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青年海外協力隊への道〜完〜

僕は先日、青年海外協力隊の派遣前訓練を終えました。
これまで

「青年海外協力隊への道」と題して、3つの記事を書いてきました。
最初に書いた日から約2年。
当時は協力隊に応募する前だったから、早いような遅いような。
それでも一つの区切りとして、これまでの記事でも書いてきたような重複する部分もあるけど、ここに至るまでを書いていきたいと思う。

きっかけ

今から14年前の、12歳の僕は小学校6年生だった。
当時の僕が書いた卒業文集のタイトルは「今までの自分とこれからの自分へ」だった笑
なんでこんなタイトルにしたのか覚えてないけど、すごくタイトルに悩んだのは覚えている。
確か、最初は小学校の思い出を書いていたけど、周りの友人たちが未来のことを書いていたのもあり、「自分も未来の自分について書こう」と思った。
周りに流されたのは置いといて、未来の自分に向けて書いて良かったと思う。
これまでの人生で誰かの言葉や存在に救われてきたこともたくさんあったけど、自分の言葉にも救われてきたこともある。
卒業文集に書いた言葉はその一つだ。
「サッカー選手になって、引退したら元プロサッカー選手の中田選手(中田英寿選手)みたいに世界の国々を旅して、貧しい子たちにサッカーボールをたくさん持っていってあげたいです。」
きっと、僕が「国際協力」というものに、憧れたきっかけはサッカーだったと思う。サッカーのおかげで、サッカー選手に憧れて、そんなサッカー選手がアフリカの子どもたちとサッカーをしているのを見て、「自分もそんな大人になりたい」と思った。

そしてもう一つ。
「5年後、10年後…今、僕は何をしていますか?どんな人になりましたか?20年後、30年後…僕はどんな職業についてますか?自分の好きなことをずっとやっていってください。」
この言葉に割と救われてきた笑
救われたというか、ハッとさせらてきた。
当時の僕は、「サッカー選手になりたい」とか「サッカーボールを持っていきたい」といったことも書いていたけど、「何をしていて、どんな人になったのか」や「サッカーじゃなくてもいいから、自分の好きなことをやっててほしい」と僕の解釈では、将来の自分に対してメッセージを書いた。
過去の自分に恥じない人間になりたいと思ったし、自信を持って自分の好きなことをやっていこうと背中を押してもらった言葉だ。
今の自分がいるきっかけとなったのは間違いないと思う。
そんな二つの言葉だ。

スイッチ

今の自分がいるきっかけとなったのは上記の言葉なのは確かだけど、それだけでは僕はここにはいない笑
なぜなら僕は、そんな言葉の一つや二つで自分を鼓舞できるような強い人間じゃないからだ。

国際協力に興味のあった自分が明確に「協力隊に行きたい!」というスイッチを押したのは、これまでも散々書いてきたけど、父親が亡くなったという出来事だったと思う。
そこから福祉の道にのめり込んでいったし、高校の時に引退したサッカーももう一度始めた。
やっぱり「サッカーで行きたい」と思った。
それくらい自分にスイッチを入れた出来事だったと思うし、良くも悪くも人生の転換期だったと思う。

色々と紆余曲折を経て、僕は福祉の道で社会人になった。
もちろん福祉人として、ソーシャルワーカーとしてレベルアップしたいと思っていたけど、現実は甘くなかった。
目の前の仕事に追われて、自分の未熟さに情けなくなって、逃げの選択として転職も考えた。
それでも、1年目の終わりに外部の研修に申し込んだら、運もあって合格してスリランカに行くことができた。
職場には、相談せずに申し込んだこともあり、合格してからめちゃくちゃ迷惑かけたけど、快く「行ってきなさい」と上司に言ってもらって、1週間も休みを頂いて、研修に参加することができた。
この研修は「自分はソーシャルワーカーなんだ」って改めて自覚できた研修でもあったし、何よりも消えかけていた「協力隊に行く」という想いを灯してくれた研修だったと思う。
ここで出会った人たちとの繋がりは今でもあるし、シンプルに福祉と海外(国際協力)が具体的に繋がって、視野が広がった研修でもあった。
他にも、大学卒業前に、友達との卒業旅行を断って、「いつか協力隊での活動に活きるために」と思って、インドとネパールにボランティアをしに行ったこともあった。
あの時の経験もきっと、自分の中に灯として残っていたと思う。
それだけ、海外に行って受けた刺激は自分にとって、数少ない灯りだった。
小さくても、その灯りがあったから、コロナ禍でもその灯りを頼りに進み続けることができたと思う。

縁。

これだけはやっぱり外せない。
本当に証明の仕様がないけど、ハッキリと言える。
「僕は出会ってきた人たちに恵まれている」と。
それは今回の派遣前訓練でも、改めて確信しました。
全員とは話せなかったし、深い話やそれぞれの根本的な部分まで知ることはできなかったけど、上辺じゃない繋がりができたと思ってる。
話さなくても、なんとなく分かり合えるみたいな。
本当にみんな素敵な人たちで、この先もずっと訓練所での思い出や、それぞれの任国での活動話を話せる仲間たちに出会えた気がします。
2022年度4次隊の皆さん、本当にありがとうございました。
また会いましょう!
そして、これまでお世話になった皆さんのおかげで今の僕はいます。
またどこかで会える日を楽しみにしています。
さらに、これから会うであろう全ての人たちとの縁を楽しみにしています。

自分自身

いつの日か、僕は「協力隊に行きたい」と周りの人たちに言うようになった。
最初は新卒で協力隊に行くことも考えて、サッカー隊員でも応募しましたが、応募用紙を書く段階から、気持ちが入らず、なんとか埋めて提出した感じでした。
なので受かるはずもなく、僕は福祉の道を進みました。
というよりも、その時には協力隊の職種の中に、「障害児・者支援」「ソーシャルワーカー」と福祉分野の職種があることを知っていたのと、僕が希望する「障害児・者支援」の受験資格は最低でも2年の実務経験が必要だったのもあり、「現場で経験してから、協力隊に行こう」と考えていました。
はじめは受験するのが目標で、次は合格することが目標になって、そして隊員になることが目標になった。
先日、派遣前訓練を修了して、やっと「協力隊候補者」から「隊員」になることができた。

でも、まだまだまだまだ…始まったばかりで、ようやくスタートラインに立てただけだ。
これまでの過程を考えると、「やっとここまできた」と思うし、嬉しさもあるし、ちょっとした達成感もある。
諦めそうというか、自分の夢を諦めちゃったこともあったし、何度も心が折れたこともあったけど、自分を信じて進んできて良かったと思おう。
周りの人たちの支えや力もたくさんあったけど、やっぱり自分の背中は自分で押すしかないと思うから、「自分自身の力も少なからずあった」とたまには言いたい笑

それでもまだ夢の途中だ。
ひとまず「青年海外協力隊への道」は完結!
セネガルに行ったら、毎日はきついけど、セネガルでの日々で感じたこととかを書いていければと思う。

未来の自分が見返したときに、きっかけとなり、スイッチとなり、灯や縁となるように。

Au revoir!


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