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マンダラバンド、1975年のシンフォニック・ロックの一撃!

わたしも含めて、日本には「シンフォニック・ロック」と呼ばれるカテゴリーの音楽のファンって、けっこういるんだと思うんです。そういうカテゴリーの音楽の中で、極めつけだと思っているのが、今回紹介するマンダラバンドによる、このアルバムなんです。

Mandalaband / Mandalaband(1975)

1975年というのは、キング・クリムゾンが Red をリリースした翌年です。彼らが Starless and Bibleblackと歌って解散し、もうプログレは終わりなんだみたいな雰囲気が徐々に出はじめた時期だったと思うのですが、一方で、ピンク・フロイドの Wish You Were Here(邦題:炎〜あなたがここにいてほしい)、リック・ウェイクマンのアーサー王、スティーブ・ハケットの1stソロがリリースされたりと、まだまだ一般的にはプログレ的なものが聴かれていた時代だったと思うのです。そんなときに、突如現れたのが、マンダラバンドです。マンダラとは、仏教でいう曼荼羅のことかと思ったら(修学旅行で行った京都で覚えた単語でしたねぇ…w)、まさにその通りで、20分を超える「曼荼羅組曲(原題:Om Mani Padme Hum )」というチベット語で歌われている組曲が収録されているとか何とか。ちょっとイエスやフロイドとは違う路線ですが、それでも当時かなりプログレッシブな雰囲気をぷんぷんさせた新人バンドだったのです。

当時の日本のレコード会社の方は、「これは日本で売れる」と思ったのでしょうね。なんか妙にプロモーションされていて、音楽雑誌に広告が打たれていたりして、その中に「イエスの世界を3日で超えた」みたいな、煽りコピーがあったのを何となく覚えているんです。(確か「3日」って表現されていたと思いますが、どうして3日だったのかは不明ですが…w)

で、この年高校生になったばかりのわたしは、ちょうどジェネシスやキング・クリムゾンの旧譜を一生懸命買い集めていた時代でして、雑誌で煽られているのを見ても、そうおいそれとそんな聞いたこともないバンドのアルバムなど買えなかったのですが、やっぱりここでもFMラジオがやってくれたのでした。

このときもNHKのFMでした。確か夜7時くらいからの放送で、アルバム全曲がオンエアされたのでした。それも、エアチェック用に、一切アナウンスを曲に被さないようにして、A面、B面をそれぞれ放送してくれたので、わたしはこれをテープに録音して聞いていたわけです。

ちなみに、この夜7時台で洋楽アルバムをかけるNHKの番組は、タイトルを全く覚えていないのですが、変な音楽評論家など呼ばずに、NHKのアナウンサーが淡々と原稿を読むという番組で、OAされる内容に比して、妙にアンバランスな雰囲気が合ったのが、逆に新鮮だったのでした。このマンダラバンドの回でも、「パミールの熢火 ほうか」という曲の紹介のところで、『「ほうか」は付け火の放火ではなく、のろしの熢火です』と、くそ真面目なアナウンスで紹介してくれたのが、なんか今も耳に残っているのですw(ちなみのこの曲の原題は、The Roof Of The Worldというもので、まさにチベットを表す「世界の屋根」というものですが、これじゃちょっと雰囲気にそぐわなかったのでしょうね。昭和的邦題がここでも…w)

で、このときエアチェックしたこのアルバムですが、その後わたしはそれこそテープがすり切れるほど聴きました。この内容にすっかりハマってしまったというわけですね。特にA面全部で展開する曼荼羅組曲は、これぞシンフォニックですよね。この頃日本にはまだPFM以外のイタリアのバンドは紹介されてませんでしたし、今になっても、わたしはこれを超えるシンフォニックロックは無いんじゃないかと思うほどなんです。バンドとしてはほぼこの作品1枚しか知られていない感じではありますが、やはりこれは歴史的名盤だと思うわけです。

さて、こういう「アルバム一発屋」w として今も残るマンダラバンドなのですが、このバンドがなんかちょっと珍しいバンドなのです。首謀者は、デビッド・ロール(David Rohl)という人で、彼が企画、作詞、作曲した曲を演奏するためにいろいろなミュージシャンが集まってレコーディングされたのがこのアルバムなのです。ここまでは、当時の情報でも何となく知っていたのですが、いろいろ調べてみると、やはり珍しさにおいては、こういうバンドはなかなか無いな、というものなのです。

というのも、そもそも、このデビット・ロールという人が、かなり変わった人なんですね。今ググると、エジプト学者という人が真っ先にヒットするので、どうせ同姓同名の人だろうと思うと、何とこれが間違いない同一人物なのですね。もともとミュージシャンというか、スタジオエンジニアもやる人だったのですが、その後考古学に目覚めて、考古学者として、本を書いたり、それがテレビシリーズになったりと、けっこう活躍していたのですね。中には、彼のことを、リアル・インディージョンズと紹介したメディアもあったようですが….

でも、どうも学者としては独自の学説を披露しながらも、学会からは相手にされていないという、失礼ながらトンデモ系の学者さんのようなんです。欧米には案外こういう人いるみたいなんですけど、まあその点でもなかなか珍しい人であるわけです(笑)

そんなデビッド・ロールですが、この頃はエジプトではなくチベットの歴史に興味を持って、そのうちに「曼荼羅組曲」を作ってしまい、チベット語の歌詞まで書くということになったわけなんです。ここで、テーマとされているのは、ブラッド・ピット主演の1997年の映画、セブンイヤーズ・イン・チベットと同じ、1950年に起きた中国のチベット侵略の話なのです。いくつか資料を調べましたが、デビッド・ロールは、ただ単に「歴史に興味を持った」としか言ってなく、侵略に抗議するために作ったとか、そういうことは言ってないのです。中国になにか遠慮してるのかどうかは、全くわからないのですが….

そんな経緯でのバンドだったのですが、これにイギリスのレコード会社が興味を示し、バンドは、アルバムのレコーディング前にロビン・トロワーの前座としてステージを重ねたのです。このとき、アルバムの曲のほとんどがライブで演奏されたそうですが、ロビン・トロワーというかなり毛色の異なるミュージシャンのオープニングアクトで、客の反応とかどうだったのでしょう? でも、これを経て彼らはアルバムのレコーディングに臨むのです。ところが、なんとその初日に、どういうわけか首謀者であるデビッド・ロールが、レコード会社の意向で、プロデューサーから下ろされるんですね。その後、アルバムのミックス段階になってやっぱりデビッド・ロールがいないとうまく行かないと泣きつかれて、復帰してアルバムを仕上げるとか、なんかよく分からないトラブルの後にアルバムがリリースされることになるのです。このため、デビッド・ロールは、今でもファーストアルバムは万全のものではなかったというような事を言ってるそうです。

ただ、このアルバム、B面もまあまあ良い曲が揃ってますが、A面に比べればシンフォニックとはちょっと違う普通のロックな感じでして、やはり「曼荼羅組曲」こそが、歴史に残る楽曲だと思うのです。同じ年にリック・ウェイクマンがThe Myths and Legends of King Arthur and the Knights of the Round Table(邦題:アーサー王と円卓の騎士たち)をリリースしているのですが、これはリックのバンドのバックにフルオーケストラが入るという、かなり贅沢な作品なワケですが、この曼荼羅組曲には全くオーケストラが入ってないのですね。さらに言うと、メロトロンさえも使われてないように聞こえるのです。ですから、当時最新のストリングマシン(恐らくSolinaというキーボード)と、まだ単音しか出ないシンセサイザー、それに男女の混声コーラスをうまく組みあわせて、とてつもなくシンフォニックな世界を表現できているのですね。もはや大御所状態のリック・ウェイクマンが、フルオーケストラでシンフォニックロックをやった一方で、無名の新人バンドがローコストのスタジオワークで圧倒的なシンフォニックサウンドを作り上げ、ひょっとすると、「こっちの方がオーケストラよりシンフォニックじゃね?」みたいなところが、この曼荼羅組曲の魅力のひとつだと思うのです。

ただ、このマンダラバンド、日本では前述のように様々なプロモーションが打たれて、結構売れたのですが、本国イギリスでは成功しなかったのでした。デビッド・ロールも、そのままバンドを離れて(というか、そもそもデビッド・ロールが招集したバンドですので、この段階で解散と言って良いと思うのです)、劇伴音楽の作曲などを手がけます。このとき、あるプロデューサーから、指輪物語の映像化の劇伴を依頼されて制作するのですが、結局映像制作が資金難で挫折、この楽曲を世に出すために、再びマンダラバンドが組織されるわけです。こうして、1978年にリリースされたのが、このアルバムです。

The Eye Of Wendor / Mandalaband (1978)

ちなみにこのアルバムには、デビッド・ロールの人脈なのでしょう、10CC、ムーディー・ブルース、バークレイ・ジェームス・ハーベストなどのメンバーが参加しており、けっこうな豪華メンバーなんですね。

ところが、このアルバムはやはり劇伴曲として作られた曲が中心だったせいか、あんまりシンフォニックでもなく、結局英国ばかりか、日本でも売れなかったわけなのです。ここでデビッド・ロールは考古学に路線変更し、そして曼荼羅組曲以来のギタリストAshley MulfordとキーボードのVic Emersonに加え、The Eye Of Wendorに参加したメンバーの一部が、新たに、サッド・カフェというバンドを結成し、アルバムをリリースすることになるのです。

FANX TA'RA(邦題:哀しき酒場の唄) / Sad Café (1977)

サッドカフェの1stアルバム。ジャケットのアートワークでわりと有名な作品ですが、これはヒプノシスではなく、ロンドンの別のデザイン会社の作品です。ちなみに、ヴァンゲリスの Albedo 0.39 (邦題:反射率0.39)もこの会社のデザインのようです。残念ながら今このデザインのアナログ盤、CDは入手困難ですし、ストリーミングでもアルバムとして配信されていません。
アナログ盤のライナーでは、赤岩和美氏が「日本でのみ成功したマンダラバンド…」という記述がメロディーメーカー誌に掲載されていたと書いてました(^^;)

マンダラバンドという、プログレ、シンフォニック出身の彼らですが、この1stはちょっとまだその匂いが残ってましたがやはりプログレと言える内容ではありませんし、その後はかなりポップというかAORというか、そういう路線に変わっていき、10ccと並び称されるような、けっこう良質なポップスバンドとして数枚のアルバムを残すのですね。このバンドのボーカルが、後に、マイク&ザ・メカニクスを支えるツインボーカルの一人である、ポール・ヤングでして、最後期のサッド・カフェって、今聴くとかなりマイク&ザ・メカニクスなんですよね(笑)

一方、デビッド・ロールの方は、考古学方面ではそれなりに有名になったわけですが、2003年に突如スペインに移住し自宅にスタジオを建設(TV考古学者がけっこう儲かったのですね…w)し、音楽活動を再開。マンダラバンド名義で再び作品をリリースしたそうです。2009年にBC – Ancestors、2011年にAD – Sangreal という2枚をリリースしているようなのですが、なんかコレクターズアイテムの域を出ていない感じでして、ストリーミングでも配信されていないため、これはまだ聞いたことがないのでした…。

BC – Ancestors / Mandalaband (2009)

AD – Sangreal / Mandalaband (2011)

わたしとしては、マンダラバンドという、高校生の頃に夢中になったシンフォニックロックバンドが、たった一人のメンバーだけですが、巡り巡って、ジェネシスのマイク・ラザフォードが結成したマイク&ザ・メカニクスにつながるというのが、なんか面白かったわけなんですが、まあ確かに他にあまり類のないほど珍しいバンドだったという事なのです(^^)

でもなあ、このシンフォニックが1975年のイギリスで売れなかったというのは、やっぱりもうこういうプログレが曲がり角に来ていたと言うことなんでしょうかね。まあ四半世紀も前の「中国のチベット侵略」なんてテーマも、恐らく当時のヨーロッパでは「何それ?」だったというのもあるような気がしますが…。



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