カリン (this city is killing you)

友達と飲んで少しいい気分になり終電近く
帰り着いたら
うちの隣のドアが開いており、小さな女の子が1人、壁にもたれて座っている
乾いた涙が頬に強張ってる
僕はしゃがみこみ視線を合わせた

「あのね、あのね
涙がまたにじむ
ドアノブにコンビニ傘が引っかかってる
考えてみたらここ数日ずっとだ
「ママが帰ってこないの」
もうそろそろ日付が変わる
どうしたの?おうちには君1人なの?
彼女はしゃくり上げる 声が震える
「弟と妹は、寝てる」
僕は玄関越しに部屋を窺う
TVだけがけたたましい がらんとした住まい
そうなのか… ママはいつも遅いの?
いつもそうではないらしい
パパは?
「前のパパはいなくて」
「今のパパはあんまり、来ない」

ママがこの時間に居ない理由が少しだけ見えた
ごめんよ、難しい事を訊いてしまった

僕にこんな事はあったろうか
幼い頃、誰も大人が居ない夜を迎えた事が
いや、きっと無かった
僕は君より少しだけリソースがあったんだと思う、それだけの差だ

僕は座り直す 少しの間黙ったままで
ごはんは食べたの?
「うん」
それは、よかった、まだしも。
ところで、君はいくつ?君のお名前は?
「カリン」「んー、5歳

心配だよね 寂しいよね
とてもよくわかるよ
でももう遅い ドアを閉めて TVと灯りはつけっぱなしにして 君は眠ったほうがいい
「やだ…こわい」
そうだよね
でもカリン 僕の部屋に君を入れる事ができない
お茶を飲んだりゲームしたり そのうちに君は眠くなる そうできればいいのだけれど
こんな世の中だ 幼児誘拐 性虐待 世知辛いけど保身に走らなくては
あるいは きみのおうちに少しの間お邪魔するのはどうだろうか
君が寝付くまで ほんのわずか
いや、それもよくない 状況は変わらない つぎの罪状は不法侵入だ
こんなとき 昭和の雑なホームドラマなら話は簡単だ
でも今は今だ ごめんよ
僕はやましさを押さえて話しかける

もう帰るんだ(すまない) うちに入っておやすみ
ママはもうすぐ帰ってくる
ドアを開けっ放しだと 泥棒が入ってくるよ?

「ドロボー?って呼ばれた事あるよ」
それはなに?
「んーとね、盗ったの ドロボーなの」
なんてことだ
…それは、どこで?
「そこのセブンイレブン」
こんなに幼いのに、君にモラルを教えてくれる人はいない 叱る人はいても
僕は、君くらいの年に駄菓子屋で釣り銭をごまかした 一度だけ
その後親にすごく説教されたよ まだ憶えてる
その時に貨幣価値と商取引について学んだ 易しい言葉で
カリン、君を諭す人がいない それが悲しい

真夜中を過ぎた 僕の酔いはもう醒めてしまった
君をこのままにはしておけないけれど、他にどうしようもない
そのドアを閉めて鍵をかけ、つらいけど眠るんだ
「やだよぅ…」
また涙が溢れる
君は既に悲しみを知っている まだ今はそれだけだけど
もうすぐ憎しみが君を捉える
思うに任せない事が君には多すぎる
君のせいじゃない でも君はもうすぐ周り総てを憎み始めてしまう
君のまわりの無情な大人たち そのリストの後ろの方に いま僕が載った
ごめんよ 僕は君の肩を軽く押す ドアの向こうへ

明日の朝になって もしママが帰らなかったら僕を呼んで
僕はここにいるから


そして立ち上がり 僕は自分のドアを開き、滑り込む
君が息を呑む 何も言わずに
僕は鍵をかけ 部屋に戻り 着替えて歯を磨いた
そして風呂で長いことぼんやりしていた

この街が君を殺してしまう
この街が君を殺してしまう
カリン、この街が君の息を詰まらせる
生きる事が憎しみと切り離せないほど 君を蝕んでしまう

僕は風呂で寝てしまう
何度も何度もドアのベルが鳴ったような気がする

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7割実話だ!
「こういう事がありましたよ、プライバシーに配慮してちょっと変えたけど」。
ほんとやりきれない…。
今どき「三丁目の夕日」とか「じゃりン子チエ」みたいなコミュニティ…というか「ネイバーフッド」ってもうほとんどない(少なくとも賃貸住宅住まいの人々は)。だから受け皿が全然ないんだよ。


スザンヌ・ヴェガ「ルカ」やKダブ「セーブ・ザ・チルドレン」には及びもつかないけど、こんな事があって、いつまでも気持ちに折り合いがつかないのでちょっと書き留めてみましたよ。



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