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早期発見した病気(ステージ0乳がん)のことVol.12(MRIの結果と幼馴染の一言)

約1か月の温熱治療の効果なく、マンモグラフィー再検査の結果は「著変なし」でした。それでもMRI検査での奇跡を信じ続けていましたが、学生時代からの親友との会話から少し目が覚め、またMRI再検査の結果も変化が見られず、やはり医師の言う通り手術をしようと思うようになります。またお正月に再開した幼馴染の一言にもその決意を固くします。一方、「ステージ0の乳がんで胸を摘出するのは過剰治療なのでは?」との疑問がどうしても拭い去れず、セカンドオピニオンを取ろう思うようになりました。今回は手術に向けて慎重に動きはじめた年末年始を振り返ります。

1.MRI再検査

MRIの再検査は年末最終勤務日の夕方でした。14時頃に仕事を切り上げ、年末独特の「今年もお疲れ様でした〜」と言っているかのような街の雰囲気を感じつつ病院へ向かいました。

MRIの待合室には入院されている方も多く、待っている間何となく不安にまた弱気になってしまいました。正直もうこれ以上検査したり病院に通うのは嫌だと思っていたのだと思います。

2回目のMRI検査は針を刺されたのは痛かったけれど、もう何も動じなくなっていました。前回同様、有線放送と機械音のコラボを浴びながら、今回は「もう辞めよう」とどこかで思いながら検査が終わるのを待っていました。

この日は検査のみだったので、そのまま帰宅。夕食を作る気力もなく家族で外食をします。

2.MRIの結果

MRIの再検査の結果は翌朝だったので、この日は実家へ帰省する日でしたが、その前に朝一で病院に向かいました。土曜日ということもあり待合室は空いていました。

MRIの結果は、残念ながら前回と同じでした。

もうこの時には手術しようという気持ちになっていました。
ただ、親友からのアドバイスに応じるように、改めて疑問になっていること、納得できないことを医師に質問させていただきました。
・ステージ0でも摘出する必要があるのか?
・摘出する場合、どれくらいの範囲になるのか?
・再建した場合、副作用はないのか? 
etc..

医師からは、生体検査結果の報告時同様に、わかりやすく説明してくれました。私も頭では理解できていました。ただ「摘出するしか治療法がないのです」という医師の言葉だけを信じたくないのだなと思いました。

さらに、乳頭を摘出するか残せるか?という点は明言いただけず、「残せないかもしれません。でも形成外科に確認しましょうか?」という回答で、年始に形成外科のアポを入れることになります。
総合病院なので仕方ないのですが、乳腺科の先生で全てが完結するとありがたいものだなと正直思いました。

そして、グラグラと心が動くのを避けるために、仕事のピークが一旦落ち着く2月上旬に手術の予約を入れたいと医師に伝えると、「お子さんの春休み頃に設定されますか」と提案を受けます。
前回は「手術を遅らせることで、浸潤性乳がんに発展するリスクもある」と言われていたので、ちょっと意外でしたが、あまり焦る必要がないのだなと理解します。ただ、2月の上旬に仮予約だけ入れて診察を終えました。

3.セカンド・オピニオンへの興味

病院を出て主人に結果をLINEで報告しました。
同じ結果だったこと、今後のことを考えて手術しようと思う と言った内容のメッセージを送りました。

空港で合流した後、子供には詳細を話していなかったので、夫とはゆっくりと話せませんでしたが、「今後不安要素を抱えながら生きたくないから手術する」といったことを伝えました。

帰省中、実家ではこの話題に触れませんでしたが、私はネットで色々と調べてしまいます。「通院お休み期間」は敢えて積極的には調べてきていませんでした。
有名病院のサイトや、大学のレポート等。「非浸潤性乳がんの場合、摘出は過剰治療」というレポートも見られます。というかそうであってほしいという希望から、このようなレポートを検索していたとも思います。

そして、どうせ手術するなら、セカンドオピニオンを取りたいと思うようになります。
できることは全てやり尽くしてから、納得した上で手術したいという気持ちが大きくなっていました。

4.幼馴染の一言

お正月休暇中、小学校時代からの幼馴染に再開します。
彼女とは小1からの付き合いで、お互いの子供の年齢が近いこともあり、お互い地元を離れていましたが、定期的に会っていました。

この時は近所の公園で子供たちを遊ばせながら、お互いの近況について色々と話しました。彼女にも病気のことを話しました。彼女も親戚に罹患された人がいたので病気のことはよく知っていました。

私は、頭では手術すべきだと思っているけれど、どこかで迷いがあると心の内を打ち明けました。
他にも色々と話を聞いてもらった後で、彼女が楽しそうに遊ぶ子供達を眺めながら、

「子供を産んだからには死んじゃダメだよね」

と言いました。

彼女は小1の時に父親を交通事故で亡くしています。4人きょうだいの長女でしたが、一番下の弟は当時まだ赤ちゃんでした。その後、引っ越しをきっかけに私が通っていた小学校に転校してきます。
私は、彼女が転入時の挨拶で、「お父さんが死んで転校してきました」と泣きながら挨拶したことをずっと覚えていました。

そんな彼女の一言はとても心に沁みました。。


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