娘に自転車を買ってあげたというほのぼのした話のはずがなんでこんなことになってしまうのだろう 後編

前回、娘の自転車を購入したというほんわかアットホームな話を書いた。今回はその続き。
前回の話はこちら↓

自転車の購入は済み、納車は翌日という展開。今日こそは自転車に乗って帰るからと再び徒歩でお店まで向かう。
新品の自転車はとびきりの笑顔で我々を待っていた。カゴやライト、サドルにペダルといった嫁入り道具を携え、我々を待っていた。
こうなってはこちらとしても向こうの両親にご挨拶をせねばならない。しまった。もっとちゃんとした服を着てくるべきだった。スーツとか。こういうときに限って、スーツどころか、裸でシーツにくるまったまま外出してしまったものだから大恥をかいた。だが、店先に何台も並んでいる自転車のどれがご両親なのか判然としなかったため、とりあえず一台一台に愛想笑いを振りまいておいた。

店を出ると、娘は自転車に颯爽と飛び乗る。
今、私がこの一文を書いた瞬間のことだった。ウ~ウ~。そこに現れたのは手垢警察だ。
警察「はい、免許証見せて」
私「……私、なにかしましたか」
警察「今、手垢にまみれた表現を使いましたね」
私「……え、手垢」
警察「今あなたこう書きましたね。『颯爽と飛び乗る』と。それ、本当ですか? 本当に娘さん、颯爽と飛び乗りましたか? 自転車に乗るときの描写といえば、とりあえず『颯爽と』って書いときゃいいやって思いませんでした?」
私「……ぐっ!」

手垢警察は全てお見通しだった。たしかに私は安易に『颯爽と』なんて使ってしまった。はたしてあのときの娘の動作を『颯爽と』と書いて正しかっただろうか。

私「す、すみません……! ほんの出来心で……」
警察「じゃあ、なんて書く?」
私「はい……そうですね……。実際の娘は、初めて乗る自転車ですので……ゆっくりと慎重にまたがっていたように思います……」
警察「そうだね。じゃあ、それでいこうか。ほら、行きなさい。君、いっつももたもたして全然話が前に進んでないから」

では、なぜ邪魔をした。『颯爽と』を使わせてくれれば、今頃、自宅に到着しているシーンを書いているはずだったのに。

警察「冗長な文章にも気をつけてね。君、冗長警察の人にもマークされてるから」

私は笑顔でぺこぺこと頭を下げた。
冗長警察に捕まるのは、お前らだろうが! との悪態は心の奥に封印したまま。

そんなこんなで本文に戻る。

娘はゆっくりと慎重に自転車にまたがった。

我々は雪国暮らしのため、冬の間は自転車には乗れない。娘にとっても久しぶりの運転だったわけだ。さらに、今まで乗っていた自転車よりもサイズが大きいため、なかなか思うように進まない。私がカゴのあたりを支えてやることで、ようやくバランスが取れてきた。今回の出費で収支のバランスは全然取れていないが。

勢いに乗った娘はすいすいと進む。なんと、娘が乗っていたのは自転車ではなく勢いだったようだ。そこで、気がついた。あれ? あれあれ? 走る自転車の横に並ぶには、徒歩の私は走らないといけないのでは?

運動不足というよりは、運動枯渇。完全に干上がり、脱水症状ならぬ脱運症状に見舞われている私に急なランニングは厳しかった。けっこう走らされた。体の疲れとかよりも、なんか一人だけ走らされていることが罰走のようで心に効いた。

シーツで汗をふきながら、ようやく自宅に到着。もともと持っていた自転車の鍵を後輪にかけたとき、我々は驚愕の事実を知ることとなる。
最初に見つけたのは私だった。「ぎぃぃやあぁぁぁ!!!」私は絶叫した。と同時に思った。ちょっと声が出すぎちゃったな。これがランナーズハイってやつか。

私が何を見たかというと、自転車の後輪。そこにあるべきものがなかった。そう。タイヤに空気を入れるときの穴のふた。あれ、なんていう名前? 空気穴のふた。黒い小さいキャップみたいな。あれがついていなかった。正式名称がわからないため、ここからは【アレ】と呼ぶ。

前輪にはちゃんとアレはついていた。後輪だけない。どこかに落としたのだろうか。いやしかし、一キロにも満たないような距離を走っただけでこんなにも息が切れるなんて……。いや、違う。一キロにも満たないような距離を走っただけでアレが勝手に落ちるとは考えにくい。

ということは、あのときか?
信号待ちで立ち止まった際、酸素が足りないと感じた私がアレを外し、タイヤの中の空気をチューチュー吸ったときか?

いずれにせよ、近くを探しても見つからないため、捜索は断念する。
ためしに、以前乗っていた小さい自転車のアレを取り外し、新しい自転車に移植してみる。が、合わなかった。正直、あんなもん、どれも同じだろうとなめていた。患者に適合しなかったため、手術は失敗。

しかたなく、私は自転車を購入した店舗に電話してみた。
私「か、か、か、金ならいくらでも払う! どうか、アレだけは! アレだけはぁ!!」

すると親切な店員さんはあっさりと新しいアレを用意してくれると言ってくれた。
よかった。
アレを取りにいくときは、車でいこうかと本気で考えた春の午後の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?