気づかないうちに当たり前は変わっていく
食洗機、壊れる
最近、家の食洗機がぶっ壊れました。
機械のどこかに食べかすが詰まってみたいで、水が噴射されなくなってしまいました。
本来なら修理に出すべきところ。
だけど、我が家は引越しが1か月後に迫っています。食洗機は引越しのタイミングで粗大ごみにする予定だったので、泣く泣く食洗機なしの生活を始めることになりました。
大量の食器を手洗いするようになって感じるのは、食洗機の偉大さ。かつては、こんな一つ一つ洗ってたんかいなとウンザリしています。
「現代家電の三種の神器」とはよく言ったものだね。使えなくなって初めて、その便利さに気づかされました。
身の回りのテクノロジー
私たちの生活は、さまざまなテクノロジーに支えられています。そして、その便利さは当たり前になっています。
昨日、久々に友達と飲みに行きました。
酔っ払ってとっても楽しかったです。
友達が1人早めに帰ったんだけど、払いそこねていた飲み代は、翌朝にペイペイ一発で精算できました。「次会った時に渡すね」というやり取りも、テクノロジーの力で今や不要になっていたんだね。
テクノロジーが変えるもの
便利になることで、失われるものもあるんだね。失われることが、時にはちょっぴり寂しいこともある。
「次会った時に渡すね」というやり取りがなくなっても特に寂しくはありませんが、かつてよく見た当たり前が、気づかないうちに、いくつも失われているんだろうな。
それでも、僕たちはその寂しさにほとんど気づくことなく、立ち止まることなく、どんどん進んでいく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?