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087. 子育て十牛図|第六図『騎牛帰家』|鼻唄歌いながらカオスを楽しむ

一日一描。

子育て十牛図、今日は第六図です。

十牛図って何?という方はこちらからどうぞ🐃

つわりで牛が逃げる(第一図)
→子どもの情動と身体の不調の改善をアートに見出す(第二図)
→子どもにキラキラバイアスがかかってやることなすことクリエイティブに見える(第三図)
→子どもの引きずり回されるも引きずり回しているのは自分の好奇心だと気づく(第四図)
→自分の中の男性性と女性性が和解する(第五図)

という段階を経て、
→内側の子どもと外側の子どもと一緒にカオスを生きる(第六図)←今ここ

第六図は 『騎牛帰家』 きぎゅうきけ

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(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牛に騎って迤邐として家に還らんと欲す
羌笛声々、晩霞を送る
一拍一歌限り無きの意
知音何ぞ必ずしも唇牙を鼓せん

(訳)
牛に乗って、ゆっくりと私は我が家に向かって帰る
私の横笛の音は、夜のしじまに響きわたる
手拍子で脈打つハーモニーをうたい、私は無限のリズムを取る
この調べを聞いたものは、誰でも仲間にはいるだろう

牧人はついに牛に乗り、そして牛の方もそれを受け入れます。
そして、今まで異種としてぶつかり合ってきた二つが一つのものとなります。
今まで牛=自己・無意識・魂、人=自我・意識・身体と二つに別れていたものが一つになり、どちらがどちらかわからなくなります(統合)。
二つはどうやら同じ故郷からやってきたようです。家にたどり着くまで、牧人は笛を吹き、二人で一緒に歩むための音を奏でていきます。

さて、もう一度上の絵をご覧ください。
旅人は右側(社会性)を見ており、牛は左側(内面の世界)を見ています。
第六図では、どちらに偏ることなく両方を見つめながら進んでいく様子を表しているのでしょう。

また、統合をしている状態とは悩み事や困ったことや葛藤がなくなるわけではありません。私たちは生きている限りいろんなことを体験していきます。何も問題のない、ユートピア的な状態に行き着くことがゴールではないのです。

しかし、統合の状態を知っている人は、起こった物事に対しその都度全て体験し、感じとって、あとに何も残さない態度を身につけています。
完全なユートピアはないけれど、人間として、ユートピア的な態度は身につけていくことができる。それが大人なんだと私は思います。


私の第六図は『鼻唄歌いながらカオスを楽しむ』

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子ども牛に手を引かれている構図は第三図と似ていますが、第六図では「自分の内側にいる子どもの部分」が牛となって手を引いています。
そして、もう片方の手は自分の娘という「現実」に引かれています。

この二人の間に私がいて、お互いにかなり自由人なので日常は常にカオス状態なのですが(笑)、そこを調停してどうやって日常生活を100%堪能するのかが大人としての私の役割なのかなと感じています。

結構大変なので、たまに全てがどうでもよくなって「えぇい、もういいや、歌っちゃえ、踊っちゃえ」みたいなひょうきんな自分が出てくる時があるのですが、何だか楽しそうだし、その時の自分が一番自然体なんじゃないかな、と最近感じ始めています。所ジョージみたいなかっこいい大人になりたい。

娘の十牛図は

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ものすごくユートピア的で、楽しそう。最近、いろんな登場人物を描いてはお話を作るのが好きなようです。彼女たちはカオスの楽しみ方を知っている。


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