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まちを選ぶということ

そこに仕事があるわけでもない。
地元と近いわけでもない。

単純に「このまちがいい」という理由で中古の一軒家を購入し、福岡県の福津市というまちに家族で引っ越してきたのが1年前のこと。

福津市は移住者が多く人口も増え続けている。博多まで電車で30分ほどで、イオンモールがあり、海も山も田んぼもあり、歴史ある町並みも残っている。そのなかで駅からバスで20分ほどの津屋崎というまちに住んでいる。

津屋崎は玄界灘に面し、大規模な塩田があって交易が盛んであった時代や、海水浴場として栄えた時代の面影を残す静かな港町で、津屋崎千軒と呼ばれるエリアには新旧の小さな商いと暮らしが交わっている。

3年前にこのまちに住む友人が開いたイベントに参加したのが津屋崎との最初の出会いで、時間の流れがゆっくりなまちだな、というのが第一印象だった。

それからたまに足を運ぶようになり、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで自然と混ざり合う日常やお祭りごとにまちの役割の原風景をみるなかで、生きるのにほんとうに大事なことがここにあるんじゃないかと思うようになった。

一方で普段の生活では、社会のあたりまえらしきものを鵜呑みにできず、だんだん狭苦しくなり、どうやら一般的に社会で生きていくのには向いてなさそうだな、と気づき始めた頃だった。

そんな大人になりきれない大人のこじらせを抱えてもやもやしていた時期、津屋崎のとあるお祭りに遊びに来たあの秋の日、帰りがけのあの夕陽に、やられた。


あー、なんかいろいろあっても、これが見られれば大抵のことはどうでもよくなるだろうな。

じゃあ、ここに住もう。そう決めた。

もっと美しい夕陽が見れるところはたくさんあるだろう。
それでも、わたしがそれまで生きてきて、あのタイミングで出会い、あのもやもやを吹っ飛ばしたあの夕陽は、このまちでしか見られなかったものだ。

夕陽がきれいだったからという理由で移住してきた人と出会うことがある。
理屈をこねくり回して疲れ気味なこの社会で、理屈を超えて感性で通じあう人がいるのは嬉しい。

不便ではないとはいえ、都会的な娯楽の少ないこのまちをわざわざ選んだ人たちだから、人生観が近くて心地よい。
地元の人たちも、交易や小商いで盛えたまちだったから外から来た人をほどよく受け入れてくれる姿勢を持っている。


野生動物や植物は、周囲の環境に適した種が生き残っていく。
あれこれ考える生きものである人間にとって、周囲の人と考えが近いというのは、とてもポジティブな環境要因だと思う。


だからこそ、考え方が変わったら違うまちにいくかもしれない。人生にはいろんな時期があるし、まちも世の中も変わっていく。
人間は、だれがなんと言おうと、どこでどう生きるか自分で選択する自由を持っている。
わたしがいま生きる場所はここだと思うから、このまちに根を張って生活を続けていく。





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