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絶対に負けられない戦いがそこにはある。左手VS右手。因縁の関係に今、終止符が打たれる…!

先日、五歳の娘がこんなことを言い出した。
「漫画家の人は、漫画を左手で描くんでしょ?」
どうやらテレビで見かけた漫画家さんが左手で絵を描いていたことからそう思ったらしい。

もちろん全ての漫画家さんが左手で絵を描いているわけではないだろう。小さな子供にはきちんと説明してあげなければならない。
「漫画家さんみんなが左手で描いているわけではないんだよ。左手で描く人もいると思うけど、だいたいの漫画家さんは右足の小指と薬指の間にペンをはさめて描くんだ」という妄想をいったん頭の中で再生させ、私はちゃんと説明しましたから。本当。本当にちゃんと説明したんですって、刑事さん!

とにかく、右利きの人は右手で描くし、左利きの人は左手で描くし、腕利きの人は腕で描くし、食糧危機のときは食料を隠し、御用聞きの人は御用を聞くし。


私は右利きなのだが、ここでふと考える。
右手に頼り過ぎてはいないか、と。

人間の体とは不思議なもので、鍛えれば鍛えただけ力はついていく。まるで神様が努力は必ず報われるということを教えたいかのようだ。
だが、片一方だけを使いすぎると、もう片方は鍛えられないままになってしまう。
アームレスリングのチャンピオンなど、利き腕の筋肉だけ異様に発達した人を見たことがあるという方も多いだろう。

そこまで大きな話ではないが、私も右と左のバランスをうまくとったほうがいいように感じた。これからは右手と左手、同様に負担をかけるようにしよう。

そのためには、右手と左手で作業分担をしっかりと決めればいいのではないか。

たまにこれに近い人がいる。
字を書くのは右手だけど、ボールを投げるのは左手。
これには憧れた。私も真似してみたくてよく言ったものだ。「字を書くのは右手だけど……じゃんけんの手は左手かな」グーチョキパーに利き手関係ないわ。


では、作業を分担しよう。

まず、お箸をもつこと。
これは右手に任せるしかない。だってそうでしょう。小豆を右のお皿から左のお皿に移す仕事のシフトに入っている日に、ちまちま左手で作業なんかしてられませんもの。

字を書くこと。
これも右手に任せるしかない。もともと右手で書いてもミミズがのたうちまわっているような字しか書けないというのに、慣れない左手に任せたらどうなることか。きっとミミズがのたうちまわっているような字になってしまうに決まっている。

ボールを投げること。
これも右手に任せるしかない。これが業務中にお客様とのやり取りの中で行われるドッヂボール程度なら左手でも問題ないかもしれないが、こと伝説ポケモンを目の当たりにしたときに、そんな悠長なことは言っていられない。しっかりと利き手の右腕を振るい、モンスターボールを放るしかないではないか。

おいおい、ちょっと待て。いったい左手はいつ活躍するというのだ。
結局、左手は私からまったく信用を得ていないということになる。もっと頑張れ。お前はそんなもんじゃないはずだ。
何でも体験である。左手にも様々なことを経験させていくしかない。

まずは簡単なことから。
本のページをめくらせてみた。数ページまとめてめくってしまい、気がつけばなぜか主人公が走って逃げていた。

スマホの文字打ち。すぐにイライラしてきた。

文字を書けないのなら塗り絵はどうだ。多少のはみ出しはあったが、まずまずの出来。しかし、色彩センスがない。いや、色を決めているのは私の脳みそ。

結局、左手を使えば使うほど、右手の有能さを思い知らされるばかりであった。

「いいんですよ。どうせあっしは利き手ではございやせん。これからも右手さんにいい思いをたくさんさせてやっておくんなせえ」とある日突然、コンビニで買い物中に左手が声をかけてきたなんて言ったって信じてくれる人はいないだろうが、それでいいのだ。だって左手は声なんてかけてきてないから。ただの妄想だから。


だが、あるとき、私は重要な事実に気がついた。
左手が活躍できる場があったのだ。活躍どころの騒ぎではない。左手しかその役割は担えない。左手こそが唯一無二の存在として身体部位の中で燦然と輝く瞬間があることがわかった。

それは、「右ひじがかゆいとき」だ。
こればかりは右手にはどうすることもできない。これが本当のお手上げ状態、いや、右手上げ状態だ。


この話をそっと左手に打ち明けた。
すると、いっつも泣いてた左手さんは、今宵こそはと喜びました~♪

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