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#2 LMIの歴史 【前編】

前回noteをはじめる理由について語りましたが、本編の第一回となる今回は、私の人生と弊社の歴史について大づかみに振り返ってみたいと思います。

父親からの事業承継

ベンチャーキャピタルから看板工事屋へ

弊社の前身は株式会社クレストという会社です。
1987年、私の父が群馬県で創業しました。材料を仕入れて看板を製造する看板工事会社でした。

長男である私は、2009年春に早稲田大学を卒業したのち、大手ベンチャーキャピタルであるジャフコグループ株式会社にてバイアウト投資を行うチームに入社しました。

もともと興味のあった世界で、意気揚々と社会人として歩み始めた矢先――。

「会社を辞めて、うちに来い」
そんな父の一声で私の人生は変わりました。

言われた通りに、まだ半年ほどしか勤めていなかったファンドを退職し、クレストに入社したのです。

なぜ断らなかったのかと不思議に思われるかもしれませんが、
厳格な父のことが単純に怖かったし、長男として、いつかは会社を継ぐことになるだろうという予感もありました。

まさかこんなにも早いタイミングで呼び戻されるとは思ってもいませんでしたが、当時の私は「これも運命か」とすんなり現実を受け入れていました。

ガードマンや看板の取り付けなど、
職人さんたちと一緒になって現場で働く日々が始まります。
社長の息子だからといって特別待遇は一切なし。労働環境は決して良いとはいえず、「ここからどうやって人生を切り開けばいいのだろうか」と思いつつ、当時の仕事に没頭する日々でありました。

特に、ファンドに勤めていたころとのギャップに苦しめられました。
資本市場の中に身を置いて投資やM&Aに奔走していたところから一転、現場仕事に放り込まれたわけですから、見ている世界があまりにも違います。自己肯定感は地に落ち、22歳の私は「自分はもう社会に認められることはないだろう」と絶望していました。

業界の価値を向上させたい!

それでも、親の会社に入った以上は、その会社の中で自分にできることを探す以外の選択肢はありません。
必死で働き続けるうち、会社あるいは業界が抱える課題が見えてきました。

私の心の中には、

  • 「看板屋さん」という仕事を変革したい

  • 業界の価値を向上させたい

という思いが少しずつ芽生え始めました。

最初に考えたのは、
「看板屋っていうものをカッコいい仕事に変えられないか」ということ。

もし、看板業界をカッコいい仕事に変えることができれば、そこで働いている人たちも自信を持てるようになるはずだ、と考えました。


変革の日々のスタート

多重下請け構造の改善

クレストが抱えていた課題の一つが、多重下請け構造でした。建設会社から始まる長いバリューチェーンの川下に位置していたので、これをクライアントから直接仕事をもらう元請けの形に変えていくことに挑戦しました。

誰もが知る高級ブランドショップから仕事を直接もらうことができれば、働く人たちの気持ちも全く違うものになるだろうし、利益率も高くなる。
そう考え、夜はガードマンの仕事、昼間は自らガムテープで受話器と手をぐるぐる巻きにして営業先に電話をかけまくりました。

売る商品は、看板工事だけでなくショーウインドウディスプレイや店内の広告・販促物を含む、いわゆるVMD(ビジュアルマーチャンダイジング)と言われる領域を付加。

アポイントが取れたら資料を持って出向き、見積もりを出す。
その作業をひたすら繰り返しながら、少しずつ実績を積み上げていきました。

街中のショーウインドウや広告が、少しずつではありますが自社が手掛けているものに変わってゆくさまを見ていたあの頃、
オセロを1枚ずつ自分たちの色に染めていく感覚は、大変な日々でありながらも本当に仕事の楽しさを初めて感じた時期だったなと今でも思い返されます。

さらなる変革へ――IT化と高成長

入社から数年後、変革の試みは第2フェーズに入ります。社内のシステムのIT化です。

そのころから取締役の肩書が付き、経営にタッチできる状況が生まれていました。社にSalesforceやMarketoなどを導入し、CRMやMarketing Automation(MA)を仕組み化していきましたが、この狙いは業務の効率化だけではありませんでした。導入効果としてしっかりと変化をつくり、
成功事例化して、積極的に世に発信したのです。

元がアナログだっただけに、IT化の効果は顕著に表れ、弊社の事例は様々なメディアで取り上げられました。

こうして弊社の先進性を示すことは、社内の意識改革とともに、
看板業界の地位や価値を向上させるため
という側面を持ち合わせていました。

▲Marketo(現在のAdobe Marketo Engage)のセミナーにも登壇


継続的な高い成長性づくり

営業方法の変更、IT化に続いて、高い成長性をつくることにもこだわりました

といっても、そのために何か特別なことをしたわけではなく、
教科書通りのことをひたすら積み重ねただけ。

  • 営業に行ったらお礼のメールを送りその履歴をデータで残すこと

  • 商談の内容や次に取るべきアクションをCRMに入力し実行有無をトラッキングすること

  • 経営者であればBS(貸借対照表)やPL(損益計算書)を自分の目で見てお金の流れを把握すること etc.

そうしたシンプルなことを徹底することで、
当時は毎年のように年30%成長を続けることができました。

自分としては良かれと思って変革の陣頭指揮を執っていたつもりですが、今になって思えば、組織体制だけは旧態依然とした形で取り残されていました。
社長としての父がいて、長男の私が会社の変革を推し進めている。結局のところ、永井家による家族経営であることには変わりありませんでした。

さらなる成長に向けた戦略

「戦略」をつくるために模索する日々

経営体制がどうであれ、自分なりのやり方で会社を成長させることに成功していたので、同じことを続けていけばさらに成長していくだろうと私は考えていました。
ところが、どうやらそういうわけでもなさそうだということに気づきます。

当時、私の頭の中を占めていたのは「戦略」の2文字でした。
さらなる成長には戦略が欠かせないらしい。
だけど、戦略とは具体的にはどんなことを指すのか、どのようにして立てればよいのか、明確に思い描けずにいました。

このときに相談を持ちかけたのが、高校・大学時代の同級生であり、現在LMIグループ株式会社の取締役副社長を務める、共同創業者の望田竜太でした。2014年のことです。

親友・望田との再会

私と望田の関係性についてはまた別の回で詳しく紹介したいと思いますが、私と望田は、志を同じくした親友でした。

高3のころ、お互いに漫画『サンクチュアリ』に共感して「日本を絶対に変えよう」と誓い合い、同じ大学に進み、別々の投資ファンドに就職しました。

しかし、私が志半ばで父の会社に加わることになってからは、全く連絡を取り合っていませんでした。

気づけば看板工事会社で働いている自分が恥ずかしくて、特に資本市場に触れるような仕事をしている学生時代の友人たちと顔を合わられるような心理状態ではなかったからです。

クレストに入って5年が経ち、多少なりとも成功体験を積み重ねてきたことで、望田に電話をかけられるような心持ちになっていました。

「会社を成長させるために、次のステップとして何をすればいいのかなって考えてるんだけど、相談に乗ってもらえないかな」

そんな私の頼みに対して、数年間のブランクがあるにもかかわらず、望田は快くうなずいてくれました。

会社の成長に向けた徹底的な議論

お互いに仕事があるので、土曜日に会ってミーティングを行いました。
このころにはクレストは創業した前橋から本社を東京に移しており、水道橋にあったオフィスに2人で集まり、会社の成長のために何が必要なのかをとことん議論しました。

それからの5年間、全ての土曜日、朝から晩まで私と望田は時間をともにし、議論に時間を費やしました。

▲5年間毎週行ったミーティングの様子

LMIが生まれた瞬間

議論を続けるなかで、あるとき、こんなやりとりがありました。

「看板屋さんの価値を向上させようって、別の言葉に言い換えるとどうなるんだろう」
「古い産業を変革させるってことかな。例えばテクノロジーを使って」
「古い産業……レガシー産業か。変革はイノベーションだから……」
「レガシー・マーケット・イノベーション?」
「それ面白いじゃん! 良いメッセージだと思う」

こうしてホワイトボードに、
「レガシー・マーケット・イノベーション(=LMI)」という言葉が書き記されました。

私はそれを見つめながら「これは世界を変える一言だ」と確信に近い手応えを感じていました。それ以降の議論は全て、LMIの概念を起点として展開されました。

LMIとは、簡単にいえば、
伝統のある業界にイノベーションを起こし、既存の市場を成長性ある市場に刷新すること

私は、望田にアドバイスをもらいながら、この理念を体現する取り組みを1つずつ進めていきます。

1つ目の舞台は、看板業界(サイン&ディスプレイ業界)。
2つ目の舞台は、クレストがすでに持っていたガーデニング関連事業である「インナチュラル」。
3つ目の舞台は、木材卸売の「東集」。同社については、バリューチェーンが非常に長いという点で看板業界と似ていたことから、イノベーションを起こそうと考え、M&Aしました。

一つひとつについての説明は今回は割愛しますが、こうしてLMIを様々な業界で起こしていく一方で、クレスト自体にも大きな変化が訪れます。

次回、私が新社長として就任してから現在までを振り返ってまいります。

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