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身体障害者である私が通信制高校を卒業して感じたこと

今回の記事は、こちら↓のシリーズの番外として、私が通った通信制高校での三年間をお話しようかと思います。 (私が通っていた高校名が知りたい方はコメントやDMまでメッセージをお願いいたします…!)

私の中での高校生活は、家庭の問題でのメンタル的な負担が大きかったために、記憶が薄い点が多いですが、昨今は通信制高校の需要だったり、認知度も高まっている中ですので、障害者目線のこのお話がもし役に立つなら…くらいの気持ちで書いてみることにしました。

私自身、高校入学前から同高校の卒業生である姉の姿を見てこんな感じで勉強していくんだ…ふーん。とは思っていたものの、やはり、身体障害の有無によってもきっと変わるよな…ということで不安が多く、ひたすら調べたりしていましたが、やはり身体障害者で通信制高校を卒業した人の発信したものはなく解決に至らないことも多かったので、もしもこの先同じような方がいるのなら何か参考になればと、こんなやつもいるんだよーくらいの感覚で書いていきます。

そもそも通信制高校ってなんぞや

先程もお話したとおり、最近は通信制高校について触れられる機会というか、メディアでもよく出てきていたりするので、これを読んでいる方は、大まかにでも理解している方もいらっしゃるかな…?という気はしますが…。

通学制(全日制としましょう)は、全日制と言うくらいですから、毎日通って、授業を受け、そして部活なんかもしながら…みたいな日々を基本的にはおくりますよね?(もちろん千差万別)

それに対して通信制は
いわゆる全日制で言うところの課題+授業のほとんどがスマホ(or PC)で完結します。

そして、毎日校舎に出向く通学制に対して
通信制高校の登校日数は学校にもよりけりですが、私が通っていたところは、テストも含め、(最低)年数回の登校でOKでした。

つまり、ほとんどの単位をスマホで習得し、実技の必要な体育を含め、実際の対面授業で、残りいくつかの単位の習得を行い卒業を目指せるというイメージです。

どんなふうに校舎での授業を取ったりするの?

ここらのお話は、後のスクーリングとも通じているので、なんとも分け難くややこしいかもしれませんがご了承下さい。


この所謂「対面授業」も、私が通っていた学校の場合、「アプリやウェブのフォームから、自分で必要な科目入れる日に予約を取って参加する」というオンライン上での流れになります。

ここが当時の私がありがたかったポイントの一つです。

自分で時間を決められるということは、自力で通えない私を送迎をしてくれていた母の予定に合わせられるからです。

「〇〇月いつなら空いてる?」
「〇〇曜日なら基本は。」
「じゃあ〇〇日の〇〇限までは?」
「いいよ」
「じゃあその日でお願い」

って感じで予約、そして授業を受ける。これで単位獲得。

「足が悪くて電車通学なんて無理だろう」
と、いろんな大人に言われて、反抗も間もなく挫けて選んだ通信制高校という選択肢。

致し方なく選んだといえども、なるべく通学なく、(通学があっても自分で予定を組める)卒業できるというシステムはそのニーズを満たしてくれて、助けてもらってこうして高校を卒業することができました。

対面授業の形はほんとに様々で、記憶の限りでは、特別活動という名前で、心理学に近いようなお話が聞けたり、現代文ではプリントをもらってそれ解いてみたり、英語もプリントが多かったように思います。

科学の授業は、教卓にて先生が実験を始めて「ちょっとこれやってみて」と声をかけてくれて参加したりもしました。

(こんなふうにできるのは私にとって意外でした)

通信制高校って、みんな大人しかったり寝ていたり、各々全く違うことはわかっていたので、そんなふうに自分が参加したり「これどう思います?」って話しかけられたりすると思っていなかったのですが、先生によっては全然話しかけてくれるし、話しかけられなくても、こちらが反応すれば「そうそうそう」と何かしらレスポンスをくれたり。個人的に意外とわくわくしてました。

先生も誰彼構わず当てるわけではなく、応えてくれそうな子を当てていたり、逆に反応が帰って来なければ即座に当てる生徒を変えたりと、それぞれ生徒を尊重してくれます。

私の場合は、以前にデイサービスで「受け身だ」と怒られたので「高校でそれを変えなければ…」とろある種の高校デビューで意気込んでいましたから、興味があればバンバン反応したりして、楽しく授業を受けていました。

みんなの前では聞きづらいけど、個別で質問したい…とかであれば、授業後にお声をかけることも可能です。(私の学校ではLINEで担任の先生とつながるのですが、そういったものを伝って質問することも可能なんじゃないかと思います。)

私の記憶上、はじめましての先生でも、授業後に話しかけたりすると、めちゃくちゃラフに、清掃をしながらたくさん話してくれました。

とある先生は、筆箱を見て「これ好きなの?」と声をかけてくれて、それ以降も何度か声をかけてくださったりしましたし、

他の方も、何度か授業つながりの話題から話が弾み過ぎて「まずい!そろそろ行くね!」と先生が慌てて移動するようなこともあったりして、友達などができなくても、先生方とお話させていただくのはとても楽しかったです。

つまるところ、先生方は、聞けば、質問も雑談も答えてくれます。


ちゃんと答えてくれるからこそ、私自身も「もっと聞いてみよう」とか「これ教えてください!」と言えるようになっていったと感じています。
先生たちのお話は、また後ほどにしまして次のお話

レポート(課題)はどんなかんじか

私が通っていた高校は学び直し学習というものだったようで、中学時代(1年から行けなかった私でもわかる程度なので、ほんとにはじめ)の範囲から出てきていた部分も多くありました。

その映像授業は、渡辺直美さんやトレンディーエンジェルのお二人が出ていて親しみやすかった印象です。

声優好きの私としては度肝を抜かれたのが、現代文だったか何かで「NHK高校講座」を採用していたのかな…ちょっとあやふやなんですが、朗読は「声優の〇〇さんです」と言われ、聞き知った声優さんの声が聞こえてきたことです。

科目によりけりではありますが、基本自分の好きな科目は、もとの要素はもちろん、映像が面白かったりして楽しくできましたし、例えば苦手な数学でも、見ていたらなんとなく、これなら理解できるような…と思えるくらいに気軽に見れるような教材でした。

量が多いと感じるか、難しいと感じるか自体は個人差があると思うのでなんとも言い難いですが、私としては、十分に間に合ったので、多いとは感じていませんでした。
(バイトをしているか如何かにもよるのでしょうか)

レポート課題は各教科、それぞれ月ごとに提出期限が決まっていて、それまでに最終テストを提出すればOK。
(例  現代文(5月分)期限は5月20日)


学習の流れ
としましては
いくつかに分けられた映像教材(量は教科や月によってマチマチ)を地道に視聴していき、章の様なもの毎に確認テスト(2問程度)が出題され、正解すれば次の章。という形。

毎月分ごとにそれを繰り返して、最後に20問程度の最終テスト問題を受けます。
結論から言うと、この最終テストが成績に直結します。

ただ、成績に関わってくる最終テストの問題自体も、教科書を読めばわかる内容ではありますし、勉強をする気力がなかった当時の私でも、なんとか提出自体はパスできていました。

まぁ、嫌いな数学は…毎度なかなか手がつけられなかったりしましたが

期限までに提出すればいいというのは、逆に言えば、7月分を5月に終わらせることも可能であることを意味します。(期限さえ守ればあとはもう自分のペースで好きに学んでねのスタイル)

なので、私のリハビリ入院が決まった三年生は「〇〇月から入院だし、今のうちに入院期間の範囲までは全部終わらせよう」と数ヶ月前から意気込んでやっていて、終われせてしまえばあとはもう、自分の好きな本を読んでみたり、考える時間にしてみたり、自由でした。

この自由な時間を自学習に当てて、偏差値の高い大学へ進学していらっしゃる方もいますので、一口に通信制高校卒業生と言っても、本当いろんなタイプの人がいます。

ちなみに私の場合は、勉強をする気力がないことがほとんどだったので、ベッドで横になっているときなどは、ひたすら本を読んで自分の感情を整理してみたり、過去の振り返りや未来についてを考えたりして、結果的に、今につながる大切な時間にできたと感じています。

なので、通信制高校に入って後悔するか否かという点では、この「自由時間」をいかに活用するかも大きく関わってくるのではないかなと思います。

私が通ってたこの学校では、年に一度スクーリングでのテストもありますが、そのテストは「受けること」が目的であり、テスト自体の点数はさほど関係がないんです。 

つまり
スクーリングで行われるテストは、もはや空白で提出しようが、悪い点を取ろうが、基本は関係ない。したがって、繰り返しになりますが、毎月末期限の課最終テストの点数が本命であり、成績に関わってくるよ。というかんじ。

なので、テストの日に学校に行って、私がまだ一科目も終わってない時間に帰っていく人がいて驚くなんてことが毎回ありました。

スクーリングってどんなふうに過ごすの?

学園ビルの中に入っているうちの学校は、ビルの入り口にて生徒向けの時間割が貼り付けられていて、 〇〇号室〇〇限目 ≫現代文というのがそれぞれ一日分まるっと書かれていました。

各々、スマホアプリから、自分が予約した授業とこの張り紙を照らし合わせて、一日のスケジュールを把握し、それぞれの時間に合わせ、アプリで場所を確認して教室を移動するという感じです。

エレベーターも階段もどちらもあったので、独歩が可能な私は「一階下がるだけかぁ、エレベーター待つのだるいな」とかだったら階段で降りたり、局面にあわせて調節してました。

(余談ですが、送迎の都合で、エレベーター待ってたら遅刻する!!と思って階段で上がったら、まさかのチャイムが鳴った瞬間にお目当ての教室の階に到着し、ギリギリアウトの判定を食らって、遅刻扱いにされたときは流石に悲しかった)

授業中にスマホを触ることは咎められませんが、うるさくしたりすれば、授業の妨げとなるため、そういったものはもちろん注意されます。

号令をかけたら、まず出席票(ウラ面はアンケート)が配られ、先生によってはレジュメのようなプリントを配布してくれる方もいます。

私は何気にそのプリントを見返すのが好きだったりして、残しているものもありましたが、多くの生徒は、教室外のゴミ箱へ…だったと思います。

そして出席票をかけ次第、先程お話したような感じで授業が進行していきます。

プリントを除いて、集団的に(?)板書はほとんどしないので、

私がいつも持っていったものとしては

出席票及びプリント用の筆記用具
学生証
スマホ(適宜バッテリー)
イヤホン
昼食
財布 といった感じ。

年一度のテストに関しては、受験自体がタブレットにて行われるため、これに加えてタブレットを持参します。(学校貸出のタブレットもあり)

(テストの日は生徒番号のグループごとに受ける教室が分けられているので、いつもは予定表が貼られている場所で自分の番号が含まれる教室を探して、テストの日は一日その教室で受けます)

大学のように、取る授業が各々違うので、その日その時間毎で会う人は違います。
なので、基本的には友達は作れないと思ってもらったほうが賢明かと思います。

中には集中スクーリングと言って、遠方の生徒向けの宿泊型のスクーリングで友人を作ったり、実技の体育でペアを組み、仲良くなるなどといった形もあるようですが、私は宿泊ではないし、体育はいつも見学。加えて生徒に対してはそこまで活発にはいけなかったので、高校での友人はゼロです。

お昼ご飯も、空いた教室や次の授業を受ける席、自由開放のフリースペースにて一人で黙々と食べてました。(授業前に戻ってくれば、外に食べに行ってもOK)

友達ができないといっても、みんな不親切だとか怖いだとかそんなわけではないのでそこは安心してください。

実体験をお話すると、一度「これ各班で持っていってー」というような局面になった際、先生が私の足を見て「あなた持っていける?」と訪ねてくださったことがあったのですが、物がそれなりに多かったために困っていると、柔らかな雰囲気のきれいなお姉さんが「持っていくよ」と笑顔で声をかけてくださいました。

卒業前の最後のスクーリングでは、予定により集中スクーリングに参加することになったのですが、いつも受けていた通常スクーリングとは違い、レクリエーションというものがあり、ノリのいい男子が班を引っ張り、みんなもそれに乗っかったりと、初対面でもさほど気張ることなく、ラフに楽しめましたし、なんなら先生もノリが良く、めちゃくちゃ乗ってきてくれました。

早くも結論的になってしまいますが、地域の学校から通信制高校、どちらも経験している私が感じたのは

通信制高校には、よくも悪くもいろんな事情や理由で来ている子達がいるので、教師も生徒も、必要以上に詮索しない。それが当時の私にとって合っていた」といったことでした。

中学までの学校時代は、クラスメイトとは長期的に時間をともにするわけですから、円滑に進むように、日常だろうと行事だろうと適宜ハンデに対して配慮をお願いしなきゃいけなくて、

当時の私はそれに対して毎度のごとく
「また迷惑かけてるんじゃないか…」とか「こんなふうになるくらいなら私なんていないほうがいい」「構わないでくれ…ほっといてくれ…」という気持ちがあり、押し黙ったりして無意識に、クラスメイトの優しさや気遣いと時間を奪い「悲劇のヒロインムーブ」をしてしまっていました。

高校に入る前にその自分の過ちに気づき「迷惑になりたくなきゃさっさと自分なりに何か発言しろや!!」と思って死にました。(そのお話はおそらく本シリーズにも出てると思います)

対する通信制高校はそれきりのメンバーですので「こうなんだよね」と説明さえしてしまえば「あぁ、そうなんだね、OKOKー。じゃあこうしていこうか」と、その日それきり、それでおしまい。
もしなにか恥をかくようなことがあっても「この日きりの付き合いだし…気にしない気にしない…」と割り切ることができました。

そういう面で、私にはとても気が楽で良かったと思っています。(適宜申告したりしなきゃいけない空気自体はやはり慣れなかったけれど)

けれどその分、通学制のような、力を合わせて的な青春はできませんし、人によってはそこの兼ね合いは必要な印象はあります。

私の場合はネットにて交流が活発な友人がいたので、課題をすべて終わらせたら親戚の家を経由してその子に会いに行き、年に一度ほど遊びに行ったりができたりした分、そこまで「青春できなかったなぁ…」感はないです。

「普通の学校でするような青春は中学で終わってしまったけれど、私は今高校生になり、今まで思っても見なかったような友人との旅行ができている。ならそれで十分じゃないか?それが私にとっての青春だ」と、私は思っていたからです。

テレビでそういったドキュメンタリーを見ると、それなりには「いいなぁ」と思うことはありますが…

それでも私が今自分に納得できているのは、中学不登校から復帰を決め、イベントに参加するか否かを考えたとき、傷つくことへそれなりの覚悟を持って参加し、最高と言える結果と経験を得て、良い方へ転ぶことができたから、というのも大きいと思います。

(以下長くなりますので飛ばしたい方は🔴までスクロールを)

これらのお話は本シリーズともかぶるフシがあると思いますが…

行事に参加するか否かの相談当時はとても怖く、葛藤し、体育祭ではパニックを起こして泣き崩れ、練習を抜けたりもありました。けれど、後悔はしてないんです。
「父の「私が嫌いである」という感情が、父だけのものであり、多くの人はもっと素敵な気持ちをこちらに向けてくれているものだ」と、偏りを修正する大きなきっかけとなってくれているからです。(今でもその恐怖はありますが)

その他、文化祭で劇をやったり、部活で最初で最後の舞台に立ったりしたときも「不登校のクラスメイトは邪魔じゃないか、不登校の先輩なんて後輩も…」と思っていた時期もありました。
でも、実際に準備やリハーサル、そして当日を迎えたとき、後輩たちと私も含めた部員メンバーで「緊張する」なんて舞台袖で苦笑いし合ったりしたことが、とても染み渡ってきたんです。

閉幕後、涙してくれる一年の頃からお世話になっている担任の先生、良かったよと口にしてくれる友人を見て、「あぁ、私はやってよかったんだ」と心から思うことができました。

私はそういった意味では、とても周りに恵まれていたんだと、すごく思います。それに気づけずにいた小学時代から現在が憎いくらいに。(小中のクラスメイト及び先生方には迷惑ばかりで本当に申し訳ない…。)

とはいえすべての人がそうではないと思うし、建て前上そうさせてくれていた人もいたかもしれませんが、それでも、私を見て泣いて喜んでくれた先生や、あの場に私がいることを、仮でも受け入れてくれていたクラスメイトに対し、とてもありがたかったと今でも思います。

🔴🔴

結果論でしかないですが、
一年二年と、中学時代の行事が当たり前ではなかった私にとって、体育祭や文化祭で役割を与えてもらい、クラスメイトがふざけている姿を視野に捉えながら役割を果たした時間がとても大きく残っているんです。

「きっと嫌われる、嫌がられる」そんな覚悟のもと迎えた最高と言えるその結果ですから、余計に強く印象へ残り、私はできるだけのことをあの時成し遂げたんだからいいのだと、胸を晴れている感じです。


繰り返しますが、こんなふうに私を受け入れてくれた環境は全く持って当たり前にあるものではないと思います。

なので、そういった環境に対して「怖いから踏み出さない」と選択するか「怖いけど、やれるだけやりたい」と勇気をだして見るのかで、結果は大きく変わるんだろうなぁと。

通信制高校に入学したら、確かに、世間一般的な青春は難しいかもしれない。
けれど、私が通信制高校に行って時間の余裕が生まれたからこそ遠方の友人に会えたように、「通信制高校に行ったからこそ出来そうなこういうことをやってみよう」と思うか否かなんかでも、「青春」と呼べるようなものが手に入るのか否かは違うんじゃないかと私は思います。

言わずもがな、足が悪かったり障害があると、一歩を踏み出せるか否かのハードルは人よりもずっと高くなるんですけどね…w

やや話が逸れてしまいましたが

こういった流れでスクーリングにてスケジュールをこなし、すべての授業を受け終わった人から自由に帰ってOKです。

書くタイミングを見失ってましたが、もしも遅刻した際は職員室にて遅刻届を書き、受ける教室に行って先生へ渡せばOKでした。やむを得ず欠席した場合は、後日また、その授業分を予約するという感じです。

他に車椅子や障害を持った人はいた?バリアフリーの点についても

この点に関しては、私は会話をしたわけではないですが、足が悪いと思しき男性を一人と、車椅子の女性を二度お見かけしています。

先生に聞いてみたところ「見かけてないだけで結構いるよー」とのことでした。

障害を持っているからと言って、全員が全員「知的障害」等を合併しているかというとそうではないので、身体的には重い、だけど、これまで地域でやってこれたからまだまだ地域で行きたい!など、いろんな理由で通信を選ぶ方も増えてきているのかな?という感じがします。

とはいえ、私も含め、脳性麻痺特有の凸凹はありますので、地域の学校時代は、うまくできない「算数」「数学」、体を使う「体育」「家庭科」など、教科によっては引率の先生をつけてもらったり、通常学級ではなく支援学級に降りて授業をしたりなどはありましたが。

みんなが最低限の会話で「自分のテリトリー」を守るように通学しているが故、障害について何かされることもなく…むしろ私の場合は必要以上の緊張で階段を1段視界からすっ飛ばしてズッコろんろんで一人で恥ずかしい思いをするレベルでした…へへっ。

バリアフリーも、私が通っていたところは、階段の他エレベーターがありますからもちろん教室に向かえますし、教室に入る際も段差等は特になく、席の位置が少し高くなっていて、席場全体に段がある場所ありましたが、登るようのスロープもあったので、きっと車椅子でも大丈夫なんではないかなと印象でした。

というか、でなければ車椅子の生徒さんはいないと思います(不安であれば、授業を取る前に担任の先生等に確認を取るのもありだと思います。)

進路の話は?

ここは朧気なのですが、授業自体で進路についてのガイダンスがあったような記憶があります。

本校では何割が大学で何割が就職、何割が専門…みたいな。

専門は専門でも一般入試なのかAO入試なのか、それぞれの進路での「動き出すべき時期」や先生にどう話すのか等々の説明会のようなものですね。
ここで進路希望調査も行われました。
(ここからは障害持ち目線メインのお話をしておりますが、後半(🔹)では健常の方への対応についても触れていきます)

しかし、私は就職するにも障害者雇用としてなのか一般としてなのかと言うこともわからないし、親は進路の話をなかなか取り持ってくれないし、自分自身でやるしかないというところで聞いていても、健常の方向けなので当たり前に「これって障害だとどうなの?」という点が多く、話半分なフシが多々ありました。

ので、授業後にガイダンスの先生に

「障害を持っている場合って就労移行支援とかっていう制度もあったりするのでよくわからなくて…
おっしゃるように求人とかを探すとなれば、みんなと流れ的には同じですか?」など質問をしに行きました。

すると先生は「んー…私もそこら辺は詳しくないんだけど、求人で探す場合ならここもあるよ」と障害者雇用向けの求人サイトを伝授してくれたりしました。

ですがその後自分でそれらを調べてみても、私のようなタイプの進路モデルケースはないし、やはりよくわからない。

そもそも論、当時の私はまだ母ともまともに話せておらず、大学進学を望める金銭状況かもわからないので仕方なく漠然と就職として動いていました。

結果的に一人でとっちらかりすぎて、担任の先生との面談を取り付けていただき、改めて相談をさせていただきました。

そして職員室で相談をさせていただき、先生は「私がどうしたいのか」など思考の整理を手伝ってくださったり、障害就労の知識がある先生を呼んでくださったり、できる事をしてくれましたが

結論としては「自分で行動する」という点に
健常の方との差異無く、在学中にハローワークにいったりなどの活動をするのであれば、学校側から送らなきゃいけない資料もあって、予めハローワーク側へ連絡をいれなきゃいけないから、行く前に教えてね」というような感じでした。

後に社会福祉士さんと話しててもわかることですが、私のような障害を持っている者は直に就職できるケースは少ないらしく、就労移行支援に行くのがセオリーのような感じ…。

当時はもう焦りに焦っていたので、前のめりにこういった形で学校の先生に話していましたが、自分でハローワークに向かうという点も当時の私には到底クリアできませんし、障害を持っている者としては、それこそ、そういった話は通院中の病院等ですべきだったなと今では感じています。

というのも、結局私はその後進路の話はしないままに入院となり、主治医に現状を話して「お母さんと話せないなら社会福祉士さんにつなげてあげるから、相談してみなさい」と言われた次第で、学校卒業までに進路を確定することはできなかったので…。

(余談ですが、こういった経緯で現在は病院側からつなげていただいた社会福祉士さん精神保健福祉士さんとご相談しながら進路を模索中です。)

🔹もちろん私の場合がこうだっただけで
先生方が悪いわけではないですからね!

健常の子たちに「進路どんな感じ?」と何気なく声をかけていたり、「あれから親御さんと話したりできた?」と声をかけていたりする場面も多々見かけていたので、

ここも詮索しないという点と同じく
進路希望調査票を渡されたりで、生徒の進路希望を調査し、それぞれの生徒に応じて、希望するものには協力や相談を聞いてくださったりするんだと思いますので、完全に放任ではないと感じました。

最後に無理やりねじ込んでおくんですが
先生の中には実際に通信制高校を卒業した方もいたりして「就職に影響したと感じたことはないです。気になることがあれば聞きに来てください」なんて言う人もいたりしました。

100%影響がないのか否かは私にもわかりませんが、学力面の動きも個人の時間の使い方によって全然違うというのも含めて考えると、
「通信卒は就職できない」は、結論が早いのかなという気がします。

まとめ

時間をかけて、空き時間にちまちまやっていたために

「どれを書くべきでどれがいらないか、
どこまでこれまでのことを書いたのか」がゴチャゴチャになっていて、伝わりづらい点、抜けているもあるかもしれません。

なので、もしこれを障害当事者の方が見ていたり、そのご両親が見ていたりして何か気になることがございましたら、お気軽にコメント等を飛ばしていただければお答えいたします!
(もちろん健常の方で迷っている方も大歓迎です)

通信制高校のイメージというのはいい方向に行っている印象はありますが、まだまだやっぱり独り歩きしている部分も大きかったりして…。

難しいものです。

箇条書きで要点を改めておきましょう

・足が悪く、自身で通学ができない私には、オンライン完結の単位修得及び、自己制作のスケジューリングはニーズを満たしてくれていて通いやすかった

・私が言っていた学校はある程度のバリアフリーはあったので、車椅子でも通えるところはあるはず

・先生は基本友達感覚で話しやすい

・いろんな生徒がいて、授業ごとに人が違うので関わりは少ない

・故に青春や友人は望めない

・勉強面や進路は完全自分しだい

・合う合わないは必ずあるので、
校風が自分に合うのかはしっかり考えたほうがいい

・追加コースのような形で通学する形もあります(これは私が通っていないので詳しくは書いていませんが)

・勉強のペースが自分の責任ゆえ、自己管理能力は必要な所がある

といった感じですかね…

通信制に進路を変更した際、担任の先生は母の代わりに面談に同行するのを協力してくれたりして、たいへん助けられました一方で、支援級の先生やデイサービスの先生に「もう勉強しなくていいなんて思ってるのか」とか「本当に通信なんかでいいのか」とさんざん発破をかけられました。


その言葉を受けて何度も怖くなりましたし、本当に良かったのかと思う瞬間もそりゃありましたが

卒業した今は「後悔なし」というのが結論です。

学力で言えば、私は勉強をする余裕もなかったし、記憶だってほぼないくらいにメンブレ中だったため下がりに下がってますが、

振り返っても大きくメンタルブレイクをした高校三年間、通信だったからよかったものの、到底通学制はいろいろな面で無理だっただろうなと今でも思います。

就職面での不安や、勉強面でのこと

ネットでも「通信はクソ」だとか「就職できない」「人生終わり」などネガティブなものから、それを否定するものまでいろんな意見がありますから、ドキドキすることだろうと思いますが、

結局通うのは自分で、やるのも自分。
先を生きていくのも自分です。

その意見を言う誰かではないです。

私は通信になり、勉強ができない代わりに必然的に考え整理する時間が増え、その「責任」という点をたくさん考えました。

そして出た結論が「後悔なし」ですから、何度も言いますがほんとに自分次第なんだろうと思います。

だから、人の意見は片隅程度でいいのでは…?という気はします。

事実私は「勉強全くできなかった、終わった…就職できないのでは…暗闇…?」と怖くなる時間もたくさんありますが、

動けるときは、役に立ちそうな英語を学び直してみたり、通信生だった故に生まれた時間の余裕で、在学中は完全撃沈が多かったけれど、今になって行動するぶんのエネルギー回復が叶っているので、結果オーライ。

何を選んでたってどこかで後悔はするんだろうなって気はします。


だから、その後悔さえ「まぁしょうがない、結果オーライだ!!」と思えるように、一つでも行動を変えていきたいと思ってます。

その結果が今私のやる英語であったり読書で整理するという点なんですけどね。

なんだか長ったらしくなってきてうまくまとめられなくなってきたのでこのへんで無理やりバッサリきります!!!


少しでも、今、通信制を検討している方の参考になれば幸いです。


ではまた。

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