居場所さがしは続いてゆく
私のnoteは基本、身体障害者として生きている私が思ったことを思ったままにつらつらと書いている為、障害についてのお話がメインとなっているわけですが、
これを読んでくださっている方の中で、身体障害者とはどんなイメージですか?
言わずもがな、人によりますが、
私がよく聞く意見としては、
車椅子ユーザーであれば、
ドラマでよく取り上げられる脊髄損傷のように、
全く歩けない人というイメージを持たれていたり、
障害を持っていること自体が、
お相手の中で、知能の遅れが目立つ人という考えに直結し、知的障害を持っていると決めつけられるというのも時々聞くところであります。
これらはオブラートに包んでお話していますが、
私の祖母もまた、そういった偏りのあるタイプでして、直球に言うと…
小さい頃から、こんなこと言っちゃ悪いけど…
なんて前置きをしながら、
「あんたは足が悪い''だけ''なんだから、なんで自分だけなんて思っちゃだめよ」
「こんな言い方アレだけど、もっと頭のおかしい人だっているでしょう?」
と言われています。
(正直、思春期辺りから「ムカッ…」なんてことはあったりする)
何を言ったとしても、障害を持っている人にしかわからないこともあるし、その逆もしかり。
なんにでもお互い様というところではありますが。でも言い方ってもんがある。
いや、そもそも論、障害の有無にかかわらず、人同士が全て分かち合うなんてことは難しいものなんですけどね。
それと「障害を持っている人とどう接したらいいのかわからない」なんて言う言葉はちらほら聞きます。
障害と一口に言ったとて、程度も違えば障害の方向も違うので、それは当たり前なのかなぁと私としては思うわけですが。
私の場合、何も持たずに歩けるし走れる。
そして(ヤクルト一本分程度)なら跳べる(?)。
介助なしで、朝起きられるし、ご飯も食べられるし、お風呂も入れます。トイレも一人でできるし、着替えも可能。
リハビリの甲斐があってか、日常生活は介助なしでございます。
じゃあお前は何に困っとんねんって思った人もいるかもしれません。
歩ける走れるとは言いましたが、
それは健常のように出来るということではないんです。
敢えてでかい声で言いましょうか。
今、家の前が坂道なせいで一人で外出させてもらえなくなった!!!!
つまり、私の弱点は急斜面と砂利です。
あと支えのない階段。そこ、狙い目ですね、クリティカルヒット入ります(?)
(もうすでに何言ってんのかわからなくなってきたので真面目に行きます)
「そんじゃ平坦な道は一人でずっとスイスイ行けるの?」と聞かれますと、半分YESで半分はNO。
ゆっくりのんびりならある程度行けるでしょうけど、健常の方のスピードだとある程度(推定距離は謎)行くと撃沈しそうになります。
常に必要以上の筋肉や酸素を使ったりするのか、すぐに汗をかくし(脳性麻痺児は熱がこもりやすくいところがあるので、汗をかくか否かは個人差あり)、足もすぐ痛くなるし、健常の方より圧倒的に疲れます。
そして最近しっかりわかったことは、歩みも、どれだけ頑張ってみても、やはりそこそこは遅いようです。
体としてそれだけの弊害があると、学校生活も「移動教室」のスピード感についていけなかったり、体育も、私だけ配慮をされないと参加不可能だったりしました。
そもそも配慮をされたとてその事が当時はメンタル的に辛いことも多かったですが。(今でこそありがたかったとしみじみ)
そして、見えないところでは板書が苦手(どこをどう書けばいいのか全くわからない)な上に得意不得意が大きいので授業についていけない事態が発生。
小学校でやる裏表のあのクソでかいプリントテストを思い出していただきたいんですが、
あれも、事情の詳しいことは私も知らないのですが、支援学級に持ち込んで解いてました。
得意な国語ならまだしも、大がつくほど苦手な算数は、脳の処理速度が遅いからなのか、計算がそもそも一苦労。
当たり前のように休み時間返上になるので「なんで自分は」と劣等感を覚えてよく半泣きになってました。(悔しかったんだもの)
家庭科である裁縫もこれまた厄介なもので、手先の作業も苦手なので、みんなが縫い終わるより何倍もの時間をかけてやっと不格好なものが仕上がるんです。
その他、コンパスで風車を作ろうなんて課題が別の授業で出たとき、コンパスをうまく使えないプラス、特性上、図形構造の理解がうまくできなくて、書き方が分からずに一人だけポッカーンだった日のことを未だに覚えている…。
これらの原因が「障害に起因する」ということを知ったのも、去年受けた発達検査から。
もうずーっと、なんで自分は、と思っていたことが少し楽になったと同時に
「何が足が悪いだけだボケがあぁぁ…」と唸りたくなりました。
なんていえばいいのかわかりませんけれども、
障害とは、「〇〇だけ」なんてことではまったくないんです。(だからといって何かと障害理由に諦めたりはしたくないけど)
今年のリハビリ入院で私が入室したお部屋は、20歳以上年上の方たちばかりのお部屋で、
学生時代のお話になり、
今しがたお話したようなことを議題に、
「あれ苦手じゃなかった?」
「これ苦戦したりしなかった?」
と振り返ってみると、
お互い「わかるわかる!」の大合唱が起きました。
そしてそれらの事柄全てに対して
場合によっては周りから「努力不足なのでは」と認識されるか、本人がそう感じて心が疲弊するというところまで全く同じでした。
どうやら、障害の重さに関わらず、
これまでのリハビリの成果や育ち方で、
一人でほとんどのことはできるんだけれど、
小さなところで配慮が必要という立場があると
「どれが障害のせいなのか、自分の努力不足なのか」ということがどうしてもわからなくなるようです。
「何でできないの?」と人に言われるまでもなく
自分自身が一番思うんです。
ここまで一人でできるんだから、これも一人でできなきゃ…なんて、そんな強迫観念にも近いかもしれない。
そしてそれらから視野が狭くなってしまってやらかしてしまったこともある。(未だにふと思い出してのたうち回りそうになる黒歴史)
そういった事を考えられる程には、知能の遅れがないような私達の脳、即ち心は、健常の皆さんと変わらないんです。なので、あまり障害だからって気負って関わらずとも…と思ってたりします。
じゃあそうして心が疲弊してしまったとき、一体、私達は誰に相談するのかといえば、支援学級の先生を始めとして、担任の先生や親、友達。
選択肢としては色々あるかもしれませんが、性格上うまく相談できないことも多いし、なかなか人に言い出せないのも日常でした。
知的障害なんかがあれば、もっと苦手な人もいるのでしょうね。
学生時代を抜けたとしても、
健常と障害持ちでは道筋が180度違うんです。
健常の方が「フリーター」や「大学生」「社会人」になるような選択肢がある中、
障害を持っていると「大学生」はまだしも、
「社会人」になるには、場合によっては就労移行支援を利用して、回り道をしなければなりません。バイトも、そんなやすやすできるものではない。
自立の1つとっても
独り暮らしができるのか?
グループホームに入るのか?
ヘルパーの利用は、あり?なし?
決めることはあちらこちらにありますしね。
障害の程度や方向が違う上、家庭環境だって様々で、何事も、どうしたってモデルケースがない。
自分が18.19と大人の歳に近づくにつれ、
日々のすべてが未知数だなとすごく感じる毎日です。
それはとても孤独で、とても不安定な場所に立っているような気持ちにさえなって、気力をぐんぐん吸われることだって多々あります。
じゃあ、なんやかんや仕事についたり大学に行ければ万々歳かと言えばそうでもない。
今回の入院で出会った方の中で、
学校を出てやっとの思いで社会に出たけれど、体(もしくは心)が持たなくなり、退職をして、今は休息とメンテナンスに入院している
という人は多数いらっしゃいましたし、
「もう体を壊すのは怖いから働くのをやめた」という人もいました。
仮にそういうメンタル的な不調を呈したとしても、脳性麻痺があるというだけで、「それのせいじゃないの?」という先入観的なものを持たれ、あまり深く聞いてもらえないなんてことも正直ありえるんじゃないかと思っています。
日常生活においてのなにごとも「障害がある故のハードルの高さがある」と言うことを理解いただけるコミュニティでなければ、
「そんなこと言ったって無理なんだよ!!!」と余計に孤立してしまったり追い詰められる結果になり得るよね…と、そんな話をお部屋の方とずっとしていました。(私自身それですごく痛い目を見たし)
「自分たちは障害者である」と100%受け入れることは難しくても、事実であることに変わりはなくて、障害を持っている人の経験しか当てはまらないことも多いから、
同じような障害を持っている人たちが集まって、情報を交換したり、辛いときに話を聞いてもらって励まし合える、こういう場所が大切だよね。
というのがそんな私達の結論で。
セラピストさんだって人間だし、あくまで仕事であることはもちろん、相性もあるので一概には言えませんが、
障害関連で辛いことがあったとき、
特に安心して話せたり、相談できるのは、
(担当は度々変わるけれど)
自分をよく知ってくれている担当のセラピストさんや、同じ境遇の障害持ちの人たちだと、部屋の人も口を揃えていました。
とはいえ、育ってきた環境が違いすぎて分かり合えない…なんて経験、健常の方でも多いと思うんですが、そこは障害があっても同じだったりします。
私自身、入院をしていて、今回は同じ環境を生き抜いてきた方ばかりだったので、
学生時代のお話をしたときも、こうして乗り越えてきたことをお互いに称え合い、これからもそれぞれ頑張ろうねと言い合えましたが、
去年は、部屋の人たちと、騒がしく仲良く、楽しく過ごせたけれど、それでも、家庭環境の違いがありすぎて、私だけが孤独感を覚えるなんてことがありました。
本当にここの塩梅は難しいのですが、
少なくとも今回の入院を経て私が感じたのは、
1.当事者同士であるほうが、下手に隔てすぎない
2.当事者を日々相手する先生たちだから、理解を得やすい、相談しやすいところがある(先生との相性は重要)
という2つ。
障害の大きさにかかわらず、
健常者>障害者の世界を抜け、障害者>健常者の世界に身を置くのは、時に、大いに心の安定や気付きをもたらしてくれるなと感じたんです。
それはおそらく、私は未だに、知能的にも体的にも、自分は中途半端だと感じているからこそだと思います。
日常生活が要介助であっても、私と同じように言語に問題は無く、自身の障害とのギャップに苦しんでいる子をよく見ていたからこそ、
「自分自身はそこまで障害だって重くないのにどうしてこんなに萎れているのだろう。
もっと頑張ればできるだろう?何で出来ないんだ。なんで頑張れないんだろう、あ~もう嫌だ。
自分は一体どっちの人間なの?
普通にもなれない、障害の事実も変わらない。」
混乱を極めてたどり着く場所はいつも希死念慮で、自分が嫌になっていました。
でも、前回と今回の入院を経て「そういうことじゃないのかもしれない」と少し感じることができました。
障害の重さに関わらず、私の苦しみも、その子の苦しみも、それぞれのものであって、そこに理屈はない。
そう理解できたのは、
先生たちが、荒んでいる状態の私と向き合い、助け、支えてくれているを受け取ろうと必死になったからこそ見えた景色なんだと思います。
先程お話したとおり、
私を迎えてくれたお部屋の方たちとは境遇もとても似ていて、私が超えてきたものよりも遥かに大きなものを超え、生きてきた人たちで、思わぬところまで打ち解けた結果
「頑張ってきたね」と言われたり、
逆にこちらが「すごく頑張られてきたのがわかります」と伝えたりして、
私も、ここでは「これが嫌だ、あれが嫌だ。これが辛かった苦しかった」と、そんなことを言ったっていいんだと、少し、思う事ができたんです。
きっと、去年担当してくれた先生の言葉や温かな対応がなければ、こんなこと、考えられなかったと思います。
そんな今でも、去年に私の心を動かしてくれた先生に対して、いつか嫌われてしまうんじゃないかという不安が常にあって怖いし、入院中にその先生に声をかけてもらっただけで「なんで?」と疑ってしまったので、感情を手放しで露わにすることはできなかったですが、
健常者に囲まれた日常生活の中では抜けない力をここでは抜けたような、そんな感覚がしたんです。
一度関わりがあるだけでも、当の先生たちは見かけたときに話しかけてくださったりと、なにかとよく見てくれているので、そのつながり感が、どこか安心に繋がっているのかもしれません。
こんなことは今年が初めてだったのではないかと思います。
学校にいけなくなった当時、
「学校だけが世界のすべてではない」という言葉を幾度か聞いて、それでも不安は消えなかった。
強迫観念ももちろん消えていませんでした。
それが今になり、病院という世界を、先生のおかげで少しは力を抜いて歩けるようになってみると、今までは見えていない世界が見えて。
温かい世界は、失うことがとても怖かったし、
反動も、覚悟はしていたとはいえ…昨年今年ともに強くてきついときもあったけど、きっと手放しで安心できるというのはこういうことに近いんだろうなど、なんとなく、糸の端をつかめたような心地でした。
私の場合、健常としての世界では「居場所」を感じられたことは少なかったけれど、
障害者として、小さな頃から通っている病院という場所が、ある意味では、不完全ではあれど居場だったなのかもしれない…。
なんというか…幼稚園の頃から、入院でリハビリを繰り返してきたことを振り返ってみても、当時こそ家族と離れなければいけないのは大号泣するほど不安だったし、健常のみんながやらないリハビリに対して、「なんで自分はこんなことをやらなきゃいけないのか」と思っていましたが、
今となっては、
健常者の世界とは違い
「じゃあ〇〇ちゃんはこうしようね」と言うことが、私だけのモノではなく、みんなの当たり前であり
「危ないからだめ」と言われたりせずに、やりたい遊びをみんなとできること
できなかった事をリハビリを通してできるようになったとき、両親よりも先生たちが笑顔になってくれること。
そういう、障害者として隔てずに一人の子供としていられるような、短くともとても大切な環境だったんだと思います。
そういう経験も加味した上で、
どちらなのかと完全に振り子を振り切ることはできなくても、
程度は軽く、困りごとも少ないけれど、実際に障害がある…もうその時点で自分は障害の部分が大きいものなんだと、嫌な意味ではなく、今になってみて静かに納得しました。
結果論であるということをわかった上でですが、自分に合った居場所…そういうものはきっとどこかにあるんだなと、去年と今回の入院を経て感じています。
私が自暴自棄になって入院を決め、思わぬ形で大きく影響を与えてもらった先生に出会えたように、これから先のどこで、そんな居場所を、その入り口を見つけるのかはわかりません。
しかし、ジッとしていて手に入るものかと言ったらそうではないんだと私は今回のことで思っているので、
「居場所がない」と思っている方々は、一歩がどんなに小さくてもいいから、探すことを諦めないでほしいなと、個人としては感じます。
そんなの探すほどHPがねぇんだよ、ばーか!
と、私は思っていました。というか、未だに自分でも思う。
しかし去年、なけなしのHPで行ってこうなったので、何があるか、ほんとにわからない。
(なけなしのHPブッ壊されなくてほんとよかったと今でも思うくらい、結構ギリギリだったと思う)
言わずもがな、疲弊しすぎて壊れてしまうくらいなら、休むべきだと思うので、
探してみるか…と思えるときは捜索に出てみたらいいし、そんな元気ねぇやぃ!ってときは休めばいい。
とにかく諦めなければ何でもいいんだと、
今の私は思います。それがなにげ難しいのが私という人間でもありますが。
事実、私もこんなこと言ってるとはいえ、
病院が本当の居場所かと言われると、
今回は運が良かっただけの可能性が高いし、
私が生きていくのは病院の世界ではなく、
健常者のほうが多数なこの世間であることを考えても、病院を居場所と言うにはあまりに危険な気もしてなんとも言えないので、
もっと近くにある、多くの時間を過ごすこの世間、世界の人間関係でこんな場所を見つけていけたらいいのだろうな…と、一度触れていた糸の端の感触を頼りに、日々不安定な道を歩いているので、もれなく私も仲間です(?)ひとりではない。
ふむ…なんだか今回は無駄に長ったらしくなりましたね。これでも何度か読み返して削ったり増やしたりしたんですけど(増やしたんかい)
障害を持っている私の言葉なので、共感しづらかったり、回りくどかったりするかもしれませぬがご容赦を。
最近ちょっと不安定なところがあって、なんか悶々としてしまった結果、過去noteのいくつかを削除させていただきました。
もしかしたらいつかこのnoteもそうなってしまうかもしれませんが、
それまで、これを読んだ誰かの何かになれば、このnoteにも意味が生まれてくれる…。
もうすぐ年の瀬ですので一応お話しておきますと、
今後とも、書きたくなったときに、書きたいようにやっていきます。何卒。
ではまた。
今年はこれが最後ですかね…。
一足も二足も早いかもしれないですが、ここまで読んでくださった皆さんが良い年末を過ごせますように。
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