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ため息


 ため息をついたって幸せは逃げていかないぞ〜。

そんなことをふと思いついた金曜の晩。

「ため息をついたら幸せが逃げていく」という価値観は、分析してみると実は“人の前で”ため息をついた場合を表しているのではないだろうか、と考えた。
人の前でため息をつくとそりゃあ目の前にいる人は良い気分にはならないよね、と。

「私、あなたを落胆させるようなことしましたっけ?」

と、相手に感じさせてしまうだけ。

ため息というものは聞く側がネガティブな感情になってしまうものだ。つく側は、反対にその“息を吐く”という行為で昇華されるため、楽になる。

 ならば、一人のときにため息をつこう。

 トイレで用を足すように周囲に誰もいない状態であればため息の一つや二つ、ついても何の罰も当たらない。もし罰が当たったとすれば、人が用を足している最中を覗き見る行為と同じく、神様のデリカシーが皆無なだけである。

大丈夫、私が保証します。(?)

 たまたまこのnoteを読んでくれているあなたがどのくらい息を続けたいかは私には分からないけれど、自分の中のエンジンを保てるために、たまにはガス抜きをしてみても良いんじゃないでしょうか。

一人の人間ができることなんて、想像するより大したことないです。だから、自分の能力の低さに落胆する必要もありません。

 「完璧」というものを目指して切羽詰まるより、今の時点で出せるベストの力を出すことができれば大丈夫。そうすると知らぬ間に気持ちに余裕ができ、自分の思い込んでいる「完璧」以上が出せる瞬間があります。

深呼吸をするように、ため息もつきながら、
「完璧」という低いハードルを跨いで行こうぜ〜。

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