パラオ住んでた日々をちょっとだけ回想
2016年12月~2017年6月まで、パラオに住んでました。人生で2年ぐらい、外国に住んでもいっかな、というノリでした。結局半年で帰国したけど。
向こうでは、人生でまさかやるとは思ってなかった海のレジャーツアーガイドをしてました。そもそも泳げんから、パラオ行く前の二か月、プールに通って真剣に水泳して、クロールと平泳ぎを、並程度に習得した。そんな泳ぎ能力とちっぽけな片言英語しか持参するものがなく、よくぞ行ったものだ。
行くときに車はどうしようとか(持って行った。でも向こうでは人の入れ替わりが激しく車はみんな置いていくから、チャンスをのんびり待った方が良かったかも。私の愛車はパラオで置き去り。ごめんねミラ。)家はどうなるんだとか(始めの家は屋根裏のような狭さで、うちら夫婦はいつも喧嘩。しばらくして、広めのアパートに引っ越させてもらえました。)直前まで不安がいっぱいで、ネット検索しても情報はほとんどないし、ほんまドキドキ。仕事の契約書に弁護士さん立会いのもと署名する、とか、そんなんも初めてやし。
荷物は、パラオに船便で送ったけど、あきらかに外に置き去りで段ボールが濡れて壊れて、中身がどっかいったよってものがあり。まじかよー。だから、大切なものは日本に置いていって正解。服とか、水着しか着てないしな、毎日。パンツすらめったにはかん。寝るときだけ。
パラオの医療事情はあんまりよくなく、もし怪我したら、毎日海で菌が入りまくりやから、あのぴっちりと傷口をふたして直すバンドエイド。あれを持って行ったおかげでどれだけ助かったか。向こうでも売ってるけど、高い。
そう、とにかくそんなんで、パラオへとんだ。ツアーガイドの仕事はむっちゃハードだった。朝7時半までに出勤して、弁当やドリンク、シュノーケル等の用意して、お客さんを時間までにホテルへ迎えにいくスケジュールを速攻でたてて(パラオ広い、車の台数限られてる、人員も限られてる)、当日の風向きや干満時間をみてその日の海をどうまわるかルートを組み立てて、お客さんを各自車で迎えに行って、受付して、出発して。帰ってきたらまた送迎して、片づけて。次の日の予約をみて…エトセトラ。
パラオの地理とか歴史知らない。英語もわかんない。海のことも、ガイド業の事も知らない。泳ぎも下手。そんな私も、「3回先輩についてツアー行ったら、ガイドデビューね」と会社に言われて、必死に勉強して、ガイドの免許を取り(試験もちろん英語!)、なんとなく海の特徴がわかり、ガイドの流れも覚えて、シュノーケリングと足ひれの使い方もマスター…一応…して、海に出たわけです。完全文系のわたしが。必死に生きてた。ミスったら海の真ん中で私が途方に暮れるか、最悪お客さんが海難事故にあうっていうプレッシャー。
そんな毎日の中、休みが月に3~4回、週に二回は朝方まで飛行場とホテルの間をお客さんを送迎するという過密スケジュールで、くたくた。パラオの真っ暗なボコボコ道を運転しながら、寝る寝る。ほんま死ぬで。
とにかくよく車をぶつけました。謝るのも怒られるのもキリがない。
ただ、海はほんきできれいだった。魚もたくさん、サメもウミガメも、ナポレオンフィッシュも、マンタも、なんならジュゴンもいた。ウーロンチャネルというところで、旦那のツアーにくっついていって(うちとは違う会社に旦那はいた)SUPしたときは、珊瑚礁の中をシュノーケリングしながら、リアルに竜宮城を見た。宝石ばらまいたような海。あーいま私むっちゃきれいなものを見ている、たぶん世界レベルで。って実感した。
パラオ人は単純に陽気で遊んでいる時はたのしいけど仕事で一緒にやってくのは超大変。その点、韓国とか中国からきた同僚は、日本人ほど繊細で真面目じゃないけど、やっぱり気持ちを汲んでくれるし安心できる。韓国人中国人の友達ができるなんて思ってもみなかった。ほんまに仲良くしたい気持ちがあったら、英語って通じるんやなと思った。日本語で話しているつもりで、英語で会話できた。また会いたいなー。でももう英語、半分くらい忘れた気がする。聞き取り能力がなくなっていく。
辞めたのは、やっぱり仕事がしんどくて、給料低くて、事故るリスクを考えたら続けていくのは賢明じゃないな、と思ったからです。こんな経験、パラオじゃないとできなかった。それは感謝してる。ここじゃないと絶対会えなかったサーファーの先輩、かっこいい海の女の同僚。でも、経験とかゆうてられんよ、車で事故って死んだら。
やめるとき、契約途中だから、日本行きのチケットは自分で取る事、契約違反だからパラオに来る時のチケット代金もユニフォームの代金もガイド試験を受けたお金も返せと言われて、泣く泣くお給料カットで返済。踏ん張るガッツなかった。もう早く帰りたかった、こんときは。
それにしても、結構非情やでな、これ。
日本に帰国したら、わたしだけ真っ黒だった。もともとめっちゃ色白だったので、おかんがドン引きしていた。しばらくは、人に会うごとに、「この子、真っ黒やろ」というので、ほんま腹立った。
見たらわかるっちゅうねん。
日本のやわらかい気候。日本人の丁寧なこと。ぜんぶ染みた。いまでも東京暮らしでしんどいわーってなったら、あんときの気持ちを思い返して、目を開いて周りの世界を見てみる。日本にいるぜ、私。この安全安心社会。
これからパラオへいかれるかたは、ちゃんと会社選んでね!!そんで、日本の日焼け止めと目薬と救急箱を持って行ってね。本とか読む暇ないからいらんとおもう。私もパラオ行く前は情報全然みあたらんくて不安だったので、あれだったらご相談ください。
まあ文面からお察しの通り、へなちょこ野郎ですけど、ちっとはお役にたてる、かも。
アデュー
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