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1988年のプログレ的風景:キース・エマーソンの新プロジェクトに、ピーター・ガブリエルの再来日、映画俳優フィル・コリンズへの辟易と、ジョン・アンダーソンの新境地?

 この年3月、突如 3 なるバンドのアルバムが発売されました。これが何と、キース・エマーソンとカール・パーマーが組んだ3人組バンドだったのですが、もう一人は、ロバート・ベリーという、当時全く知られてなかった人だったのですね。この人、そもそもは、エイジアに加入する話があって、そこでカール・パーマーと知り合い、その後GTRにスティーブ・ハケットの後釜として呼ばれるもアルバムリリースに至らず、結局カール・パーマーとバンドを組む話になったところに、キース・エマーソンが合流したということのようです。当時、わたしもまったく聞いたことのない人だったのですが、まあ「界隈」の人だったようですね(笑)

The Power Of Three / 3

 で、サウンドの方なのですが、これはちょっとびっくりというか、何というか…だったのです。冒頭いきなりエマーソンのキーボードが炸裂して、おおおっ!と思ったとたんにボーカルが入ってくると、急に、あれ?GTR…?みたいな感じになるのですよ。これはまたしてもジェフ・ダウンズの仕業かとおもいきや、そうではないんですよね。それなのに、なんかGTRのセカンドアルバムに、ゲストでキース・エマーソンが入ったみたいな感じと言ったら良いでしょうか。つまりかなりキャッチーなメロディで、この時代の売れ線っぽい感じでまとまっているのです。間奏やちょっとしたフレーズにエマーソンが主張してる部分があるにはあるのですが、わたしにはなんかそれが取って付けたようにしか感じられず、なんだかな〜となってしまったのでした。でもまあアルバム冒頭曲の Talkin' Bout なんかは、けっこう良い曲でして、ヒットしてもおかしくない感じだったのです。

 実際この曲はビルボードの Mainstream Rock Tracksというチャートでは9位になったそうです。ただ、これはTop 100とは別のチャートなんですね。こうしてアメリカの一部でちょっと売れたようではあるのですが、日本ではほとんど聴いた記憶がないのです。わたしにとっても、1986年の Emerson, Lake & Powell のアルバムは、かなりかつてのEL&Pの香りを残しながら80年代風のサウンドを模索したという印象だったのですが、3 については、GTRに感じたのと同じように、ここまで売れ線意識すると、あんまりキース・エマーソンがいる意味が感じられないというよう印象を抱いてしまったのです。

Talkin' Bout / 3

このMV、キース・エマーソンの顔があんまり映らないんですよね。GTRのときのスティーブ・ハケットじゃないけど、キャラクターに合わないので嫌だったんじゃないかなあ…(笑)

 結局この 3 は、期待したほどのヒットにならなかったようで、キース・エマーソンが抜けて、アルバム1枚で終わってしまうのでした。ただ、エマーソンは、亡くなる前年に、ロバート・ベリーと再びこの 3 のプロジェクトをスタートしてたんですよね。エマーソンの死によってこのプロジェクトは頓挫するのですが、後にロバート・ベリーひとりで残った作品を 3.2 というプロジェクト名でリリースするのですね。これを聴くと、最初の 3 よりはずっとエマーソンが生きていて(そこにはいないのに!)、ちょっと残念だったりするわけですが、やっぱりまだ3の頃は、80年代のロックシーンに何とかアプライしようという意識が先に立っていたような気がするんですよね。それが結果としてうまく行かなかったということなのだと思います。

 そうこうしているうちに、またしてもビッグニュースです。9月にピーター・ガブリエルが2度めの来日をするというのです。ところがこれが、またしても単独公演ではなく、チャリティライブイベントだったのでした。

 まあこのときは、86年12月の神宮球場の謎のチャリティイベント(失礼w)とは違い、アムネスティ・インターナショナルが主催したチャリティコンサートで、わりと由緒正しいチャリティイベントだったのでした。Human Rights Now! と題されて、この年世界各地でライブが開かれていたのですね。このライブにはU2やスティングも賛同していたのですが、彼らはこのとき日本には来てませんでした。

 このときの Human Rights Now! 日本公演の中心人物は、ブルース・スプリングスティーンだったのです。まあ会場が東京ドームでして、当時の日本での人気からして、この会場で客を集められるのは彼だけという感じだったのですよね。コンサートも当然トリはブルース・スプリングスティーンでして、ピーター・ガブリエルは、その直前だったと思いますが、またなんか前座みたいな感じだったのは相変わらずでした。まあ、甲斐よしひろの前座扱いよりはましではあったと言えるかもしれませんが(笑)、日本の地でのピーター・ガブリエルのポジションは、相変わらずそんなもんだったわけです。(その他の出演者は、トレーシー・チャップマン、ユッスー・ンドゥール、竜童組でした)

 そして同じ9月、今度はある映画がイギリスで封切られました。Buster という映画でして、1960年代に実在したイギリスの列車強盗をテーマにしたものでした。そして、この映画の主演、列車強盗を演じたのが、なんとフィル・コリンズだったのです。

 まあフィル・コリンズという人は、10代の頃に、子役の役者をやっていたことがあり、ロンドンの舞台経験がある人だったわけです(オリバー!という舞台作品で、アートフル・ドジャーという役を演じていた)。さらに、ビートルズの映画、ハード・デイズ・ナイトの撮影にエキストラ参加したことがあったりと、(結局フィル・コリンズのシーンは全部カットされたのだそうですが)ミュージシャンになる前に役者をやっていたことがあるわけなんですね。

 しばらくは全く演劇の世界からは足を洗っていたわけですが、ジェネシスのフロントマンとなった後、MVでへんな役をやってみたりというのが続いて、あるときアメリカの刑事ドラマ、マイアミ・バイスにゲスト出演するんですよね。どうもこれを見た映画のプロデューサーが、フィル・コリンズ主演の映画を作ることを思いついたようなんです。それにしても、こんな仕事断ればいいのに、やっちゃうのがフィル・コリンズなんですよね。挙げ句に、彼はこのとき、サントラの曲を歌うことを最初拒否していたんですよね。純粋に「役者」として評価してもらいたいと…

Meanwhile, the soundtrack to Buster has been encountering its own turbulence. The film-makers’ first thought is to ask me to sing the theme song. They want the Phil Collins package: actor, singer, writer. 'm firm. “No, I don’t want people to think of me as a singer when they see me acting.” I'm taking this job seriously. It’s going to be a tough enough gig without my band/pop persona elbowing its way onto the screen.
一方、バスターのサウンドトラックは、独自の波乱に遭遇していた。映画スタッフは最初、私にテーマソングを歌ってほしかったんだ。俳優、歌手、作家というフィル・コリンズのパッケージが欲しいというんだ。だが私は断固として拒否したんだ。「いや、観客が演技をしている私をみて、歌手だと思われるのは嫌なんだ」。私はこの仕事に真剣に取り組んでいるんだ。私のバンドやポップスでのペルソナがスクリーンに現れなくても、十分にタフな仕事になるんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

Buster / Phil Collins

 こうして、彼はNo Jacket Requiredのツアーの時に知り合った、モータウンの大物ソングライター、ラモン・ドジャー(Lamont Dozier) を映画のプロデューサーに紹介し、彼が2曲書いてきたうちの1曲にフィル・コリンズが歌詞をつけたのがTwo Heartsなんですね。

“Well,” Lamont says, smiling, “you're going to have to sing them now, they're your songs...”
"そう" ラモンが微笑みながら言う。"もう歌うしかないだろ、あんたの歌なんだから... "とね。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

 結局最後はラモン・ドジャーに諭されて、フィル・コリンズが歌うことになるのですが、もう1曲、A Groovy Kind of Love についても、変ないきさつなんです。これは、フィル・コリンズのオリジナルではなく、60年代のバラードのカバーなのですね。プロデューサーから、60年代のA Groovy Kind of Love みたいなバラードを映画に使いたいと言われて、フィル・コリンズが電話でトニー・バンクスにこの曲のコードを問い合わせて、ちゃちゃっとデモを作ったらしいのです。それをプロデューサーが採用してしまったわけです。ところがこの曲も最初別の人に歌ってもらうことをフィル・コリンズは主張するのですが、結局なし崩し的にそのままフィル・コリンズの歌で録音することになってしまったというのですね。

To paraphrase a far greater sixties-set British film: I was only supposed to blow the bloody doors off...Instead I end up with another number 1 single in the U.K. and the U.S., and a lot more stick for doing another middle-of-the-road sixties cover, even if it was just a project for a movie.
60年代を舞台にした遥かに偉大なイギリス映画の言葉を借りれば、「私はみんなをビックリさせたかっただけなんだ…」だが、その代わりにイギリスとアメリカでまたナンバーワン・シングルを獲得することになった。でも、映画の企画とはいえ、60年代の中途半端なカヴァーをやったことで、より多くの非難を浴びることになったんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

 結局、このあまりやる気がなかったサントラアルバムからシングルカットした、A Groovy Kind of LoveとTwo Heartsが、これまた2曲連続で全米No.1を記録するという大ヒットとなるのです。映画は、実はアメリカでは大コケしたんですが、フィル・コリンズの歌だけは売れたんです。(そもそもイギリスの列車強盗バスターなんて人はアメリカでの知名度はゼロでして、そんな映画よほどじゃないとアメリカでは売れないわけなんです)

 でもこのとき、さすがのわたしも、「映画俳優フィル・コリンズ」は、もはやどうでもいいというか、さすがにもう食傷気味になっていたんですよね。ミュージシャンとしてのサイドワークならともかく、映画俳優のサイドワークなんて、正直どうでも良かったのです。そして、このサントラアルバムは買わなかったのでした。後にも先にも、フィル・コリンズのアルバムを買わなかったのはこのときだけだったのでした。この年のフィル・コリンズについては、あまりにもプログレとは遠い世界に行ってしまっていて、さすがのわたしも興味を失いかけていたということなのです。

さて、この年のプログレ的風景として、あと1枚アルバムを紹介します。ジョン・アンダーソンのソロアルバムです。

In The City Of Angels / John Anderson

 これは、ジョン・アンダーソンの通算5作目となるソロアルバムです。彼のソロアルバムは、1stの Olias of Sunhillow(邦題:サンヒローのオリアス)(1976)こそ、YESメンバー全員がソロアルバムをリリースするという企画で注目された(全米47位)わけですが、その後の、Song Of Seven(邦題:七つの詩)(1980)、Animation(1982)、3 Ships(1985)が、ことごとく売れず(全米200以内に入るのがやっとくらいの状況)、日本でもほとんど話題になってなかったのでした。なので、わたしもこの期間、全く彼のソロは聴いていなかったというか、存在すら認知してなかった感じだったのです。それがこの年の5thはどういうわけか、CDショップで偶然巡り会って、久しぶりに聞いたのでした。実はこの5thは、セールスとしてはそれまでで最低の売上だったソロアルバムなんですが、そのアルバムに偶然出くわすわけなんです。そして、聴いてびっくり。内容がずいぶんと軽く、ポップになっていまして、これはこれで聴きやすく、好きだったんです。正直彼のソロアルバムの中では一番好きと言っても良いかもしれません。このアルバムでジョン・アンダーソンは、はじめていろいろな作曲家を起用し、さらにTOTOのメンバーがレコーディングに参加するなど、やはり時代にフィットした音を出そうという意思が感じられるし、それが成功しているのではないかと思うのです。イエスマニアの方は嫌うのかもしれませんが、これは紛れもなく80年代のジョン・アンダーソンなのだと思うのですね。



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