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第21回『ぼくのイノキ』


・特集「アントニオ猪木さんは何と闘ってきたのか」プチ鹿島×荻上チキ×南部広美▼2022年10月7日(金)…てらださんに事前に聞いてもらった音声配信。プチ鹿島さんの「猪木」観が語られる素晴らしいエピソード。入門編としても素晴らしい。

・【そして、アントニオ猪木のいない世界が始まった】ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第223回…ロマン優光さんによる猪木追悼エッセイ。「父性の象徴」としての「猪木」観(と私は解釈した)、自身の父とのエピソードも交えられ語られる名文。

「プロ書評家・プロインタビュアーの吉田豪さんが語るアントニオ猪木」TBSラジオ『アフター6ジャンクション』:2022年10月17日放送…自身の転機に「猪木」があったという話から、実際のインタビュー時のエピソード、その他「信用できない偉大な人物」という面での「猪木」観が語られる音声配信。こちらも必聴。

・久田将義と吉田豪の噂のワイドショー【2022年10月号】…アトロクで語れられたエピソードとはネタ被りなし、同じく「信用できない偉大な人物」という面での「猪木」観が語られる動画。(39:15〜)


・「神話としての猪木」期

60年:力道山にサンパウロでスカウトされ日本プロレスに入団。 63年:力道山死去。
64年:アメリカ武者修行へ
66年:東京プロレス→67年:日本プロレスへ出戻り
72年:新日本プロレス設立
76年:モハメド・アリ戦など異種格闘技戦(リアルファイト)
   柳澤健『1976年のアントニオ猪木』

・「象徴としての猪木」期

(81年:初代タイガーマスク、デビュー)
82年:猪木監禁事件(梶原一騎らによる)
83年:世界統一タイトル:第一回IWGP開催
※アントン・ハイセルにつぎこみ、クーデター、選手の離脱が相次ぐ
(84年:第一次UWF(前田ら)、ジャパンプロレス(長州ら維新軍)設立、新日脱退)
87年:巌流島の戦い(マサ斎藤)
88年:「88・8・8」(藤波)「藤波よ、猪木を愛で殺せ!」(古舘)
89年:政界進出、「スポーツ平和党」から参議院議員となる

94年:「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」(引退への布石)
新間寿らによる「猪木スキャンダル」

95年:「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(北朝鮮でのプロレス興行)
参議院選挙落選

99年「ファイナルイノキトーナメント」(引退:ドン・フライ)
(99年:ジャイアント馬場死去)

・「問いとしての猪木」期
PRIDEなど総合格闘技のイベントに登場。「1、2、3ダァーッ!」
01年:「INOKI BOM-BA-YE 2001」(猪木軍vsK-1)
02年:「Dynamite!」(K-1とPRIDEの対抗戦:TBS放送)にてスカイダイビング
   「永久電気」発表

03年:「INOKI BOM-BA-YE 2003 馬鹿になれ夢を持て」(大失敗)
新日本プロレスでの「アルティメット・クラッシュ」(MMAルール)
そして「アルティメット・ロワイヤル」(バトルロイヤルルール)

05年:ユークスへ新日本売却
07年:IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)設立


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