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容姿と外見

先日好きな女性芸能人の顔を集めて「私はこんな感じになれなかったなー」とSNSに載せたら、心配したのか「じゅうぶん魅力的だよ」などのフォローを何人かが言ってくださいました。それは知ってるんですけど、でもありがとうございました。
人の容姿について褒めも貶しもしないことを意識している私がついついそんな投稿をしてしまったついでに、なぜそうなったのかという自分語りをします。

どうしようもないのかも

今日は1日暇で、家の近所や商業施設のなかをノタノタと歩いていた。

商業施設のなかで以前バイトをしていたアパレルの前を通ったとき、お局に嫌われていたことをふと思い出した。「私が仕事できないからかな…」と思っていたが、それだけじゃないかもと気づいたのはとある出来事が理由。
入社してまもない頃、2人で地獄のような沈黙のなか閉店業務をしていると近くを警備員さんが通って「あ!最近見かける新しいスタッフさんだね!今までのスタッフさんでいちばん美人さんだねー!」と私に声をかけてきた。
私が愛想笑いをするより早くお局が「たまにしか来ないし全然私より仕事できないですよ」と言った。
「いやさすがに警備員さんの褒め方が無神経で下手くそすぎる。」という焦りと「このあとお局に何言われるんだ」という虚無感。そのころはまだおちゃらけて攻撃をかわす技術もなかった。
当然、警備員さんが気まずそうにいなくなったあと「私よりも自分かわいいとか思ってるんだろうけど、あれくらいで調子乗らないでね」と漫画のようなセリフを言ってお局は帰った。

たぶん漫画ならここで急にベルサイユタッチになって「あぁ…美人って罪…」とか言い出す。
私の場合は「先天的なことをどうこう言われてもなあ」と悶々としながら夜道を帰宅した。
でも容姿のせいで敵意を向けられていることがわかって、それならどうしようもないな?と開き直った。他者を容姿で評価することの罪深さを知った。

自分史上でOK

あんた自分のこと好きだろとツッコんだ人もいるかもしれない。うんそれはそう。
たしかに自分史上いちばん良く見える外見でありたいとは思う。でもそれは私そのものが大事だから大切にしたいという思いのあらわれであって、容姿そのものをかわいいとか綺麗だとか自己評価したことはない。他人と比べたことがないから。というか、興味が無い。

興味が無いから、省エネでメンテナンスしてるという現状がある。似合わない服を買わないとか、ホームケアが少なくて良いように美容院にまめに通うとか。

そんなこんなの努力が報われた上で外見を評価される(お洋服似合ってるねとか)のは好きだけど、顔が良いとか容姿について言われるのは褒められても微妙だ。生まれる前からこの顔で、私の力の及ぶ範囲ではないから。

ここまで読んで、何言ってんの?と思ったならそれは私の表現力の無さが原因。そのままnoteを閉じてもらって大丈夫。でももうシメだからもうちょっと読んでもいいよ

良い世の中だなあ

昨今はInstagramなどを通じていろいろな情報を手に入れられる。パーソナルカラー診断などのイメコンや美容に関することも例外では無い。
それらを使えば手っ取り早く効率的に外見を整えることができる環境にいるのに容姿が気に入らないという人は、外見をいちばん良く見せる方法を見つけられてないだけの可能性が高い。自分の容姿を認めるには良いところを見つけるしかなくて、良いところを引き出せばそれなりに外見は整う。と持論だが思っている。

余談

ちなみにチラッと見かけたお局は、相変わらずだった。ピシッと伸びた背筋も、黒髪も甘めの服装も変わってなかった。

たぶんちょっと髪を染めてお姉さん系の服装も似合うと思うんだけどな。
というのは本当に余計なお世話なので、これを読んでくれた方だけに呟きます。

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