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離郷

心宿るものに心躍る 
作り物より本物でいたいだけ
優しい君が、その優しさで損をしませんように
悲しい、悔しいことが
時間なんかで解決しませんように
溢れだしたものを疑わないで

東京行きの飛行機で、よくこの曲を聞いてました。
故郷を離れ、景色を巡り、現地の天気を伝える機内放送と共に、空から見下ろす東京の情景が機窓に流れたときの高揚感。
地下鉄を出てすぐの横断歩道で信号待ちしていたとき、近くのスーパーでお菓子をねだる男の子を叱るお母さんを見たとき、公園で銀杏を見ながらヤクルトを飲んでいたとき。
ここに自分の居場所はあるのだろうかと、
当てのない不安に襲われる感覚は簡単に思い出すことができます。

当時だって、別に初めて来たわけではなかった。
家族と、友達と、一人で来たことだってあった。
楽しかった。憧れだった。都会の雰囲気に酔い、光に酔い、人に酔った。
でも遊びに行く東京は、本当の東京ではなかった。
地方出身の人間から見た何か得体のしれない圧倒的な存在感。
人の波でごったがえす駅。かっこよくも雑多な夜。意図的に仕掛けられた店。整えられた緑、風、水。
夜空を見上げても、そこには星ひとつ見えず、東京の人はどこでこの感情を消化するのだろうか、と不思議に思ったこと。
飯田橋駅で「お疲れーまた明日ー」と言って一人になったサラリーマンが、数メートル先のトイレでしゃがみこみ、泣いていたのが今でも忘れられません。

何でもできる気がしていた高校時代、底知れない馬鹿な自信も、今となってはいとおしく思います。
何者かになりたい。でも何物にもなれない。
一人前になりたい。でもずっと子供のままでいたい。
もがき、強がり、私は寂しいに負けないんだと豪語しつつも、すれちがう人たちの香水の匂いに涙を浮かべたこと。
ぬくぬくした、いい匂いの毛布を急にひっぺはがされるような、突然岐路に立たされるあの心細さ。

ささやかながらに光っていた青春の終わり。
既に眩しく見える青さの輝きに、寂しさを感じながらも支えられていること。へたくそな生き方でも、器用にふるまえなくとも、少しずつ前に進もうとしていること。
時の流れは待ってはくれませんが、ふと立ち止まりたくなったとき、いつも寄り添ってくれたのはこの曲でした。

はじめて親元を離れ、生活を始めてからもうすぐ三年になります。
今も東京で生活を続けているわけではなく、別の地で部外者として営みの影を追っています。知らない街の明かりに容易く感動するのは欺瞞的だと知りながらも、知っているからこそ早くこの街の人間になりたい。

少しずつ寒くなってきているからでしょうか。
最近よく故郷の海のことを考えます。
永久的な波の音、足を伝う砂の感触、貝殻の冷たさ、犬の鳴き声
今まで当たり前に生活の中にあった海のことを考えます。こんなふうに、昔の恋人を想うように、海のことを考えるなんて思いもしなかった。
この地にも海があって、この地の人間を包むのだ。そうして、その人がこの地を離れたとき、また海のことを考えるのでしょうか。




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