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99%ノンフィクションエッセイ「酒場」

 涙を背景に酒場は笑い合う。私たちは、知らぬ間にそんな風に日々に呑まれているのだろう。

 「酒は百薬の長」とは誰が最初に口にしたのだろう。まさに今、その諺が題名になるような光景を目の当たりにしている。

 大人は皆、嗜好品としてアルコール飲料やコーヒーを飲むらしい。それに対して、まだ未熟だった私は“自分も飲みたい”という好奇心よりも“なぜ飲んでいるのだろう”と、不思議に思っていた。
“味”以上に得られる効果があるのかもしれないと周囲の大人の姿を見ながら感じていたけれども、実際に自分がお酒を合法的に飲めるようになった今分かったことは、「嗜好品」は直接的な栄養になるわけでは無く、

「無ければ寂しい」

そういうものだということ。

 だからあの夜、母は生ビールを飲んでいたのだろうか。百薬の長を飲んで、内に溜まった毒を消していたのだろうか。


 「生、一つ。」

 母は、外食をしたときはほとんどの割合で生ビールを注文する。まだ歳が二桁にも達していなかった私はただ純粋な疑問として

「同じものばかり飲んでいて飽きないのかな」

と感心していた。

 そんな子どもの私はというと、百薬にもならないアップルジュースとオレンジジュースの繰り返し。
子どもにとっての嗜好品、ソフトドリンク。確かに、あまり栄養にならない。

「じゃあ生もう一つ、ちょうだい。」

 今日は母のそのまた母、祖母も一緒だった。母と祖母は一見して親子だと分かる雰囲気を醸し出しているが、母と私は全く似ていない。似ている部分を挙げるとすれば、性格だろうか。
もし私が母に似ている子どもであれば、もっと美人だったはずだ。歴とした父親似である。
今日は、3世代女子会の日。

 よくある街中の居酒屋で、その日は食事をした。
賑やかでかなり席が埋まっている様子の店内で私達は座敷の席に座った。
昔から居酒屋は好きだ。変に気を遣う必要も無く、ご飯も美味しい。特に、焼き鳥が美味しいお店に外れは無いと自負している。

「将来は絶対酒呑みになるで」

家族や親戚と居酒屋に行くと、決まり文句のように言われていたこの言葉。後から聞いた話だと、私は焼き鳥の中でも特に「皮」をよく好んで食べていたらしい。そりゃあ酒豪を予言されるわな。
ちなみに、25歳になった私は今、レモンサワーにハマっております。
一杯目の半分で回ってくるけれども。

そんなことはさておき。

 「お待たせしましたー、生ビール二つと、アップルジュースです。」

各々の嗜好品が到着。

「はい、お疲れさーん」

祖母がそう言って、私たちはグラスを合わせた。

 「乾杯」という言葉の由来は、神聖な儀式のためや毒見酒という説もあるらしいが、私は子どもながらにこのやり取りに楽しさを感じていた。
その場で一緒にいる人との壁が取り外されると同時に、今まで過ごしてきた自らの時間を労いつつリセットされるようで、良い意味で繋がれたものをカットすることができる感覚になるからだ。
“乾杯”は、一過性に感情を休ませることができる人類共通の合言葉なのである。

「最近はどうね、家のほうは」

祖母がそっと口を開く。

「んー、まあぼちぼちかな」

到着したばかりの生ビールの三分の一を飲み、母は言葉をこぼした。

 母は強い人だ。それと同時に、打たれ弱い人だ。子どもである私は母をそのような人だと認識している。どちらかと言えば人の話を聞くタイプで、細かいことを気にしない大雑把な面もある。ただ、それは私にとってはありがたかった。
母のさっぱりした性格と私の自由な性格は合っていたのだろう。母と娘の確執というものは一切無かった。強いて言えば、私のわがままな言動で時々しらを切らせた程度である。今となって、それに関しては反省している。
 反対に、父は弱い人だ。それと同時に、知的で繊細な人だ。どちらかと言えば自分の話を人に聞いて欲しいタイプで、細かいことを指摘する。
未熟だった私にとって父は高圧的で、厳格な印象だった。
しかし、それは仕事においては非常に重要なことであり、ただ単に怒鳴り散らかしているだけでは無かったのだと今なら理解できる。
怒りの沸点が分からず、私からすると率直に意見を言っただけでも父の逆鱗に触れることが何度かあったが、それに負けたくなくて号泣しながら張り合った記憶もある。羞恥の塊のような思い出である。

 ただ、仕事でほとんど家にいなくても休みの日には遊びへたくさん連れて行ってくれた記憶もある。
家族と一緒に生活をする中で、自分の家が金銭的に余裕があまり無いことは幼いながらに肌身に感じていたが、時々父は、どこの泉から湧き出てくるのだろうと言わんばかりのお金の使い方をするときもあったため、反面教師としていた部分もあった。

 持っているお金を使うだけならまだ良い。身の丈以上に使った後に、周囲へ矛先を向けるのをやめて欲しかった。

私の腹の底に沈めている黒い感情を全てここで書き散らしてしまうと、それこそ終わってしまうものがある気がする。大人しく墓場まで持って行こう。

 あの夜、居酒屋で母と祖母が何を話していたか詳しくは聞いていなかったが、私達家族が上手くやれているかどうかという内容だったと思う。

 気がつけば、母が泣いていた。

なぜ泣いていたのかは分からない。母にとっての母であった祖母の前で他愛も無くこぼしていた言葉が積み重なり、耐えられなくなってしまったのだろうか。
本当にこぼしたい言葉は言えずに、生ビールと一緒に飲み干していたのかもしれない。

 家族という天秤のバランスを上手く保とうと、母なりに考えていてくれたのだろうか。私という子どもの存在を優先して考えてくれていたのだろうか。それと同時に、私という存在がいるからこそ母を悩ませてしまっていたのだろうか。

「はなれても大丈夫やで」

ソフトドリンクと一緒に飲み込んだこの言葉は鮮明に覚えている。

 人はなぜ“結婚”をするのか。
その答えは実はシンプルなもので、「その人と一緒にいたいから」だと私は考えている。
現代においてこれは多様的なものであり、時代の流れに乗って価値観も増え続けている。
私は未だに想像したことは無いのだけれども。

「幸せになりたい」

ただそれだけの願望であるのに、なぜここまで人を悩ますものなのだろうか。
“ただそれだけ”が強欲なのだろうか。
悩みの種は端からいらない。そうできるものなら皆そうしているけれども、なかなかできないのが現実で。

 “頑張って”いても、幸せになれないことだって日常的にある。
それぞれの日々に見えない悲しみや苦しみは必ず存在していて、誰にも見せることのない涙を背景に人は酒場で笑い合う。
誰か一人が涙を流していても、すぐ隣でアルコールに酔い潰れている赤の他人もいる。その人もまた、誰もが見てないところで涙を流している。
 知らず知らずのうちに、私たちはそんな風に日常に呑まれているのだろう。

だからこそ、たまには違う場所へ行ってみてもいい。

 ガラスジョッキなみなみに注がれた生ビールを飲み干すように、私たちは日々の幸せを飲み干している。
一度の乾杯で時間を忘れられるように、たまにはリセットの時間も過ごしてみる。
そうすればまた、なみなみに注がれる日々の幸せを分かち合える瞬間がやってくるかもしれない。

 些細な日常に落ちている幸せに気付くことができる自分でいられるように、巡る日常に呑まれないように。

私はこれからもそうやって生きていこう。

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