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読みもの、のなかの食べもの

食欲もりもりの秋にみなさん何を食べていますか?

ニューヨークに住んでいた頃、邦人も多かったし、日本食ブームも手伝って、日本食には全く困らなかった。それでも素材の違いか、空気感と雰囲気の違いか、口がホームシックになることがある。そんなとき決まって本棚から引っ張り出したのは、ごはんについて書かれているエッセイ集。今でも好きでことある毎に読み返す。東海林さだおさん、安野モヨコさん、角田光代さん、時代を遡れば、檀一雄さん、お嫁さんの檀晴子さん、邱永漢さん、向田邦子さん著の随筆集、エトセトラエトセトラ。読んでいるだけで、口に入れたわけでもないのに、先刻のお口ホームシックがするする消えていった。

人は五感をフルに使って食べ物を味わうそうだけど、想像力で味わうこともできるんですね。読みものの中の食べ物は、空気感を含んでいる。書いた人の食卓風景、時代感、味蕾までもをその人を通して感じ、その中に自分もすっぽり収まっていくことができる。自分の鈍感な観察力では実際に食べた時に気がつかないような微細な要素を書き手は味わわせてくれる。それだからか、読みものとしての食べ物を味うあまり、現実で拍子抜けすることがある。嫌いだったはずの食べものを、ど・う・し・て・も・食べたいと思い募って食べたのに、やっぱり縁遠かったこともある。読んだ知識で「旬だ買わねば!」と買ってみて、キッチンに立って「はて、これはどうやって食べるんだっけか?」とはじめましてだったことも少なくない。

想像力といえば、なんでだろう?テレビの食紹介などではそこまで掻き立てられない。その瞬間には「おいしそうねぇ」と思うのだけれど、次の瞬間にはすっと脳裏から消えている。それが文章だとどうしてこんなにも突き動かされるのだろう。でも文章だけではないのかもしれない、誰かの主観で、「ねえ、この前食べた云々がすっごくおいしかったの」と細かい描写付きで強く伝えられると、その描写に想像力で輪がかかり、自分も経験してみたいと大盛り上がりになる。

そんな私は今日、とんでもない本に出会ってしまいました。その名も、

作家の手料理

ああ、嬉しい。ご自身も『香港風味 懐かしの西多士』というご本を出されている野村麻理さんが編集なさった、30人の作家さん達のお料理エッセイを集めた一冊。読んだことのあるものもあれば、恥ずかしながら名前を知らなかった作家さんも多数。さてさて、子供を寝かしつけた後、ゆっくり噛みしめるように1ページずつ味わわねば。


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