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「実人生インタビュー」始めます

時々お話ししているように、二十代を通してずっと、毎年夏(時には秋にかけて)に、バックパッカースタイルで徒歩(+時々ヒッチハイク)の旅をしてきたんだけど、当初の目的は小説のネタ集めっていうことだった。
当時まだ小説書きになるということの意味がよくわからないまま、それを仕事にしようかなという軽い気持ちでね。

だけど、実際に旅をしていろんな人に出会ったり世話になったり居候したりとかしているうちに、どうも小説ってやつは嘘臭くね?と思うようになっちゃってさ。
どっちかと言うと、妄想とかね空想の世界? 
現実って、それほど単純じゃないよ、みたいな。

それはそれで娯楽や教養にもなるから結構毛だらけなんだけど、実際に旅をしてみると、現実の方がずっと面白いし、謎に満ちてるよなって感じでさ、特にいろんな人と会って話をするっていうことの貴重さっていうのがよくわかってきて、今でもそうだけど、なんでもないような会話ややりとりの中から「あっ!」と思わせられることがあるんだよね。

それは、何かを徹底的に考えたり、書物を読んだり、いろんな研究成果を知ったりして 自分で考えを練り上げることとはだいぶ違っててさ、こういう「実人生哲学」っていうのが今までなかったんだなぁって思うようになった。
実際のところ、机上の空論みたいな哲学が多すぎるし、たとえ現実批判してるオルテガとかハンナ・アーレントとか、ああいう哲学だって、現実に対してはほとんど影響は及ぼしてないでしょ。

ちなみに「実人生哲学」という呼称が適切かどうかは別として、いわゆる「人生哲学」って言うのとは正反対でさ、なんて言うんだろうなぁ、一人一人が生きてる現実?そこに何かかけがえのないものっていうか、深い意味でのダイバーシティーみたいなものがあって、どんなに頭脳明晰で想像力のある人間でもやっぱり現実の生きている人たちや、生きているものたちや、それを構成している無機物質なんかも含めて、とてもじゃないけども、自分のイマジネーションを最大限に駆使したところでわかりゃしないんじゃないかとよく思う。

それに反して、「人生哲学」っていうのは、要するにわかったふうなこと言う人のお説教みたいなもんでしょ? 非常にせせこましい価値観というか、例えば正常とか普通という基準に、ありとあらゆる悩みや疑問を押し込めて「改善」しようとしたり、せっかくぶっ飛んだ面白さを持ったキャラをフツーの面白くもなんともない凡人に落とし込もうとしたりとか、ま、くだらないよね、言ってること超ダサいし。

そんなことを思いながら前回のノートを書いてたんだけどさ、それに対して好きをしてくれた人が1人だけいて「無名人インタビュー」っていうのをやってるらしいんだよね。
(好きしてくれた人のnoteは必ず訪問してます。ありがとう)
まだ具体例はちゃんと拝見してないんだけど、趣旨としてはなかなかいいと思う。

実は、ちょっと趣旨は違うんだけど、身共も色々とテーマを提示していろんな人たちからそれに対する考え方とか、経験とかを聞かせてほしいっていう、そういうインタビューを企画してるとこなんだよね。

実際、例えば高校とか大学とか看護学校とかでも、特に年配の人に対するインタビューっていうのをカリキュラムにしてるところがどんどん増えてるよね。

最初話題になったのは確か徳島の方だったかなぁ。
群馬大学の看護学校なんかでも看護学生が高齢者にインタビューすることによって、まぁ その後患者さんとなる可能性の高い人たちの思いっていうかそういう人たちに対する見方感じ方というのがガラッと変わったって言う風な論文を読んだこともあるし。

だから拙者もこれから何かの形で皆さんにインタビューしてみたい。そのシステムとして既存の人たちの方法とか、具体例を参考にさせてもらったらいいなと思っています。
ご意見、参考資料とかあれば、教えていただければありがたいです。

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