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082. 子育て十牛図|第二図 『見跡』 まさかのアート?

一日一描。

昨日に引き続き、子育て十牛図を描きます。
十牛図って何?という方はこちらをどうぞ。第一図、読み返したらわかりにくかったので少し加筆しました。

今日は第二図『見跡』

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(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

水辺林下跡(あと)偏(ひとえ)に多し
芳草離披(りひ)たり 見るや
也(ま)た麼(いな)や
縦(も)し是れ深山の更に深処なるも
遼天の鼻孔(びくう)
怎(な)んぞ 他(かれ)を蔵(かく)さん

(訳)
川べりの木下に、私は足跡を発見する
かぐわしい草のもとにさえ、彼の足跡はある
人里離れた山奥深くにも、その足跡は見つかる
これらの足跡はもう 天を見上げる自分の鼻づらほどにも隠れてはいない

牛(ほんとうの自分)の足跡らしきものをそこここに発見します。
この段階では、牛そのものではないけれど、その手がかりとなるものを見つけます。途方に暮れ、彷徨い歩いていた第一図と比べて、自分がいく道筋みたいなものがチラッと見え始めます。

この段階では、まだ自分自身のものではなく、他の人の本や教え、思想の中に「牛の足跡」「ほんとうの自分のヒントとなるもの」を見つけ始めます。
世の中には本も知識も教えも思想も無数にあり、どれが自分の求めるものか初めは分かりません。しかし、徐々にその中に通底するもの、共通するもの、すなわち「自分が求めているもの」の片鱗を掴むようになります。

この辺りが匂うぞ、みたいな感覚かもしれません。

私の第二図は情報依存症・・からのまさかのアート?

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噂にきく通り、新生児のお世話は大変ではあったけれど、よく食べよく遊びよく寝て、娘は私にとってそれほど育てにくさを感じさせる相手ではありませんでした。

・・が、しかし!

娘が一歳をすぎる頃からでしょうか。自発性がメキメキと芽生えてきて、しょっちゅう癇癪を起こすようになりました。初めは、子供ってこんなものだろう、怒りん坊さんだなぁくらいに思っていたのですが、だんだんと激しくなり、気に入らないことがあると壁に頭をぶつけたり、身体を強くかきむしるようになります。彼女の肌はボロボロ。特に背中はひどく、寝ている間にかきむしるので朝起きるとパジャマの背中は火曜サスペンス的な有様に・・。

皮膚科へ行って処方された薬を使っても、塗って治ったところのすぐ隣が荒れる、というもぐらたたき状態に。

皮膚科に何件かかかり、先生にどうしたら良いか聞いても「これはアトピーではないなぁ」「メンタルの問題では?」「アトピーになってしまうと喘息に移行して大変だから今のうちに何とかしましょう」というホヤッとした回答。
何とかって、どうしたら良いのだ(笑)。

他に何か良い解決策があるはずだ。もともと検索魔である性分に拍車がかかり、痒みに関することを片っぱしから調べ倒します。

そんな日々の中、娘に頼まれてゾウさんを描きながら「私、一日に一体何頭ゾウさん描くんだ」と思った。この頃の娘は私に絵を描いてもらうのが好きで、私は毎日何十頭もゾウさんを描き続けた。
そして、「そういえばこの子って一日中絵を描いているよなぁ・・」と思いながら、ふと理学療法士時代に診ていたある患者さんのことを思い出します。

その患者さんはリストカットなどの自傷行為の絶えない方だったのですが、一緒に治療にあたっていた臨床心理士の先輩が、刃物で手首を切りたくなったら赤いボールペンで腕に思いっきり描き殴ることを彼女にすすめていた。

「これだ!」と思いました。(プロジェクトX風)。

試しに娘が痒くなったときにペンを渡して身体中に描いてもらうと、痒みのことを忘れ喜んで身体に線を描き殴る。
いつもの、痒い→身体をかく→血が出る→びっくりしてまたかく・・という回路から、痒い→ペンで身体に描く→身体がいろんな色になる→面白がって痒かったことを忘れて描き続ける・・という新しい回路が生まれていった感じです。

「感情をアートに昇華させる」という着想を経て、アートは子どもの天才性(知能指数が高いことでなく、持って生まれた天然の質みたいなもの)を無理のない形で現実世界へ出してあげられることなんだと思い、私はそれに関する勉強に夢中になるのでした。

つづく。

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