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090. 子育て十牛図|第九図 『返本還源』|鳥さんみたいに生きる

一日一描。

今日は子育て十牛図第九図を描きます。

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。子育て十牛図とは、それを子育ての段階に当てはめて描いてみたものです。

詳しく読みたいかたはこちらからどうぞ。

第九図 『返本還源』 へんぽんかんげん/へんぽんげんげん

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(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

本に返り源に還って已に功を費やす
争でか如かん直下に盲聾の若くならんには
庵中には見えず庵前の物 
水は自ずから茫茫、花は自ら紅なり

(訳)
根源に還るために、あまりにも多くのステップが踏まれすぎた
はじめから、盲でつんぼだったらよかったのに!
自分の真の住み家にいて、外のことにはかかわりなし
川は穏やかに流れてゆき、花は赤く色づいている

自分を探し、自分を見つけ、自分が消え。そしてついに私は自分に戻ってきました。ここまで来るのに、ずいぶんと歩いてきました。
なんだよう、目が見えなかったら色に騙されることはなかったし、耳が聞こえなかったら音に惑うこともなかった。歩く足なんてなかったらこんなに遠回りをしなくてもよかったじゃないか。と、ついつい思ってしまう。私がやってきたことは、ただの骨折り損なの?と。

でも、本当にそうでしょうか。

何もせず、ずっと家にいたら穏やかな川の流れにも、赤く色づく花にも気がつかなかったかもしれません。
自分の足で外へ出て、自分を探し求め歩いたからこそ、森羅万象、自分を包むすべてのもの、当たり前だと思っていた身の回りのこと、生活そのものが、本当に美しく感じることができるのです。

第八図では、全てのものの本質は「空」であり、目の前に形を持って存在する現象「仮」に心を奪われて苦しんだり悩んだりせず、諦観する境地へと至りました。このことは大事です。しかし、里を離れ、仙人のように山に籠もる生き方は、人として健全とは言えません。

あらゆることを全ての否定し、空の境地に至ったならば、次は全てを肯定していく【仮】のプロセスへと戻ってくることが大切です。このことを第九図に描かれた自然は表しています。

空を知っている人にとって、目の前に立ち現れてゆく仮の現象は、今までにない全く新しい現実として捉えることができます。

あらゆる現象は、仮の姿かもしれない。
全てはうつろいゆくものだし、形あるものはいずれなくなってしまう。
だけど、空と仮、両方を知っている人はそのどちらかの結果ではなく、その間に揺れているプロセスそのものを生き、人生を豊かにしていくことができるのでしょう。


私の第九図 『鳥さんみたいに生きる』

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子育てをする中で挫折したり、自分のアイデンティティがひっくり返されるようなたくさんの経験を通じて、一度はここではないどこかへ自分を探しに出かけました。

今は子育てが大変すぎてあれもこれもそれもできていないけれど、落ち着いてきたら私はまた今までみたいに仕事を頑張れる。スキルやキャリアもアップできるんだ、起業だってしたい。これからは新しいスタートをするんだ。それにこんなに大変な子育てなんてものを経験したんだから、最強じゃない?これ、スキルとして仕事に活かせるよ、絶対。私は今までよりもっと強くなっていて、凄いことができるようになるに違いない・・!

というドリーミークリーミーな幻想の中にいた、いや、今現在バッチリいまると思われる(笑)。

でもどこかで「それって過去の自分との対比で今の自分を見ているにすぎないよね?本当の自分のことを全く見ていないよね?」と冷静に諭してくる自分がいる。

昨日はそういうものを全部取っ払って、夜寝る前静かに静かに、瞑想をする時間を持ち、そしてうとうとと眠りについた。

今朝目が覚めて、夢うつつな状態で、ボサボサ頭のパジャマ姿で布団にくるまりながら、ぼーっと先に起きた夫と娘の会話を聴いていました。

お皿に盛られたブドウにウキウキする娘に話しかけながら、ザクザクと音を立てて朝ごはんのコーンフレークを用意する夫。

たったここだけ。何気ない日常のワンシーンだったのだけれど、今日はなんだかものすごく美しくて、同時にもう二度とない甘い時間に感じられ、切なくて愛おしかった。

いつも通りもそもそと起きて(私は朝起きられない)食卓に着くと、「あーあ、今日はどこへ遊びに連れて行ったらいいんだろう。とりあえず公園は無理だなぁ。運転長めにして頭を休ませようかな」とか。
「お昼どうしようかな。作るの面倒くさいけど外で食べる場所を探すのも面倒臭いなぁ。もういいや、納豆ご飯かお茶漬けで。ダメ?」とか。
「今日のおやつ何にしよう。私はそれを励みに頑張ろう」とか。
「うわーすごく晴れちゃったよ。どうしよう、洗濯干すか」とか。
「・・あ、床にカピカピのご飯粒・・そうだ、昨日掃除機かけてないから掃除機かけなきゃ・・あぁでもなぜだ、掃除機がいつもより遠く感じるー」とか。
いつも通り頭の中が邪念だらけになるわけですが(書きながら、本当ひどいな私の頭の中 笑)。

たまに訪れる、日常の一コマが美しくトリミングされて映画のワンシーンになる瞬間に、ひとしずくの生命力をもらって、毎日なんとかかんとか頑張るのでした。

空に羽ばたき、そして地に降りてくつろぐ鳥さんみたいに生きていきたいもの。

娘のアナ雪と十牛図

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私が何か描いていると眠くても「私もまだ今日は一描きしてない!」と隣にやってくる娘。君はすごいよ。私がこんなにヒーヒー言いながらやっていることをささっとこなしてしまうのだからね。

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