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展覧会の終わり

真っ白いキャンバスが朝の光を反射して、もろに顔に当たる。

みかさは目を覚ました。頭の上に降りそそぐ光の向こう側に青い空が見える。ふとんの足元で、床にじかに立てかけられているキャンバスが、正面からの朝日を反射して天国への入り口のように真四角に光る。昨日は悩んだ挙句ごちゃごちゃと色を塗りたくって、布でそれをぬぐって、もとの白に戻しただけだ。色を消す判断があるだけ、自分に自信が持てる。

あと一時間で家を出て、電車に乗って、銀座へ行かなくては。

撤収作業に必要なガムテープや宅配便の伝票、ごみ袋、新聞紙、ビニールひも、諸々は昨日のうちにリュックに詰めておいた。大量の絵を夕方までに片づけてしまわないと、次の個展の人がまた絵を搬入するので、ちゃんと時間通りに終わらせなくてはならない。

絵は一枚も売れなかった。なかなか人通りが多い道に面している画廊で、熱心に宣伝もしてくれたから、見に来てくれた人は、はじめ恐れていたほど少なくはなかった。知人や身内以外にも、足を止めて眺めていった人は幾人もいたと、オーナーは言っていた。オーナー自身、みかさの絵を気に入ってくれていて、おかげで画廊の雰囲気が異国のようになりすごく好みの感じ、と言ってくれたのだ。それが一番うれしかったかもしれない。なのに、絵は持ち帰ってもらうほどに魅力を感じてもらえなかった。

どこに行けば、みかさの絵は受け入れられるのだろう。

時代を場所を変えればわかってくれる所がある、なんて思い上がりだろうか。

ウォークマンでモーツァルトのピアノ協奏曲を聴きながら、電車のドア脇に立って、遠くにぽかりと浮かんだ雲のように白い富士山を眺めていた。

昔は、一曲音楽を聴くだけで、何枚も絵が描けたのにな。ただ頭に染みて、眼から抜けて、窓を通って、青い空に音楽が逃げていく。

音符の群れが鳥のように富士山へ飛び去る。

息を吸いたいと思った。

モーツァルトは世界中の楽器の上で何度も起き上がり、いまだに呼吸をしている。私は息を止めている。


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