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リレーエッセイ①


2015年3月24日、只今午後13時13分、

飛行機の窓の中から熊本空港の滑走路を眺めている。

救命胴着の着こなし方を実演している客室乗務員さんをよそに、

空港のロビーにまだいるであろう母親と、彼女のことを考えていた。

「間もなく、当機は離陸いたします。お座席のベルトをお締めください。」

そんな情報を認識するや否や、

「東京か…」と不意に呟いた。

その言葉がきっかけとなって、

18年間の思い出が走馬灯のように駆け巡って、

嗚咽を漏らすほどに泣いてしまっていた僕は、きっとピュアでかわいいやつだった。

あの頃思い描いていた「東京」。

洒落てて、スマートで、スタイリッシュで、賢そうで、カルチャーの要塞、
世界のTokyo、で。

そんな風にある意味決めつけていたのにはいくつか理由があったのだ。

自分には歳の離れた兄貴がいた。

それこそ僕が小学2年生の頃に彼は大学生だった。

んまあ、複雑な家庭環境とも相まって、兄貴は半分「にいちゃん」でもう半分は「父親」のような存在だったことを認めよう。

そんな兄貴は、いくつかの夏と正月にはきっちり熊本に帰って顔を出した。

その時の自分と言ったらまあ。

恥ずかしながら、兄貴に羨望の眼差しをこれでもかと注いでいた。

よく、こんなこと友達と話したことありませんか?

我:「もう俺らハタチじゃん。笑」
友:「そおね。笑 早いね。笑」
我:「いや俺さ、小さい頃はハタチの人ってめっちゃ大人に見えてさ〜。」
友:「それわかるわ。」
我:「でも今の自分のこと考えるとねぇ…。」
友:「全然子供だよな。笑」

まあこんな具合の感覚ですよ。

とにかく、兄貴がめちゃめちゃオトナに見えて、カッコ良かったなと。

それに加え、慣れ親しんだはずの熊本弁は綺麗に矯正され、
髪は茶髪に靴はブーツ。

標準語を流暢に喋り、電子機器をスマートに使いこなして「向こう」の友人とコミュニケーションを取る。

方や当時の僕といえば、熊本弁丸出しの田舎者で、
ボールが友達!!で、常に泥だらけ。

浅黒く日焼けし、「ぼくのなつやすみ」よろしく昆虫に愛情を注ぐようなキング・オブ・ローカルキッズ。

もうどっちかというと自分にとって兄貴は宇宙人で、限りなくエンタメだった。

こういうわけで僕の東京観は兄貴を軸に構築されていった。

やはり結論を申し上げるならば、

「東京」は「兄貴」そのものなのだ。

熊本空港の一件からもう5年ほど経ち、

東京の街々を練り歩き、港区なんかで働き、友達にも恵まれ、

いろんなものを得るべくして得、失うべくして失った。

まさに「袖振り合うも他生の縁」。

とはいえ今は完全に「住めば都と申します」状態。

現在進行形の記憶は上手く言い表せず、形容するなら「めらめら」。

正直、長渕やくるりみたいなセンチメンタルの春のフェーズは過ぎ去り、

人生を捧げたいライフワークが始まる夏に差し掛かった。

因縁に導かれながら生かされていると感じる今日この頃、

僕は東京タワーみたいになりたいと思った。

見たときに感じるいつもシンボル感と不気味な感じ。あれよ。あれなのよ。

あれが「東京」を「東京」たらしめてるのは間違いないですよ。

あんな赤色の人になるぞー!


君のいるところ、おもったところが東京なのです!!



僕から以上っ!!

さんぴん倶楽部:美並