病と闘った10日間の記録
我が家に激震が走った。
勘違いされないようにあらかじめ断っておくが、「ゲキ・シン」という名のランナーがうちの廊下を走り回ったわけではない。トイレの前で手を振って応援したわけではない。
娘が幼稚園で新型コロナウィルスをもらってきた。
知らない人からなんでもかんでももらってきてはいけませんと教育していたのに。
「アメあげるよ、ぐひひ」
「いりません」
「チョコがいいかい」
「いりません」
「お釣りの300円です」
「いりません」
「おめでとうございます! 一等のハワイ旅行です!」
「いりません」
そんな娘が唯一もらってきたのがコロナだ。
さすがの感染力といったところで、次から次へと家族に感染の輪が広がっていった。
3月14日 娘、発熱。
15日 妻、発熱。
16日 息子、発熱。
16日 私、発毛。リアップが効いてきてね。じゃないわ。
結局、16日の夜から私も発熱。39.5℃と家族の中でも私が最高熱を記録。えっへん。
ニュースやらなんやらで色々な症状があることを聞いていたが、人によって症状が違うという印象。
娘は高熱とともに「気持ち悪い」と繰り返し言っていた。決して私の顔を見てそう言ったわけではない。
息子はさらに特徴的な症状が出ていた。
・発熱
・嘔吐
・怖い夢を見る
・お笑いコンビななまがりのネタ「架空の下ネタ・ギンモ」のことが頭から離れない。
そして私はといえば、発熱、頭痛、鼻水、喉の痛み、咳、味覚障害、嗅覚障害、社会不安障害、薄毛障害、ヘルニア、偏頭痛、謎の足首の痛み、膝曲げるとパキパキ、目を閉じるとあの日の僕、といった症状に見舞われた。
実際、大変だったのは2〜3日ほどで、そこからは普通に食事をしたり、簡単な家事をしたり、簡単なゲームをしたり、軽率に課金したりすることができるようになった。
ここで私はある疑問を抱く。
「あれ、これ本当にコロナかな」
最初に感染した娘は医療機関での検査のもと、はっきりとした、これ以上ないというほどの陽性判定を受けたわけだが、他の家族は検査を受けたわけではない。ひょっとすると【どく】状態にあっただけかもしれないし、身動きの取れなかったあの頃は【石化】していたのかもしれない。
そこで我々は、これまた人生初体験となるドライブスルー検査に出かけた。
電話で予約をとると、ご丁寧に道案内をしてくれた。一抹の不安があった私だが無事に会場まで到着できた。なんだか旅行気分だ。今現在、旅行からはもっとも遠い位置にいる我々なのだ。唯一外出できるこの機会、少しばかり妄想に浸ってもバチは当たるまい。
会場では全身完全防備の係員が私の車を誘導してくれる。
案内に従い、PCR検査。車内で唾液を採取する。各自、三者三様の唾液が集まる。「君のよだれが一番きれいだね」と謎の褒め言葉を妻に発し、しっかりと気持ち悪がられたところで検査は終了。一度も車から降りる事なく、家に帰る。
結果は陽性。そりゃそうか。
10日間の外出禁止は、普段からアクティブに活動している方からすると大変過酷なものかもしれない。だが、普段からアクティブな活動をしていない私からすると、なんてことはない、いつも通りの日常だ。いや、いつも以上に快適な日々。「療養期間」という免罪符を得た私は、すでに入っていた予定をばったばったとキャンセルの剣で切り倒していく。
優雅に療養期間を満喫していた私だったが、最後の時は無情にも訪れる。療養期間終了の通知を受け取り、私は一筋の涙を流した。さらば栄光の療養期間よ、お久しぶり外に出て人に会わなければならない日々よ。
だが、やはり外の空気、うまい。
そして、元気に動く身体、ありがたい。
これからは健康に気をつけた上で、家にこもる生活を目指して日々精進していこうと誓うのであった。
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