赤色のワークス

アルトワークス。スズキの車でとにかくバチクソパワーのあったエンジンで軽自動車にしては気合の入った車。
これの赤色が中島家での愛車だった。ライトのお目目がまんまるのやつ。
俺が生まれる前から存在したその赤色のワークスはハンドルは木目のやつに取っ替えられて走ればターボついてるからお前大丈夫か身体ってくらいの加速で走っていた。そうだアレは二代目のワークスだったと思う。新古車で買ったされるその車はおかんの車で車屋に騙されたのかおとんが乗るとこれ事故車やんけとすぐにわかったらしい。あとクラッチの遊びが全く無く、誰かが車動かしていいですかと聞いてクラッチの事を伝えても一度二度エンストする頑固一徹な車。エンストはめちゃくちゃあった。交差点でもバキバキエンストしてた。が、いや俺いまエンストしました?屁こきました?みたいな顔して颯爽とクソ馬力で走る車。逃走車。

所謂ひとつの貧乏家庭だった俺はこの車でドイツの森とかドイツの森とかドイツの森に連れて行かれたのをよく覚えている。この車内で無限に大黒摩季がらららを歌い続けていたのを覚えている。
なーんでか知らんけど、この車をなーんとなく好きでいて、多分俺は昔からルパンが好きでアニメに出てくるフィアットみたいに小さいが異常に走るこのワークスにシンパシーを感じていたのかもしれん。友達の家がでかい車だろうと2台持ちだろうと何も思うことはなかった。
気づけば俺の家も2台持ちになっていて、ワークスと白のアトレーワゴンになっていた。
子供が大きくなって、弟もいたから自然と家族持ちの車はスライドドアになる。そういう理屈だろう。アトレーは家族用の車になり、こいつも中は木目調でワークスはおとんの通勤車にクラスチェンジした。
このアトレーでもドイツの森とかドイツの森とかドイツの森に連れて行ってもらっていた。むしろ物心ついてからアトレーの方が乗ってる記憶長かったのでこの車で盛大にゲロを吐いたのも覚えているが、記憶として強いのはワークスだった。
ワークスも年々歳をとり、家に車庫というか屋根のある駐車場はなかったからペットで飼われる犬よりも野ざらしにされながら過ごし、頭の塗装は白くなっていった。人間がハゲるように車もハゲるんだなぁと感じていた。
時間が経ち俺も高校を卒業して、免許をとり、一応ミッション車に乗れる免許を持っているが、最初の車はアトレーだった。
アトレーは俺が就職してからは俺の通勤車になり、ワークスはおとんの通勤車としてまだ稼働していた。もうこの時点で23年フル稼働してるワークス。最早死なんのではと感じたし、むしろアトレーの方が死にかけてた。
俺はお金が出来たので新車でイグニスを買った。色は自然と赤色にしようかと思ったがおかんが頭ハゲるという事を言い続けるので違う色にした。イグニスもよく見るとワークスみたいな顔してる所が見受けられる。この時点でもまだワークスはフル稼働していた。
俺が仕事場が遠くなったので引っ越してワークスのフル稼働を見届けることが無くなったある日。実家に帰るとワークスがいなくなっていた。
まさかと思うと、ワークスは死んでいた。

いつものようにおとんを職場に連れて行った後に静かに息を引き取ったらしい。最後の最後に仕事を真っ当して逝くとは。
俺は話聞いた時にゴールデンメリー号かと思ったね。
でも、あながち嘘じゃ無くて。1番記憶に残って1番何処かに連れて行った船だったし。車とかこういうのだを教えてくれたのもこの車だったのだ。
最後は1番運転したおとんの運転で役目を終えたのだった。
車って移動手段だし、どこかにいった記憶くらいだけど、その運転している人間の歴史を表すものだと思う。ワークスは俺の誕生を見て、ランドセルをつけた俺を見送って、電車通学をする俺を見送って暗い顔で仕事に行く俺も見送った。
ワークスは乗った期間は短かったが俺の歴史ひとつなのだった。俺の横にはいつもあの赤いワークスがあったのだ。なんとなく車は1台。死ぬまで乗った方が良いんだろうなとワークスを見て俺は思っている。結局アトレーも別の場所へ旅立ったがまだ現役で走っているらしい。
Googleマップのストリートビューで実家を見た時に在りし日のワークスの写真が残っていた。
一回くらい運転すればよかったな。絶対エンストするだろうけど。

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