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青年海外協力隊への道③

JICA海外協力隊グローカルプログラム(派遣前型)

今回の記事はこれまでの記事の続きとして書きます!


皆さんは『グローカルプログラム』をご存知でしょうか?
詳しい概要はこちらのリンクに書いてあるのでご参照ください。

「グローカル」
聞きなれない言葉だと思います。
「グローカル」=「ローカル」×「グローバル」の造語です。

このプログラムの発端はコロナです。
コロナ禍により、活動場所を失った先輩隊員たちは日本に帰国せざるを得ませんでした。そして帰国したのはいいものの、活動場所がありませんでした。
そういった状況下で、隊員の活動先を探していたJICA。
一方、観光客などといった外部からの人の流れが激減した地方自治体。
そのギャップを埋め、マッチして始まったのが、このグローカルプログラムでした。

そしてそのプログラムが2022年〜協力隊の派遣前型の訓練として実施されることになったのです。※参加は任意です。
僕はそのプログラムに、2022年の4次隊として参加してきました。
協力隊の派遣隊次と連動しており、訓練所での集合型派遣前訓練(二本松訓練所・駒ヶ根訓練所)への参加は必須になります。
集合型派遣前訓練についてはこちらをご参照ください。

そのためグローカルプログラムはその集合型派遣前訓練の前に行われるプログラムとなります。
僕自身は2022年度4次隊だったので、2022年の10月3日〜12月23日までグローカルプログラムに参加し、現在は駒ヶ根訓練所にて集合型の訓練を行なっています。

参加の動機


今から十数年前、サッカー少年だったリトル・シノミヤは小学校の卒業文集に「将来はサッカー選手になって、世界の国々を旅して、貧しい国の子たちにサッカーボールを持っていってあげたいです。」と書いた。
なんとも上から目線な言葉だが、自分の心の中にずっと残っていたのは確かで、国際協力に興味を持ったのもこの頃で、いつの日か国際協力の仕事をしたいと漠然と思いながら過ごしていた。だからか、「協力隊に行きたい!」と思ったのも必然でした。
それでも、その想いをなおざりにして、鬱々とした日々を送っていました。

そんな自分を変えたのは、父であり、周りの人たちでした。詳しくは下記の記事をご覧ください。

なので
グローカルプログラムへの参加を決めた動機も「夢だった協力隊での活動に活きる経験がしたい!」と単純に思ったからです。また、「障害児者支援」という仕事に携わってきた自分が、「縁もゆかりもない土地」で何ができるのか?と思ったからです。

島根県海士町

僕がグローカルプログラムで活動した先が島根県海士町です。
「海士町」…。
「海士町」と書いて「あまちょう」と読みます。

そんな「海士町」があるのは隠岐諸島です。
隠岐諸島に浮かぶ島々の内の一つが中ノ島(海士町)です。
同じ隠岐諸島には、知夫里島、西ノ島、隠岐島があります。
海士町は人口約2千数百人前後の島です
↑海士町についてはこちらをご参照ください。


地域おこしや地方創生、地方活性化、教育魅力化といった分野に詳しい人は海士町のことはご存知かもしれません。

検索ワードに「海士町」と打つだけで、いろんなワードが出てきます。
そして離島では信じられないような数々の挑戦?に関わる記事がたくさん出てきます。
なので、ぜひ検索してみてください!

僕はそんな海士町で約3ヶ月間お世話になってきました。

挑戦を後押しし、失敗を許容する

プログラム参加前に頂いた『グローカルプログラム要望調査票』。
そこには
1 小学校教育
2 保健医療
3 海士町のコミュニティスペースの活用
4 モノづくり企画・提案
5 放課後児童クラブにおける教育支援
6療育
と書かれていました。

自分の派遣職種を考えても、海士町でのプログラムに魅力を感じていましたが、実際に僕が海士町で行なった3つの活動のうちの1つは小学校での支援級クラスで教員のサポートを行い、残りの2つの活動先では竹や木々を伐ったりする活動をメインに行なっていました。
 
自分の派遣職種にこだわることもできましたが、海士町に来て、オリエンテーションで実習候補先の方たちからお話を伺いながら、「自分のやりたいことをやる。」のは、なんか違うなと。
そんな言葉じゃ言い表せない小さな違和感が、「自分が主役じゃなくて、地域の人たちが主役なんだ」という協力隊としての心構えを、改めて体感できた瞬間でした。
そんな経緯もあり、僕は3つの活動先を選択し、それぞれの活動先で目標を持ちながらも、3つの活動を繋げることを目指して、3ヶ月間突っ走りました。
毎日が怒涛のように過ぎて、ここには書ききれないほどの出来事がたくさんあり、多くの人たちに出会いました。3つの活動を掘り下げて書きたいですが、割愛します。気になる方はぜひ海士町にお越しください。僕の逸話が残っている…はずです…
 
グローカルプログラムの目的に書いてあるような「よそ者として地域に介入し、コミュニケーションを図って、地域の人たちと信頼関係を築いて、地域の人たちを巻き込む」こと。
頭や言葉では分かっていても、実際どうやって巻き込んで、どうやって信頼関係を築いていくのか?そもそも自己満足になっていないか?などなど。押し寄せる課題は山積みでした。
 
そんな初めて出くわすような課題に対して、できることは挑戦すること。
いつの間にか、挑戦して、その結果失敗することやミスをすることが怖くなっている自分がいました。ですが、海士町で出会った人たちは、僕の提案や企画に対して「いいねぇ」「やってみよう」と背中を押してくれる人たちや、一緒に活動してくれる人たちがたくさんいました。
その結果、失敗したとしても一緒に謝りに行ってくれたり、違う方法を考えてくれたりと当たり前のように許容してくれました。
「何か地域の人たちのために自分ができることをしなきゃ」と勝手に恩返しする姿勢で活動していましたが、自分自身が海士町の人たちに助けてもらったり、手伝ってもらったり、協力してもらうことの方が圧倒的に多かったです。
 
海士町を離れる日、「思いっきり頼っていいんだよ。甘えちゃいな。」
一人で抱えがちな自分に、そんな言葉をかけてくれた実習先の方々がいました。最後の最後に、そんな大事なことに気付きました。
きっと協力隊での活動でも、失敗すること、うまくいかないこと、想像もつかないことの連続です。
「一人で何かやらねば!」と「協力する隊員」じゃなくて、「協力してもらう隊員」としてセネガルでも活動していきたいと思います。
海士町でお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。また海士町で会いましょう。

青年海外協力隊への道

2021年の春募集を受験し、合格通知を頂いたのが、2021年の10月でした。
僕が派遣されるのは2023年の4月予定のため、実に応募してから約2年の月日が経ちます。
その間は勤務先での仕事もありますが、「協力隊に受かった!」という実感が薄れてきているのも事実でした。
僕の協力隊への想いや情熱は変わらずですが、ワクワク感が欠けていたのは事実です。
このグローカルプログラムに参加して、やっと協力隊としての一歩を踏み出せた気がします。

協力隊での日々を想定しながら活動したり、「現地だったらどうか?」と考えたり、同じ隊次の仲間たちと出会えたり、協力隊のことを意識する毎日でとっても濃い3ヶ月を過ごしました。
うまくいったことも、失敗したことも、思うようにいかないこともたくさんありました。
『いつか世界を変える力になる』
と謳っておきながら、何一つ変えることはできませんでした。
世界を変えるとか、変えないとか。
そんな大きなレベルで考えるんではなくて、まずは目の前の活動や目の前の人たちのために自分ができることをやっていく。
その積み重ねの中で、ちょっとずつ自分自身が変わっていく。
その月日の中で、少しずつ周りの人たちや地域の人たち、ひいては世界や人類が変わっていけばいいなと思います。
海士町に来て、一番感じたのはその部分です。

これまでは「国際協力だ!」って感じでスケールの大きいものを想像してましたし、そこに憧れていました。
実際に海士町に来て、JICA関係者にもお会いして、話を聞いて、「スゲー」「カッコイイ」って思うこともたくさんあったし、こんな風に世界各地や日本各地で国際協力の分野や福祉の分野で活動したら楽しいだろうなという想いが増しました。
それと同時に、もっとシンプルに自分自身や自分の身の回りの人たちの幸せを大事にしながら、小さなコミュニティで生きていくのも楽しそうだなという想いも芽生えました。
これからどんな風に生きていくか僕自身も分かりませんが、ワクワクやドキドキを大事にしながら、悩みながらもがいて進んでいきたいと思います。

まだまだ一歩どころか、半歩にも満たないかもしれませんがようやく僕の協力隊人生がスタートしました!笑
このプログラムで学んだことを、培った経験を協力隊での活動に、今後の人生に活かしていきたいと思います。
最後になりますが、海士町で出会ったすべての人たちに感謝しています。
本当にありがとうございました!

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