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1975〜76年のプログレ事情:イエスのソロプロジェクトにプログレの衰退を感じる

 1975年〜76年というのは、ジェネシスでいうと、The Lamb Lies Down On Broadway(邦題:眩惑のブロードウェイ) から、スティーブ・ハケットのソロアルバム Voyage Of The Acolyte(邦題:侍祭の旅) をはさんで、フィル・コリンズがボーカルとなった Trick Of The Tail という大変革の2年間でした。

 一方、他のプログレバンドにとっても、いろいろと変わりはじめたというか、変わらざるを得なくなってきた時代がはじまっていたのだと思います。

Wish You Were Here(邦題:炎〜あなたがここにいてほしい)ピンク・フロイド(1975)

 このアルバムは7月にリリースされました。1973年の前作 Dark Side Of The Moon(邦題:狂気) がとんでもない大ヒットをして、世界中から「次のアルバムは?」というプレッシャーにさらされ続けた中で制作、リリースされた作品です。わたしもそういう興味でリリース直後に聞きました。今聞くと、これはなかなかの出来のアルバムだとは思いますし、恐らくこのアルバムを経なければこの後のピンク・フロイドはなかったのではないかと思える重要なアルバムだと思います。ただ、当時ほとんどの人が同じ事を思ったと思うのですが、やっぱり狂気に比べちゃうと、ちょっとパワーダウンしてるよなあという印象だったのではないでしょうか。ただ、やはりこれはピンク・フロイドなりの、それまでのプログレからの離脱の始まりだったのではないかと思います。

 この時期キング・クリムゾンは解散状態。EL&Pは解散してませんでしたが、1974年にLadies & Gentlemenという3枚組のライブ盤をリリースしたきり、リリースがなかったのですね。一方元イエスのリック・ウェイクマンは元気にアルバムをリリースし続けていました。

The Myths and Legends of King Arthur and the Knights of the Round Table(邦題:アーサー王と円卓の騎士たち)リック・ウェイクマン(1975)

LISZTOMANIA リック・ウェイクマン(1975)

No Earthly Connection(邦題:神秘への旅路)リック・ウェイクマン(1976)

 ただ、以前も書きましたが、リック・ウェイクマンは75年のアーサー王までは良かったんですよね。ところがその後も快調にアルバムをリリースするのですが、出せば出すほど、どんどんと以前の勢い、輝きを失っていく感じで、翌77年も2枚のアルバムをリリースするのですが、正直そのころにはもうついていけずに、フォローするのを辞めてしまったくらいだったのです。

 一方、イエスもバンドとしての新作リリースは無かった(75年にYesterdaysというベスト盤みたいなのはリリースされている)のですが、イエスのメンバー全員がソロアルバムをリリースするという企画があって、5人のメンバーがちょうどこの2年間のうちに次々とソロアルバムをリリースしていたのです。発売順にならべてみます。

Beginnings スティーブ・ハウ(1975)

一体どうして自分で歌う気になんかなったんでしょうねぇ。あの歌は全世界のイエスファンを奈落の底に突き落としたのではないでしょうか。それ以外もなんかプライベートな感じが満載で、ほぼ同時期に発売されたスティーブ・ハケットのソロアルバムとの違いにため息が出る感じだったのでした。

Fish Out Of Water クリス・スクワイア (1975)

これは名盤だと思います。イエスのサウンドとはちょっと違った方向ではありますが、良い曲が揃ってます。こちらも自分で歌ってるのですが、スティーブ・ハウよりずっと上手いです(^^) バンドとしてのイエスのカナメは、実はこの人だったんじゃないか、という印象を受けたアルバムです。

Ramshackled アラン・ホワイト (1976)

これは、スティーブ・ハウよりも、さらにプライベートとしか言いようがない感じのアルバムでした。自分の好きな音楽をいろいろやりました的な総花感満載でして、まあソロアルバムなんだからそれはそうなんでしょうけどねぇ…。

The Story of i  パトリック・モラーツ(1976)

イエスに加入したばかりの外様メンバーのこの人が、これほどのアルバムをリリースしたことが最大の驚きでした。プログレっぽいのに、サンバのリズムとかを使った妙に明るい音で、当時こういう音楽はものすごく新しく感じたものです。名盤です。

Olias Of Sunhillow(邦題:サンヒローのオリアス)  ジョン・アンダーソン(1976)

パトリック・モラーツがイエスに加入する前、ヴァンゲリスが加入するのではないかという噂があったのですが、その噂の震源がきっとこの人だったのだなということがわかります。なんか全体にイエスっぽくなく、ヴァンゲリスに影響受けてるような感じがするんですよね。残念ながらこれも私には刺さりませんでした。

 メンバー全員のソロを聴いて、まあイエスというバンドは、こういうメンバーが集まったバンドで、バンドとして集まると、ケミストリーがすごいんだなあ、ということがよくわかったという感じなのですが、2年もかけてこういうアルバムが次々とリリースされていくという状況は、決してイエスというバンドのプレゼンスを高めなかったと思うんですね。結局このイエスのソロアルバムプロジェクト(これはレコード会社が主導した企画らしいのですが)は、なんかプログレが停滞しているような印象を作っただけだったのではないかと思います。

 この時期、他のバンドに目を向けると、クイーンが A Night At The Opera(邦題:オペラ座の夜)を出したのが75年、ボストンが Boston(邦題:幻想飛行)でデビューしたのが76年です。これらのアルバムには、明らかにプログレの影響があると思います。この頃から多くのプログレバンドが自分たちの過去を乗り越えられずに矮小化していたったのに対して、その影響を受けた次の世代が出てきたという事なのかもしれません。よく、「プログレはパンクロックに駆逐された」みたいな言い方があるのですが、それだけでもなかったのではないかと思います。というのは、セックス・ピストルズのファーストアルバムは1977年の発売なんですね。正直、その2年も前から、こうしてプログレ勢の勢いは、なんとなく減速してきていたのですね。そこに最後のトドメとなったのがパンクロックムーブメントだったのかもしれません。

 ピンク・フロイドは、この後も2年ごとにアルバムをリリースし、やはり少しずつ変化しながらも自分たちのポジションを固めることに成功します。ジェネシスは、今考えると、ピーター・ガブリエルの脱退時期がこれ以上無いほど良いタイミングだったように思えます。ちょうどプログレが曲がり角を迎えるこの時期にバンドが変わらざるを得ない状況となり、その結果バンドを離れたピーター・ガブリエルも、残ったジェネシスのメンバーも、双方がそれぞれうまいこと方向性を変えていくことで、以前のファンだけでなく新たなファンを開拓することに成功していくわけですね。(まあピーター・ガブリエルは、自分の方向性を見出すまでにちょっと時間がかかるわけですが)

 そして、そうこうしているうちにジェネシスの次のアルバム Wind & Wuthering(邦題:静寂の嵐)がもうアナウンスされて、76年12月にリリースされるのですよね。例によって、日本盤は77年に入ってからのリリースです。わたしにとって、高校時代最後の年である1977年は新生ジェネシスの2枚目のアルバムとともに幕を開けることになるのでした。


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