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078. 過去と今の自分の対話|エンプティチェアのワーク

一日一描。

今日は娘が保育園へ行っていなかったので、じっくり、エンプティチェアのワークをしてみた。

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過去の自分と今の自分、双方の位置から今思っていること、目の前に座っている相手(過去の席からは現在の自分へ、現在の席からは過去の自分へ)へ感じていることを話す。

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絵の具をスタンバイ。ワークの後、すぐに描けるようにしておく。

エンプティチェアのワークをした後は、家の周りを静かにゆっくりと歩いてみて、目につくものが自分の中の何を象徴しているのか、観察してくる。(フラートなどとも言うとわかりやすい人もいるかもしれません)。

そして、それを絵に描く。

なぜこのワークをしようと思ったかというと、昨日ふと、今の自分に必要なのは「育児というキャリアの棚卸し」ではないかと思ったからです。

やりたいことも、やってみたい仕事も今の私にはたくさんあるのに、なぜか始めようとすると気が重い。思いっきり後ろ髪を引っ張ってくるものがあったのです。

それはきっと、今までの何もかもを止めて、育児に専念してきたこれまでの自分なのだなと気づいた。「私が頑張ってきたこと、忘れないでほしい」と訴えてくるようだった。

昨日、フラッと本屋さんに立ち寄った時、思考法の本とか、アイデアを出すワークの本だとか、新しい教育学の本だとか、未来を期待させるようなワクワクするものに関心が向いた。しかし、それらの本を手に取った瞬間、微かに寂しいようなちくっとするような切なさを覚えたのです。

これは一種のストレスコーピングだ。私が今すべきなのは、新しい本を買うことではない。

そう思って昨日は、そのまま本屋さんの一角にある文房具コーナーへ行って、薄いノート一冊と書き心地のよいペンを一本買った。

そして、これに自分が子育てで得たと思われるスキルや、培ったであろうキャリアを、ノートが終わるまでひたすら書き出そう、と思ったのです。

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半信半疑で始めたのだけれど、まぁ出るわ出るわ、子育てで得たスキルやキャリアたち。
きっと人様からみたら「そんなの書くほどのものじゃないよ」と言われそうなことも気にしないで書いていく。だって見るのは自分だけなんだから、いいのだ。

そうしているうちに、どこかで「子育てはキャリアではなく空白期間。苦しかったこともあるかもしれないけれど喉元をすぎちゃったんだから忘れよう」と考えている自分を見つけてショックを受けた。でも改めて書き出してみると、育児(特に新生児のお世話)って一つ一つが正気の沙汰ではできないというか・・。一日がおむつと授乳で終わるとか、ひたすら食べこぼしを拾って歩くとか、泥と汗と排泄物にまみれた服を洗い続けるとか、二語文を毎日延々聞き続けるとか、本当、育児はどこをとってもゲシュタルト崩壊祭りでして。今まで積み上げてきた諸々をサクッと破壊してくれてそこに新しい家を建て続ける、みたいな経験でした。私にとって。
「キャリアにならないとか思っちゃったのはどこのどいつよ」と今の自分をつねってやりたい気分になった。

エンプティチェアのワークで、すっごく謝りました・・。

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左側においた青色は過去の自分。
右側においた赤色は今の自分。
周りを黄色く囲んだのは未来そのもの。
下にある緑は過去そのもの。

シュタイナーのぬらし絵の手法で、水張りした紙に色をおいく。

ぬらし絵は境界線がゆらいでどんどん動いて、絵を描き終わった後もどんどん変わっていく。まるで生き物みたいだ。

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乾くと全然違う表情に。色は言葉にはならない部分をかき混ぜてくれる。

こうして私という人間が丸ごと全部、動いていく。

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