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死後の世界はあるのか

こんばんは、明日はまた月曜日だけどいかがお過ごしですか。わたしは飲みに飲んだ1週間が終わって胃を痛めてるところです。
そんなどうしようもない合間をぬって考えたことです

弔いという行為

まず大前提なんだけど、仲間の葬式するという行為がかなり特別なものなのは間違いない。埋葬をするのはホモサピエンスくらいなもんだし、埋葬とは言わなくても弔いをすることが確認されてるのはカササギとかゾウとか極小数に限られている。(彼らは草をかけたりするらしい。)同じ動物でもチンパンジーは認識はするけど弔いをする様子が確認が取れてないらしく、知能に関係なく、何らかの形で仲間の死を悲しむことができるのは動物として珍しいことということだ。植物とか菌類とかがどうなのかはちょっとわかんないけど。めちゃくちゃ認識してたらめっちゃ面白いね

それで、人間の話に戻るけど
ホモサピエンスは必ず弔いをする。現代では衛生とかの観点からも遺された身体をそのままにしたりライオンみたいに食べたりせずに、埋葬や火葬を行う。これは人類のメインがホモサピエンスじゃなかった頃からそうだったみたいで、ネアンデルタール人とかもバリバリに弔ってたらしい。

葬儀の意味

埋葬や火葬はそんなに簡単なことではない。市町村がご遺体は引き取って、集団で追悼式みたいなのをやってしまえば楽だろう。

そうせずに個々で弔うのには、訳がある。
思うに葬儀とは遺された人間のための儀式だ。故人にとってはもうご遺体が腐敗する前に早くどうにかしてくれという感じだろうけど、日本の場合ならそれを何日もドライアイスで冷やして腐敗するのを防ぐ。わざわざそうするのは、遺族が心の整理をつけるためだと思う。1週間ほどして初七日が終わると一息ついて、悲しみの波がぐっと押し寄せてくるのを和らげることができる。その後も1週間ごとに集まり故人を偲ぶ参列客をもてなすことで、遺族の悲しみが薄墨よりも薄くなっていく。四十九日まで霊の行先が決まらず、此岸と彼岸の挾間をさ迷っているなんていうのも、本当に証明できるものはなにもない。ただ、遺された人間が故人を思うのみでなく前を向き生きていくのためのおとぎ話みたいなもんだと思う。
やはり葬儀というのは、遺族や遺された人のためのものだ。

死後の世界

いままでの話でわかると思うけど、死後の世界は基本的には無いと私は考えている。生き返った人が死後の世界を見たとかいうのはたぶん、脳が見てるだけだ。
そんな感じで否定してるんだけど、だけど人間は他の動物と違い「未来」を想像することができる。そうなると遺された人にとっては確かに故人のための死後の世界がないと、辻褄が合わないし救われないのだ。

ちょっと話が逸れるけど古代エジプトでミイラを作っていたのは、霊魂が来世でまた復活するためだったらしい。人類はネアンデルタール人やホモナレディの頃には既に埋葬文化があった事が確認されてるけど、それから長い月日が経ち文明を持った頃には確実に未来のことを思うようになっていたということがわかる。

結局死後の世界はあるのか、と言うとないと言えるだろう。死とは全てがブレーカーが落ちるようにプツリと消えるものだ。死後に待ち構えているものは何も無くて、遺された人の悲しみを和らぐ未来のために行う弔いや葬儀のことを死後の世界と言えばそれはそうなのかもしれない。

個人的には

死後の世界とか来世のこととか結構どうでも良いです。明日明後日がまず大事で生きていくのに精一杯なので。だけど終活や大切な人の死に直面した時、それに対する確固たる思考があればもしかしたら地に足をつけていくことができるのかもしれません。
ちょっと長くなったけどここまで読んでくれてありがとうございました。

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