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寒く感じるのは私の心が温かいから…とでも思わなきゃやってられないくらい寒さが骨身に沁みる。

私の住んでいる地域では、とうとう雪が降った。
なんか最近アイス食べる気がしないな、と思ったら、冬が近づいていたようだ。そうか。それならそれで暖房をガンガンにたいてアイスを食べなければ。

年々、寒さに弱くなってきているような気がする。今ならヒャド一発で私のことなんか倒せるだろう。

昔は「寒い」などと言ったことがない。なにせ、話しかける友達がいなかったから。
今は「寒い寒い」とそればかり口にしている。なぜなら独り言を言っても気にならなくなったからだ。

いつから寒さを感じるようになったのか。過去を振り返りながら検証してみよう。


子供は風の子とはよくいったもので、小さい頃は毎日外で遊んでいたものだ。雪国で育った私には雪遊びの思い出もたくさんある。
部屋に引きこもって出てこなくなってしまった姉と一緒に遊ぶために、毎日姉の部屋のドアを叩いては「雪だるま作ろう~♪」と声をかけたものだ。間違えた。これ、アナの思い出だった。

私はといえば、一階の窓の高さまで積もった雪の上を歩き回り、「この辺りにはブロック塀があったはずなのに全部雪に埋まっちゃった!」と楽しんでジャンプしてまわったものだ。すると、ちょうど家の壁とブロック塀の間の隙間に積もった雪が、家からの熱で溶けやすくなっていたのか、ずぼっと底が抜け、私は滑落。首まですっぽり雪に埋もれてしまった。
これはもう助けを呼ぶしかないな、と半ば諦めかけたのだが、そもそも一人遊びをしていたわけで付近に人影など皆無。たとえ通行人がこちらに気がついたとしても、生首が一つ晒されていると思うだけで誰もが通り過ぎることだろう。こちらを見つめるは不格好に仕上がった雪だるまのみ。メルヘンの世界を信じていた私は、きっとこの雪だるまが私を助けてくれるのだろうとしばしの間信じてみたものの、やっぱり自力で脱出するしかないと考え、そのときに初めて人生とは自分の力で切り拓いていかねばならぬものなりと腹をくくったのだった。
結局、ファミコンのコントローラーを連打することで培った上半身の力をフルに活用して、なんとか這い上がるのだが、そのとき長靴だけ雪の中に置き去りとなってしまい、私は泣きながら裸足で家へ帰った。

このときですら、「寒い」とは思わなかった。

中学時代。
私が通っていた中学校の制服は学ランだった。冬になれば皆、制服の上にコートやジャンバーを羽織って登校するのだが、寒さを感じない私は大雪降りしきる中も学ランだけで通学した。学校に向かって歩いている間にすぐ体が熱くなってしまうのだ。周りの人を見ながらよくコートなんか着てられるなと思っていたのだが、もしかしたら貧しかっただけなのかもしれない。

その後、社会人になって、生まれ育った地域より南で暮らす時期があった。
もともと寒さを感じなかったわけだから、もう最強。向こうの冬だって私にとっては夏の終わりくらいに感じられたものだ。

が、この南の国から現在の雪国に舞い戻ったあたりから状況は一変する。

暖かいところから寒いところへ移ったのだから、それは当然寒く感じるわけだ。頭はマンゴー、髪型はパイナポー。体がすっかりトロピカっちゃっているのだ。

雪なんて見たことございません、なんて気分で迎えた冬は、それはそれはとてもしばれるものでござんした。

さらにそこに加齢という人類共通の敵が重なり、年々、寒さに耐えられなくなっているというお話だ。

しかし、時の経過とともに体は老いさらばえようとも、代わりに知恵や知識、経験といったものは増えていく。冬がいくら寒くなろうとも、それを補うための対策ならいくらでも立てることができる。

人生の荒波をいくつも越えてきた年輩者にしか授からない究極奥義。それは「家から出ない」ということ。必殺技「家から出ない」を繰り出してもまだ倒せぬ寒さが訪れた場合、さらに技は進化する。「こたつから出ない」へ。
物語が進むにつれて敵が強くなっていくのは当然の流れ。最終的には、「布団から出ない」にまで辿りつければ「出ない」シリーズもいよいよ最終章へ突入だ。
水道は凍結して「水は出ない」し、こんなことばかりやっていたら「給料も出ない」。働かざるもの食うべからずの原理にのっとり、「ご飯も出ない」。そして、ついには「書くネタも全然出ない」ので、今日はここまで。

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