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小野寺は良い先生

参考書を買いに本屋に行ったら、小野寺先生がいて、参考書選びに付き合ってくれた。隣のクラスの担任だから、そこまで親しくはないけど、よく廊下で「小野寺ー」とうれしそうに生徒に絡まれている感じからして、人気者らしい。

小野寺先生は数学の先生だ。
「先生、現代社会にロマンを感じないから興味がわかないんですけど」
「歴史なんて死んだやつばっかだし地理だって行くこともない国の話だぞ。その点、現代社会はお前の財布に直結してる」
「まってよ、先生。いらんでしょ、音楽の歴史とかさ」
「お前、音大じゃないのか」
「なんでそんなこと知ってんの。数学の先生のくせに」
「夏休みに数学の補習してるとき、いっつもお前のトランペットが聴こえてたからな」
「まじか。あれ聴こえてたのか全部」
「うまいとか下手とか言えんけど、青春の音がしてよかった。清々しくて」

青春の音ではだめなのである。
純粋でキラキラで、不器用さとは無縁の洗練と快楽に満ちた、音の王様みたいな音、それを夏の音大受験する高校生たちの合宿で聴いてしまったものだから、すっかり迷走に入ってしまった。
すなわち、私は一体なんのために音楽をするのか。
好きなら趣味で続ければいい。
いやもう、人生の目標は音楽にしぼってひたすら上手くなりたい。
しかし「上手い」とは?誰に褒められればゴール?

「お前、もうそんな事考えてるんだな。えらいな」

小野寺先生のクラスは進学コースで、みんな偉い子ばっかりなのに、私に対してそんなことをゆうなんて、おかしい。

そういえば、小野寺先生は本屋に何を買いに来たのか、と思ってみてみると、包みをあけて見せてくれた本は、なぜかケーキのレシピブックだった。

もともと、ケーキ屋さんの実家に生まれ育った先生は、微妙にベクトルをそれて、フレンチの修行をするために東京に出てきて(実家が山口県なんてはじめてしった)、お金がないから数学の塾講師もしていて、レストランで高いお金をもらって立派なコース料理を出すよりも、生徒に手作りケーキで大喜びされる方がうれしくて、結局数学教師になった。

「しゃべったこともないのに、よくそんなに私に話すことがあるね先生」
「夏休み中トランペット聴いてたから、もうお前とは知り合いの気がしてたわ」

結局本屋には一時間以上もいた。
店を出たら商店街が群青色だった。

小野寺先生は、隣のクラスの担任だから、そんなに立ち話をするようなチャンスもなく、このときだけだ、あんなに話したのは。あのとき、私はばくぜんと、やっぱり音大行こうか、と思い、なんだかんだでずっとトランペットを吹くことになる。
なんと大人になった今も「青春の音がする」といわれてドキッとする。ちゃんと聴く耳があったんだ先生は。

大学を卒業してから、小野寺に一回だけあった。30秒くらいだけど。隣に奥さんがいて、地元のスーパーの駐車場でばったり出くわした。

「おお、久しぶり。トランペット弾いてるか」
「めちゃくちゃ。先生は何してんの最近」
「ケーキ焼いて数学してる」
「変わんねえなー」


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