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ユキちゃんはアルバイトを辞めるという

もう4年半もアルバイトをしていて、ユキちゃんは店長とたまに夫婦と間違われることもあるくらいに、お店の顔をしている。

カフェのメニューにも歴史があって、ユキちゃんの初期にやったことは専門学校時代に得意だった粉もののお菓子、スコーンやマフィン、クッキーを店長のいれるコーヒーに合わせて出すことだった。それから、常連さんが差し入れてくれる旬の果物をつかったケーキが登場し、店長がいつも残りのお菓子をまかないにするから、体調を気遣ったユキちゃんが、お店のメニューにピザトーストやサンドイッチをつけたした。

渋くて男の人しか来なかったような昔ながらのコーヒー専門店は、ユキちゃんが来てから、たまに若い女性も一人でふらっと迷い込むような、「レトロな」カフェとなった。

代官山にあるおしゃれな製菓学校に通った同級生たちは、修行時代を経て、自分のケーキ屋さんをはじめたり、同じお店でパティシエの上の立場にあがっていったり、念願の高級レストランのデザート担当へ転身したりと、ドラマティックとまではいえなくても、思い描いた夢を形にしようとしてがんばっている。

ユキちゃんは、もともと、夢なんてものはなく、しいていうなら「作るのが好き」というだけだった。

熱い想いとか、スタッフ同士の切磋琢磨とか。お店を有名にしようとか、あこがれのパティシエに認めてもらおうとか。そういうのではなく、次々とつくって、お客さんに買ってもらって、食べてもらって、必要があればまた作り足して、季節が変われば、また別のを作って。それでよかった。

ユキちゃんは普段、ほんとうに地味なお菓子ばっかりを作った。プリンもチーズケーキも、飾り気が全然なく、常連のひとたちは特にどうこう言わずにそれを食べた。普通においしいと思って。でも実はユキちゃんは、けっこう器用なのだった。店長の結婚が決まったときいたときに、ユキちゃんは「あたし、ウェディングケーキ作りますよ」といったのだった。

それは、丸い、といって、よくあるあの円形なのではなく、球体として丸いケーキだった。正確には、半球のドーム型だった。店長が好きなミル・クレープをベースにして、クレープ生地は白くしてあった。切ると、色んな種類の桃が刻んで入っていて、クリームはクリームチーズが混ざった、濃厚な味だった。白ワインの風味もあった。ドーム型は表面にうすくオレンジのような酸味の効いたゼリーに包まれてあった。

店長はやたら派手でにぎやかな結婚式のなか、自分が主役になりきれない気分のまま、切り分けて運ばれてきたケーキを食べた。こんな、立派なケーキが作れるのなら、もっとユキちゃんはいい仕事先があるんじゃないかと思って、4年半も自分のカフェで働いてくれたことに感謝した。

妻の大学の同級生、とか親類たちとか、幼なじみ、とか次々に記念写真を撮り続けて、ようやく落ち着いたころにユキちゃんがふらっと現れて、「写真せっかくだから撮りましょう、店長」と言った。妻はお店の常連だったひとで、ユキちゃんももちろんよく知る間柄だった。「ユキちゃん、今日はすごいかわいいね!いつもエプロン姿だから見違えた。そうやってワンピース着てると大人っぽいね。ぜひ一緒に写真撮ろう」と妻ははしゃいだ。褒める妻にユキちゃんはあいまいに笑顔を返した。妻は人生最大にきらきらと輝いていて、そんな天上界の女神みたいな人に大人っぽいと褒められても、圧倒されるばかりだろう、と店長は察した。

「ユキちゃん、ケーキおいしかった。うちの店じゃ実力が発揮できないと思って、ちょっとびびってしまったよ」と店長がいうと、ユキちゃんは店長と妻の、二人の写真をカメラに収めてから、「でも私は店長のいれるコーヒーが好きで、それに合わせたケーキをつくるのが好きなんです。二つがあるから、うちの店は完璧なカフェなんです」と言った。

ユキちゃんはそれから、アルバイトを辞めて、独立をした。ユキちゃんのケーキ屋さんは、アーティステックなお店で、いつも最小限に種類をしぼり、季節の旬の果物をつかい、気候にあわせた味、温度、色使いにこだわり、さながら和菓子のような繊細さをもった洋菓子だった。

ユキちゃんはいま、一人で相変わらず、黙々と作って作って、作り続けている。ユキちゃんのお店は孤高のすばらしさで、ユキちゃん一人で完璧なお店になってしまった。

店長はあるとき、行列が今日はありません、というユキちゃんのお店のツイッターを見てから、来店をしてみた。

そこでこんな会話をした。

「すごいね、ユキちゃん。やっぱり独立してよかった。うちの店じゃユキちゃんの才能は埋もれたままだったよ」

「店長のお店を出てしまったから、店長のコーヒーの才能を生かすケーキがなくなって、それが残念です。常連さんたちはまだみんな来てますか」

「また、コーヒーを出すだけのもとの喫茶店に戻ることにしたんだ」

街には今、すごく美味しいケーキのお店と、男の人しか行かない渋い喫茶店の二つがある。

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