見出し画像

油絵分析わたし篇


わたしの絵は○○みたいだと言われるが、やり方にはルーツがいくつかあって、たぶん。好きな画家から、勝手にまなびとった。

ニキ・ド・サンファルのように、意地をつらぬく強さのある黒の線に固められた色彩の構造体。モランディのように白の深みを好む。マティスのように画面上にあらわれた形どうしのバランスの均衡をひたすら調整する。エミリー・ウングワレーのように社会的囲いを外して生物として自然物として世界を見ようとする視点。ピロスマニやルイ・セラフィーヌのように描きながら神様にちかづける絵にしたい。山下清のように足で歩き手で触れて生活の中からわいてくるテーマに、さいごは帰着したい。

黒の線は、ここまでならやれる、とブレーキをかけがちな防御線すぐにはる私の性格の現れだな、と言われた。それもあるかもしれない。強さの表出は内部に弱さがあるからだ。

この世界をどう縁取るか、線をそこにひいてある/なしを決めるのは私だ、という意思とも取れる。ただ絵の意思表示は具体的にしすぎると、絵がわたしの手を離れて、見知らぬ人や場所のもとで生育していかない。だいたい自覚してる意思なんざたいしたことじゃない。

まあ欠点のある人間が描いてるから絵も同じ欠点もつよな。絵の表現として欠点をうまく武器に転嫁できたら幸いだ。

大画家でなくとも、絵描きという生き方をしていたい。

いつも見て頂いてありがとうございます。サポート頂いたお金がもしたまったら、マンガの本をつくります。