見出し画像

釣りという遊びについて考察してみる記事

みなさんこんばんは。今年の梅雨はとても厄介なものになっていますね…まだ雨はしばらく続きそうなので、引き続き油断せずお過ごしください。

そんな中ですが季節的にはそろそろ海釣りシーズンだなあ。とふと思いました。
筆者、釣りは趣味といえるほどではないのですが、年に1回は海釣りにいくのが好きです。
主にキス狙いの投げ釣りと青魚狙いのサビキ釣りでごく簡単な釣りを嗜む程度なのですが、それでも釣りというのはやっぱり楽しいなと思います。

そして釣りのすごいところは、老若男女全てに愛される歴史のあるレジャーだということです。本当に性別年齢問わず、ここまで愛される「遊び」もすごいなあと毎度思うわけです。

そんな釣りという遊びについて今日は考えてみることにしました。興味がある方はぜひ読んでみてください。

釣りは本質的に遊技機の遊びに近いのかもしれない

これはどこかで聞いたことがある話なのですが「釣り」という行為は元来人間が行ってきた狩猟の一環の行為で、遺伝子レベル的に釣り糸を垂らしていることは精神的に安定する…。確かにそんな延長線上の行為なのかもしれませんが、筆者は敢えて釣りという遊びの要素についての考察を述べていきます。

結論的には”遊戯機(パチンコ・パチスロ)の遊びに性質が似ているんじゃないかな”という面です。もしかしたら遊戯機が「釣り」に近いのかもしれません。

例えば、釣りに行くときに筆者は釣りたい魚を決めてその魚がいると言われている場所へ赴きます。そして着いたら釣れそうな場所を決めて餌をつけて投げ込む。そして色々試行錯誤しながら魚がヒットするのを待つ…
当然、ヒットしないこともあれば、全く別の魚がヒットすることもあります。ヒットしなければ餌を変えてみたり、場所を変えてみたり粘ってみたりしますよね。
で、水面上の動きやヒットに一喜一憂

大フィーバーで爆釣することもあれば全く魚すら釣れない(ボウズ)こともあります。意図通りの魚種でも動物なので大きさが異なるので毎度釣れるたびに違う体験があります。

…と、ここまで筆者の釣りイメージを書き述べてみましたが書けば書くほど遊戯機の遊びに近いと思えてきました。

事前に遊びたい遊戯機がある店に入り、まず当たりそうな台を探しますよね。そして回してみてあたりが出るのを待つ…
当然ヒットしないこともあるので、台を変えてみたり遊ぶ遊戯機を変えてみたり粘ったりしますよね。
で、画面上の演出やイベントに一喜一憂

フィーバーで大連チャンすることもあれば全くあたり演出すら見れないこともあります。当たり方もたくさんのパターンがあるので毎回違うあたり体験があります。

似たような文体で書いてみましたが、似ていると思いませんか?(強引でしたかね?笑)

言いたかったのは本質的に「技術要素も若干ある”運”の遊び」で、人間が好む遊びのフローに則っているんだろうなということです。
もうちょっと具体的にすると、この運の要素や体験する感情の流れが似ているなあということです。
魚がヒットした時のワクワク感や、実際に釣れたときの嬉しさはどこかで似たような体験をしているなあ…と思っていたのでずっと考えていたのですが、遊戯機遊んでいる時に同じような体験してるんじゃないか。という考察がこの記事の主張になります。

さっきの遺伝子レベルの話にも繋がっていくかましれないですが、どちらとも人間が本能的に好む遊びなのかもしれません。そう仮定すると人気あるのは当然かなあとかも思います。

とはいえ、これはただの筆者の一個人の見解です。いろんな考えがあって当然ですし、両方遊んでみて考えることが大事なんじゃないかなーと思います。
なるほど、そういう考えもあるんだねーくらいで受け止めていただけると筆者としては助かります。

今年は日本海に釣りしたいなあ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?