医更新時に漢方治療した症例100例を提出し、その内の20例?は詳細な治療レポートの提出が義務づけられています。私も2回、このシビアーな更新を経験しましたが、日常外来でしっかりと漢方治療していないと、とても書ききれないレポートです。
だから、今、漢方専門医(昔の東洋医学専門医)の先生は、安心して漢方治療の相談ができると思います。
さて、25年前に東洋医学専門医になって、20年間は日本漢方的な処方をしていました。
多分、今の漢方専門医の多くは、日本漢方的処方をされていると思います。
その処方方法とは、ツムラや厚生省・健康保険のレセプトチェック的な「この症状・病名→この漢方」という普通のお薬の処方ととても似た思考アルゴリズムではじき出される漢方処方です。
もちろん、傷寒論などを徹底的に弁証して処方されている先生がたもおられますが、アトピー・ジクジク・熱感・手足・・・などを検索にかけて、ポン!と出てくる漢方を処方する先生方もよく見かけます。
東洋医学会も論理的・実験的確証とエビデンス主体の潮流には逆らえず、面白い一例報告は姿を消してしまい、解釈や経験値で処方が変わってしまうことの少ない(保険診療にとても合致した)日本漢方的処方が主になってきたように感じます。
(これは脳外科学会でも同じことで、すべては厚生省官僚への全面降伏のなれの果ての姿・・・です)
この5年間は、中医学の弁証論的処方をこころがけるようになりました。
きっかけは・・・忘れてしまいましたが、お茶のお稽古に行っていて、やっぱり生だよね・・・なんて思ったことでしょうか・・・湯液に興味が湧いてきて、調べてみると、近くに一件だけ湯液処方に全面的に応じていただける漢方薬局さんがあったことも大きかったです。
患者さんの証を読む、目の前にして考えることが、医療としてとてもこころにしっくりと来たからでしょう。ずっと中医学の勉強会へ参加し続けてきました。
語学を学ぶのと同じで、5年もすれば、さすがにいろいろと分かってきますし、それなりに使いこなせるようになってきます。
知識云々ではなく、身体とこころとその病気が中医学的弁証のXYZ軸の上に、もわっと浮かび上がってくるのが直感的な感性で見えてきています。
脈診を介して、その病気のもわっとしたエネルギー体と繋がり、お話している感じです。
病気は、どうしたら治るのか?をけっこう素直に語ってくれます。
ただ、目の前の患者さんは絶対にそれを受け入れない・受け入れられないことの方が多いのも事実です。
性格的なもの・恨み・憎しみ・悲しみ・不安・欲望・・・
手放せないんですよねぇ。向き合うなんてとんでもない。。。だから治らない。。。
そんな八方塞がりなところで、まさしく鍼灸が現れてくれたのです。
もちろん、鍼灸でも、病気の根源は手放せませんし、向き合いもできません。
ただ、気が巡ることで、とりあえず目の前の病気を飛び越えることができます。
どうせ、次の病気が立ちはだかるさ・・・そうかもしれません。
でも、ともかく今は樂になれます。
笑顔が戻ります。
人生なんて、それでいいんじゃないのかなって思います。
人生は学びだ。魂のステップアップだ。
それもいいかもしれませんが、それだと壁にぶつかったまま、にっちもさっちもいかなくなってしまう人たちも多いのです。
輪廻転生しようがしまいがいいじゃない。
この人生を生きているのが今の自分なんだから、やっぱり笑顔で楽しみましょうよ。
過去も未来も考えたって、心配したって、どうしようもないんじゃないの。
今を生きるのが一番大切なんだから。
それしかないんだから。
東洋医学の源は、そんなことを呟いているように思います。

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