7. 他人からの評価


人との関わりの中で生きる以上、他人からの評価を避けることはできない。自分のいないところで評価されることもあれば、直接評価されることもある。
評価と言うと堅苦しいが、要するに褒められることもあれば、悪口を言われることもあるということだ。

僕のことを良く思っている人、悪く思っている人、なんも思っていない人、千差満別だ。僕は人からどう思われていようが構わないが、他人からの評価をあまり知りたくない。
なぜなら、客観的に見た自分と他人から見えている自分の差を知ると、気になってしまうからだ。

実際、気の合う人や波長の合う人は、自然と僕の内面を察知している。そういう人とは必然的に仲良くなる傾向にある。
逆に、僕自身が持つ自分のイメージと離れた評価をする人は、深い関係になりづらい傾向にある。恐らく表面的にしか見ておらず、少しがっかりしてしまう。

僕自身も他人について話すことがあるが、勝手なイメージとして洞察するものが、実際に一致することが多い。
例えば、「AくんってBさんのことタイプそう、でもBさんはAくんのこと興味無さそう」と知り合いに話した翌月、AとBはデートしたが結局何も無かったという面白いことが起きた。

とはいえ、他人への評価はあくまでイメージに過ぎない。人は大抵の場合、その人のイメージによって褒めたりディスったりするのだ。
それはつまり表面的にしか見ておらず、大して何も考えていない。
だからそれほど関係の深くない人からどう思われようが、「こいつ分かってねえな」と思うようにしている。

そもそも人との距離を一定取っていれば、こうした評価を聞かずに済む。これは僕が他人に深入りしたくもされたくもない理由の一つである。組織内での関係なら尚更である。

一方で、関係の深い友人からの評価は素直に受け止められる。たとえ自分の思う自分と、友人が思う自分に乖離があっても、不思議と納得できる。それはやはり相手へのリスペクトからだと感じる。

時にそれほど関係の深くない相手でも、洞察力を持った人がいる。そうした人は、僕の内面を見て評価してくれるからとても気持ちいい。物事の本質を捉える賢い人は大好きだ。


まとめると、他人からの評価は気にしすぎない方がよい。大抵の人はなんの意味もなく口走っているだけだ。逆に、他人を勝手なイメージで決めつけないことも大切である。もしかしたら自分の放つ言葉が誰かを傷つけるかもしれない。
人に対してイメージを持つのは当然だが、それを事実だと決めつけるのは浅はかである。他人からの評価はあまり気にせず、他人への評価には気をつけることが上手く生きるための心得だ。

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