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「あかさたな話法」への疑義に対する立命館大学の回答

下記の通報に対して、2023年1月27日、立命館大学から回答があった。通報不受理を伝える内容だった。

通報書面12,822字に対して、268字の短い回答であった。

通報書面で、私は立命館大学大学院にて天畠氏の博士論文1 執筆に使われた「あかさたな話法」は、介助者のゴーストオーサー化であり、言ってないことを言ったことにされた天畠氏の人権は著しく侵害され、さらに社会を騙し学術倫理はおろか民主主義の根幹を揺るがす状況につながったことを指摘し、”指導教員・立岩真也および,外部ファシリテーターとして中央大学・ 天田城介” により実施されたとされる ”厳正な研究倫理審査”2 の開示、および天畠氏を著者とする博士論文のオーサーシップの検証、さらに検証結果の公表を求めた。それに対する回答である。

その回答は、最初の文で

天畠大輔氏のオーサーシップの適正性については、「あかさたな話法」が本人の意思を正確に反映できるのかという科学コミュニティにおいて対応方針を示すべき事項であります。

と述べ、次の文で

同氏には先端総合学術研究科の定める手続きに則って、オーサーシップの適正性も含めて審査され、学位授与がされており、その手続きに瑕疵を認めることもできません。

と述べ、最後の文で

学校法人立命館通報取扱規程が対象とする「違反行為」(同規程第2 条)のおそれがあると認めることはできず、当該通報についてはこれを不受理といたします。

なんだこれは???

倫理審査過程の公表に言及していない

私が求めたのは、天畠氏の博士研究開始時に実施された倫理審査過程の公表および博士論文執筆に使われた「あかさたな話法」の検証だった。

天畠大輔氏の博士論文1の成果の一部として公開された単著論文『「発話困難な重度身体障がい者」の論文執筆過程の実態 思考主体の切り分け難さと能力の普遍性をめぐる考察』2によると、天畠氏の博士論文執筆は介助者による「先読み」を伴い、その内容は介助者が変わるたびに変化し、再現性に乏しいと明記されています。別文献にも、“博士論文のような、論理を展開してく長いものを書こうとする場合、たんに文字列を予想するだけでなく、通訳者はときに先に続く論を提案する”3ことや、「先読み」には株式会社に喩えられるチームが天畠氏の博士論文執筆に組織的に関り4、介助者が変われば天畠氏のアイデンティティは変化し5、どの通訳者と協働するかによってテキストの内容が左右される6等、天畠氏の博士論文がオーサーシップにかかわる倫理・インテグリティに抵触していることを示す記述があります。
研究倫理問題を抱えつつ実施された天畠氏を著者とする博士研究の倫理審査については、 “筆者が当時所属していた立命館大学大学院先端総合学術研究科では,独自の倫理審査を行う仕組みがあり,本調査は指導教員・立岩真也および,外部ファシリテーターとして中央大学・ 天田城介による厳正な研究倫理審査を経て実施した” 2と明記されているものの、その審査内容については明らかにされていません。オーサーシップに重大な問題を抱える形で博士研究が実行されたのはなぜか、いかにして倫理審査がそのような研究実施に倫理上の問題がないと判断したのか、貴学は本件の公益性および社会への説明責任から調査を実施し、結果を公表する義務があろうと考えました。また、調査の過程において、論文の著者とされた天畠氏にどの程度のオーサーシップがあり、どの程度が周囲の者達に捏造されたのかを明らかにするために、貴学はダブルブラインドテストを実施する必要があります。

『「あかさたな話法」が博士論文執筆に使われた件について立命館大学へ送信した書面全文』より抜粋

ところが立命館大学の回答は、倫理審査過程の公表について言及すらしない。
回答で述べられているように、「オーサーシップの適正性」が立命館大学先端総合学術研究科の定める手続きに則って適切に審査され瑕疵を認めることもできないというのが仮に真実なら、その過程を全て公開できるはずだろう。どう控えめに見ても適切に審査されていないものについて、「厳正に審査された」「手続きに瑕疵はない」と根拠も具体的なことも示さないまま繰り返す。
公開できないどころか言及すらできないとは、どういうことなのか。
透明性を示さない。検証もしない。
そういった反応自体が答えであると判断していいのだろうか。

科学コミュニティへの責任転嫁

立命館大学の回答では、天畠氏の博士論文執筆に使われた過剰なレベルの先読みを伴う「あかさたな話法」が本人の意思を正確に反映できるのかは、科学コミュニティにおいて対応方針を示すべき事項であると述べている。
いや、それは違うでしょう。立命館大学がやったことについては、立命館大学にアカウンタビリティがある。

立命館大学が「あかさたな話法」を使った博士論文執筆の倫理審査を行い、
立命館大学が「あかさたな話法」を使った博士論文執筆を許可し、
立命館大学が「あかさたな話法」を使って執筆された博士論文に学位を授与した。

それなのに、立命館大学が行った非科学的・非倫理的な行動の責任を「外の科学コミュニティ」という抽象的なものに投げつける。本来であれば、過剰な先読みを伴う「あかさたな話法」を使用することで実質的に介助者が博士論文執筆を行おうとした際の倫理審査の段階で、立命館大学が「あかさたな話法」の妥当性を検証した上で、適切な対応方針を確立すべきであった事項である。
過剰な先読みを伴う「あかさたな話法」を使い、実質的には介助者が執筆した博士論文を天畠氏の博士研究として学位を授与した後に、その妥当性を問われると、「それは自分達ではなく科学コミュニティが検証すればいい」
「あかさたな話法」を妥当なコミュニケーション介助法であるかのように扱い、学位まで授与してしまったことの妥当性を示すのは、立命館大学にある。それなのにしらばっくれて立証責任の転嫁に走る。このような似非科学に典型的な詭弁を大学コンプライアンス課が堂々と弄する。立命館大学全体が巨大な似非科学組織と化しているようだ。

「オーサーシップの適正性」が意味不明

立命館大学の回答によると、天畠氏の博士論文執筆における「あかさたな話法」が本人の意思を正確に反映できるのかという「オーサーシップの適正性」は、未だ分かっていないこととしている。科学コミュニティが対応方針を示すべきだとしている。
ところが、すぐ次の文で、立命館大学先端総合学術研究科では「あかさたな話法」を通した天畠氏の博士論文執筆の「オーサーシップの適正性」が瑕疵のない手続きにより審査され、適正であると判断されたとしている。

どっちなんだ????
同じこと(天畠氏の博士論文執筆に使われた「あかさたな話法」)について、適正であるかは不明だと述べ、すぐ次の文では適正であると述べているのだ。わけがわからない。
たった3文で構成される短文内で、完全に矛盾した論を展開してしまうのだから驚きである。

立命館大学の回答への返信

あまりに意味不明であったので、2月5日に返信を送った。

ご回答いただいた文章内に不明な部分が複数ございましたので、以下の点について再度ご回答いただけますでしょうか。

①倫理審査過程の公表
倫理審査過程の公表をお願いしたのですが、その件について回答内にまったく言及がありませんでした。

②博士論文執筆に使われた「あかさたな話法」の検証
天畠氏の博士論文執筆に使われた「あかさたな話法」にどれだけの妥当性があるのか検証を求めましたが、これについても言及がありませんでした。

③立命館大学は「オーサーシップの適正性」を確認したのか
いただいた回答によると、天畠氏の博士論文執筆における「あかさたな話法」が本人の意思を正確に反映できるのかという「オーサーシップの適正性」は、科学コミュニティが対応方針を示すべきとあり、未だ分かっていないこととしています。ところが、すぐ次の文では、立命館大学先端総合学術研究科では「あかさたな話法」を通した天畠氏の博士論文執筆の「オーサーシップの適正性」が瑕疵のない手続きにより審査され、適正であると判断されたとしています。立命館大学は、天畠氏の博士論文執筆における「あかさたな話法」が本人の意思を正確に反映できるのかという「オーサーシップの適正性」を確認した上で博士研究の倫理審査を通したということなのでしょうか。それとも「オーサーシップの適正性」が不明なまま倫理審査を通してしまったので、そこのところは今後科学コミュニティに審査してほしいということなのでしょうか。

立命館大学の回答への返信

2月11日現在、上記の問いに対し、立命館大学からは受信通知も返信もない。

追記
2月14日に立命館大学から返信があった。相変わらず、倫理審査の公開についても、博士論文執筆に使われた「あかさたな話法」の検証についてはまったく言及せず、「天畠氏のオーサーシップの適正性は科学コミュニティが対応方針を示すべきだ」「学位授与は手続きに則っており瑕疵を認められないのだ」という前回示された内容の範囲にとどまり、なんら具体性も根拠も示さないものであった。立命館大学は「オーサーシップの適正性」を確認したのかについては言及を避けているが、その件については「科学コミュニティが対応方針を示すべき」と明記しているので、確認せずに学位を出してしまったと言いたいのだと解釈するしかないだろう。


引用文献
1. 天畠大輔. 「発話困難な重度障がい者」の新たな自己決定概念について──天畠大輔が「情報生産者」になる過程を通して. (立命館大学大学院先端総合学術研究科, 2018).
2. 天畠大輔. 「発話困難な重度身体障がい者」の論文執筆過程の実態思考主体の切り分け難さと能力の普遍性をめぐる考察──. Jpn Soc Rev 71, 447–465 (2020).
3. 立岩真也. 「誰の?はどんな時に要り用なのか(不要なのか)」. http://www.arsvi.com/ts/20220002.htm (2022).
4. 立岩真也. 天畠大輔×立岩真也×荒井裕樹「なぜ〈弱さ〉は〈強み〉になるのか──しゃべれない人が語りつくします」. http://www.arsvi.com/2020/20220520td.htm (2022).
5. 天畠大輔. 〈弱さ〉を〈強み〉に: 突然複数の障がいをもった僕ができること. (岩波書店, 2021).
6. 天畠大輔. しゃべれない生き方とは何か. (生活書院, 2022).

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