見出し画像

27歳

三連休

ずっとセネガルに関することばっかりだったので、たまには違うことも。
と言っても、自分のことですが。

27歳になりました。

初めて、海外で誕生日を迎えました。
誕生日を含めた週末はこちらでは三連休ということもあり、そのお話を。

28日

この日は1ヶ月前の「タバスキ」というイスラムのお祭りから1ヶ月後にあたる「タマハリ:Tamkharit」は、イスラム暦の新年?にあたるらしいです。
今回は参加できなかったのと、詳しくは分からないです…
調べてみた感じだと、ハロウィンみたいで子どもたちが仮装?、女の子は男装をして、男の子は女装をして、みんな白塗りになってお菓子などをもらいに街を練り歩くみたいです。笑

そんな日でしたが、この日のお昼に「Thiés:ティエス」というセネガル第2の都市に住んでいる先輩隊員3名が、ダカールに上がってきてくれて、そのついでに僕のお家に泊まりにきてくれました。
先輩たちと合流し、お家の豪華さと広さに驚かれつつ、ルームツアーをして、一旦休憩。笑

その後、着任したばかりの後輩隊員、と言っても皆さん、僕からすると人生の先輩たちでした。
とりあえず新隊員さんたちが泊まっているホテルに向かい、数名と合流。
僕の職種は「障害児者支援」ですが、職種として近い「幼児教育」隊員の先輩と、同じく「幼児教育」隊員として赴任してきた新隊員さんたちとお昼ご飯を食べながら、お話をしました。

最初は面接みたいなお互いの自己紹介に、協力隊参加のきっかけなどを話しつつも、いろんな話に派生して2-3時間くらい話してました。笑
単純に、先輩の話を聞いて、自分の始まったばかりの活動を俯瞰して見れたので、個人的にもすごい学びがあって良かったです。

同じ職種の隊員がいないことは、寂しくもありますが、こうやって情報共有をお互いにしながらこれからも活動していきたいなと思います。
でも、やっぱりいつかは福祉系隊員で集まって話がしたいし、いつかのnoteにも書けたらと思いますが、「分科会」を作れたら嬉しいですね。

その後は、先輩のお買い物に同行。
ダカールには中国系のお店やアメリカンストアなどのお店がいくつかあるので、ダカールに来たら「これを買う」と先輩は決めているらしく、新隊員さんたちにタクシーの乗り方やお店の案内も兼ねて一緒に行動しました。笑
ダカールに住むと、隊員としてはタクシーは高いので、今は乗らないですが、赴任したばかりの時はタクシーに乗ってたなぁ〜とかタクシーに乗るのも一苦労だったなぁと思い返したり、僕の赴任直後も先輩たちの後ろをついてまわって、訳もわからず行動していたなと思うと、3ヶ月経って、少しは生活に慣れてきたんだなと思いました。
大量にお買い物をした先輩と、別行動をしていた先輩たちと再合流して、僕のお家に帰宅。新隊員さんも来ました。笑

しかし、ここで事件発生。

トイレに入った先輩が鍵を閉めて、用を足して、出ようとしたら鍵が壊れて開かなくなってしまいました。
一人だと鍵を閉めないので、そんなこと知らずです笑
結局、どうにもならずで閉じ込められてしまった先輩を救出するべく、とりあえず大家さんに電話。
祝日でも電話に出てくれて、事情をテレビ電話で状況を見てもらって説明。
「technicienを寄越すから、待ってろ」と言われ、待つこと数十分。
見知らぬセネ人がお家前に到着し、一応確認すると大家さんに言われて、来たとのこと。笑
事件現場に通すと、苦笑いして、試行錯誤してなんとか開けようとするも、結局ドアノブを破壊するという結末になるも、救出成功。
セネ人も大爆笑してました。
とりあえず、大家さんに事情は説明して、来週以降に直すことに。
そして、お泊まり中の謎ルールに「鍵および扉は閉めない」を設定しました。

まさかの事件も終わって、その夜は日本食レストランで新隊員さんの歓迎会を行いました。
セネガルに来たばかりなのに日本食という、どっちかと言うと先輩たちの意向が反映されてましたが、美味しい日本食を満喫しました。
そして会の終わりには、サプライズで誕生日前夜会をしてもらって、ケーキを頂きました。

お店の前で解散して、新隊員さんたちを見送ってから、先輩たちとお家に帰宅しました。

お家に戻ってから、ひと段落してた時に、またもやプチ事件発生。

リビングで、テレビ・ドライヤー・エアコン・扇風機を同時に点けたら、当たり前ですがブレーカーが落ちました。笑
普段はテレビ、ドライヤー、エアコンは点けないので僕も初体験。
みんなで暗闇の中、ブレーカーを探すもどこにあるのか見つからず、またもや深夜に大家さんに連絡。
深夜でも対応してくれて、「électricien:電気技師」を呼んでくれるとのこと。
その後、数十分したら電気技師の人が来る前に電気が復活。
「本当にごめんなさい」と何度も大家さんにみんなで謝罪しました。
そんなこんなしている間に、「先輩が、もう日付超えてるじゃん」となり、プチ停電中に27歳になってました。笑
改めて、お祝いしてもらって、記憶に残る誕生日となって嬉しかったです。
そのあとは、深夜過ぎまで先輩たちと話し込んで、寝たのは2時過ぎ。
ベッドと寝室は僕のを入れても3つあるのと、リビングのソファがあるので、全員寝れるんです。

29日

ぐっすり寝て、9時ごろにみんなゾロゾロと起床。
僕はこの日はウォロフ語の講座があったのですが、なんと前日にセネガル野党指導者の方が逮捕されるという出来事があった影響で、授業が延期になりました。
この辺の政治事情に関しては、イスラム暦の新年にあたる日に逮捕しなくてもと思ってましたが…。
現大統領が「次の大統領選には出馬しない。」と明言したこともあり、以前の記事で書いたときよりも情勢は安定するだろうと言われていて、荒れるとしても「逮捕される」ときかなと予想されていた出来事が、この日に起きるという。

↑ 以前、セネガルの政治事情について簡単に触れた記事

誕生日当日にも色々とありましたが、とりあえずJICAや大使館から自宅待機等の指示もなく、移動もOKということで、先輩たちが予定していた流れに、急遽ですが同行できることになりました。
この日は、Ngor島(île de Ngor)というダカールのちょっと上にある島でリゾート地的な場所です。
さらに、JICA事務所の人たちとも合流して、「SUP:Stand Up Paddle board」を初体験しました。
もーう、めちゃめちゃ楽しかったです。
シンプルにNgor島を散策したり、ビーチで遊んだり、アフリカの舟(bateau)に乗って島のビーチを往来したり、SUPも波と風が強くて、何度も転覆しましたが、綺麗な海と塩辛すぎる海水も味わって最高でした。

bateauに乗ってNgor島へ

ただここでも、事件発生。
先輩と職員さんが、SUP中にウニに足の裏を刺されてしまいました。
ウニに刺されるってあるのだと初めて知りつつも、痛そうな様子で、その場で処置をするにも、ここでの処置は限界ということで途中離脱。
医療スタッフと合流して処置をすることになりました。

ひとまず、無事だったメンバーで海岸のイタリアンレストランでピザを頂きました。
これがまた美味しかったです。
そしてレストランでは、この日が誕生日だという人たちが、サプライズでセネガル流の音楽に合わせて祝福されており、僕もそれにあやかって一緒に祝福してもらおうと思いましたが、その勇気はないので、皆さんにこじんまりと「おめでとう」と言ってもらいました。笑
自分と同じ誕生日の人は、1個上の兄貴と学生時代に介助で入っていたおじさんしか知らなかったので、同じ誕生日の人に出会えて、新鮮でした。
その後は、所員さんのお家で夕食会の流れでしたが、僕は別の先輩がダカールに、この日に上がってくる予定で、その人も僕のお家に泊まる予定だったのでその人と合流して、VCさん宅で新隊員の歓迎会をするとのことだったで、そっちに合流するため、皆さんとはここで一旦別れました。

先輩と合流して、お家を案内して、歓迎会に参加しました。
今回は新隊員と、再派遣の方たち合わせて10人。
そこにVCさん3名と所員の方1名で、僕ら2名で大所帯でしたが、お酒と美味しい手作り料理をたくさん頂いて、最後にはカラオケ大会兼ダンス大会も始まり、深夜まで賑やかに過ごしました。
ここでも自己紹介と今日が誕生日です。と自己申告して、みんなにお祝いしてもらいました。笑
カラオケは苦手ですが、お酒の入ったノリでチャレンジして歌いました。

一方の、SUPの先輩たちと所員の方たちのお家での夕食会でもカラオケ大会をやっていたらしいです。笑
さすがに日付を超えて、こっちは解散。
1時前にこちらは帰宅するも、SUPチームはまだカラオケ中とのことだったので、この日来た先輩には先に寝てもらって、僕はソファで仮眠しながら、他の先輩たちが帰ってくるのを待ってました笑
3時前に先輩たちも帰宅し、結局5人が同時に泊まってました。
寝床は足りなかったですが、ソファはコの字型のファミリーサイズなので、そっちに先輩2名に寝てもらいました。

30日

そのまま就寝して、10時前にみんなゾロゾロと起床。
昨日もですが、家には日本の職場の先輩から頂いた手挽きのコーヒーミルがあるので、こっちで買ったコーヒー豆を挽いて、飲みました。
こっちのコーヒーは、砂糖がたくさんの甘々なので、久しぶりのブラックコーヒーを先輩たちに楽しんでもらいました。
あとは自分で用意したチョコケーキを朝食に食べて、ゆっくりしました。
その後は、皆さんそれぞれダカール滞在の最終日を満喫するとのことで、解散しました。
賑やかだったお家を簡単に掃除して、この日はそのまま昼寝して休みました。
この三連休はハプニングもたくさんありましたが、先輩たちのおかげで、たくさんの人に繋げてもらって、バカンスを満喫して、セネガルに着任したばかりの後輩たちにもお会いして、歓迎会と合わせてお誕生日会もしてもらいました。
自分のこれまでの人生の中で、「お誕生日会」なるものをしてこなかったので、めちゃめちゃ慣れなくて、むず痒くて…笑
でも、めちゃくちゃ嬉しかったです。
僕の誕生日史上、最も濃い3日間でした。
きっと、27歳になったこの日のことを僕は忘れないと思います。
お祝いしてくれた方々、本当にありがとうございました。
LINEやFacebook等でもメッセージをくれた方々もたくさんいて、嬉しかったです。ありがとうございます。ちゃんと返せずにすみませんでした。
言い訳になりますが、上記に書いてあるようないろんな事情がありました。

点と点を繋げる

まぁちょっと堅い話も。

スティーブ・ジョブスさんが、有名な大学の卒業式でのスピーチで仰った「点と点を繋げる」こと。

今、自分は何がしたいのか。
これから自分は何をしたいのか。

を最近というか、こっちに来てよく考えます。

配属先のニーズはあるものの、同僚たちには「あなたは何がしたいの?」と聞かれることがほとんど。

もちろん、自分の意思でここに来ました。

それでも自分の派遣職種や要請内容を見て、それが自分のやることなんだって考えてしまっている自分もいます。
実際に配属先で活動して、この目で見て、自分がやりたいことやここでのニーズってなんだろう?と、より分かんなくもなっているけど。

改めて、自分のやりたいことはなんだろう?と模索しています。
これから活動計画表とかを作っていくけど、もっと自由に、何かに縛られずに練っていけたらと思います。

結局、セネガルでのことになってしまったけど、ここでの活動だけじゃなくて、プライベートの時間や、これから先のこと含めて自分が何をしたいのかを考える。
その中で、ジョブスさんも言っていたけど、点と点を繋げること、自分がやってきたことが繋がるといいなと。

いつの日か
「これをやっておけば良かった」ではなくて、「これをやってきて良かった」って言いたい。

他にも、キャリアの考え方に山登り型と川下り型があることを知りました。
自分はきっと、これまで山登り型でした。
たぶん、考え方としてずっとそう。
それでも川下り型の人生というか、考え方も大事だなと思ってます。
どっちがいいとか、自分に合ってるとかじゃなくて。
どっちもの視点というか、どっちもの軸を持ちながら、自分のキャリアを考えていけたらと思いました。
この3日間で先輩たちとも夜更けに話しながら、自分のキャリアについても話しました。
いろんな新隊員の方たちや所員の方にもお会いして、多くの刺激をもらいました。
だからと言って、自分のやりたいことがハッキリとした訳ではないですが、これからも悩んで模索しながらも、ここでの日々の中で見つけていきたいと思います。

10000日に向けて

どこで調べたのか、知ったのか覚えてないですが、人間は27歳になる年に、生まれてから10000日目を迎えるそうです。
てことで調べてみたら、僕の場合は今年の12月中旬に生まれてから10000日目を迎える予定です。
日本人の寿命から考えると、だいたい人生の3分の1くらいに達することになります。
10000日目については、またその日を迎えたら考えようと思いますが、
誕生日とか、何歳になったとかは考えたことあるけど、自分が生まれてからの日にちを考えたことないので、この何日目っていう感覚は不思議です。
とりあえず、無事に10000日目を迎えられるように健康に過ごしていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?